第143話 会議室の静かな戦争
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ダンジョン課・会議室。
壁面モニターには、中国政府の公式リリースと、主要各国メディアの見出しが並べて映し出されていた。
強調されているのは、2つの単語だけだ。
――異世界人の存在。
――世界名「アル・テラス」。
会議室に漂う空気は、張りつめているというより、慎重に整えられていた。
「――中国から、改めて協力要請が来ています」
田所が、資料から目を離さずに切り出す。
声は低く、淡々としていた。
「形式は従来通りです。
研究データの共有、合同調査、そして情報の一元化です」
「例によって、“人道的観点から”だな」
誰かが、鼻で軽く息を吐いた。
笑いは起きない。
全員、その言葉の便利さを嫌というほど知っている。
奥野局長が、静かに言葉を引き取った。
「問題は、その裏だ」
「鷲尾議員経由で、“特異点の存在”が伝わっている可能性があります」
田所が続ける。
「ただし、中国側は、まだ“特異点が誰か”までは掴めていないと見ています」
「神谷直哉、という名前までは行っていない、ということだな?」
奥野局長の問いに、田所は即座に頷いた。
「はい。
少なくとも、確定情報としては」
「……だが、時間の問題だな」
奥野局長の低い声が、室内に落ちる。
「彼にたどり着く条件は揃っている」
「腕の立つ高校生、行政府との接触が多い、そして、長期の不在」
指で空中をなぞるようにしながら、淡々と列挙する。
「そこまで絞れていれば、いずれ線は繋がる」
短い沈黙の後、別の職員が口を挟んだ。
「だからこそ、今、神谷さんは、異世界に行ってもらっているわけですよね?」
「ええ、中国が直接手を出せない場所に行ってもらっています。
ただ、それも“本人限定”です」
奥野局長が、順に言葉を重ねる。
「家族に友人、それに関係者。
揺さぶる余地はいくらでもある」
分析担当が補足する。
「現時点では、護衛、警察、いずれのルートからも、露骨な接触は確認されていません」
奥野局長は間髪を入れず、言った。
「だが、だからといって安心はできない」
資料を一枚、裏返す。
「向こうが“カードを切る前”に、こちらが主導権を握る必要がある」
一瞬、視線が田所に向く。
「そこでだ、田所」
「はい。
皆さま、お配りした資料をご覧ください」
卓上の資料に、数名が同時に目を落とした。
表紙には赤字で押された極秘スタンプ。
「……こ、これは」
誰かが、思わず声を漏らす。
「地球と異世界の間で、物品転送が可能となった魔法道具です」
田所の言葉に、ざわりと小さなどよめきが走る。
「おぉ……」
「本当か」
「あくまで物品のみで、まだ人の転移できません」
そして、意識的に付け加える。
「この装置の運用に、神谷さんの協力は不要です。
完全に独立した魔法道具となっています」
「それは……」
数名が顔を見合わせる。
「これを使えば」
別の職員が、思考を先に走らせた。
「異世界の実情を、こちらから提示できる。
中国が言うような“救援が必要な地獄”ではない、と」
「そうです。
そうなれば、“人道的観点”というお題目は、かなり弱まるでしょう」
「しかし別の圧力が来るのでは?
技術を渡せ、共有しろ、管理を寄越せ、と」
奥野局長が、小さく笑った。
「その通りだ。
俺も、そこは最初に考えた」
そして、モニターを切り替える。
「――その対抗策が、これだ」
次に映し出された資料のタイトルに、数名が眉を上げる。
「キュアディジーズ?」
「ああ」
奥野局長が頷く。
「異世界で生産されているポーションだ。
薬効は、“すべての病気の完治”」
「……なんですって?」
「異世界は地球より総人口が少ないので、症例数も限られています。
ですが、向こうでは、この効能は周知の事実となっています」
田所は資料に目を落としながら、続ける。
「向こうの世界では、貴族や王族も使用しています。
医療としての信頼性は、とても高いです」
「癌にも効くんですか?」
「はい、もちろん」
「ALSやアルツハイマーも?」
「症例が少ないのですが、治ったという報告がありました。
しかも飲んでから5分以内に効果が発生します」
誰かが、息を飲む。
「……市場規模は、数億どころじゃない」
「ああ、全人類が対象になり得る」
「しかし、そのようなもの、高額なのでは?」
「こちらの価値に換算すると、1本300万円です」
「300万円……」
「高額医療の範疇かもしれませんね」
奥野局長が、わざとらしく肩をすくめた。
「結論を出すのは、まだ早い。
異世界で300万円を手に入れるには、胡椒を300グラム売ればいい」
「……胡椒?」
「換算すると、日本円で1,500円程度だ」
「1,500円で……?」
「どんな病気も治る」
室内が静まり返る。
「これを一気に市場に流せば医療市場が、壊れますね」
奥野局長は、はっきりと言った。
「ああ、それが一番注意しなければならない点だ。
まずは少量。
それも、“発言権を持つ人物”に限定する」
「国内の症例を積み上げるのを先にするのがよいのでは?」
「ああ、そう考えている。
だから厚生労働省にも、協力してもらわなければな」
「なるほど……。
キュアディジーズで各国の要人に恩を売り、協力者を作ってから、転移装置を発表する」
奥野局長は頷く。
「ああ、そうだ」
「そうすれば、中国から圧力が来ても、それらの利益を得た人たちが防波堤になってくれる、ということですね」
「厚生労働省への協力は、私が話をつけよう」
視線を会議室に巡らせる。
「みんなは、このキュアディジーズをどう使えば最も効果的か、素案を組んでくれ」
「了解しました」
「遅くとも2か月以内に、転移装置の発表を考えている」
最後に、釘を差す。
「それまでは、鷲尾議員には段階的に情報を渡し、暴走させないよう、管理を徹底してくれ」
会議室に、短い沈黙。
それは同意の証だった。
静かに、だが確実に。
日本側が、次の一手を打ち始めていた。




