【閑話】第17話 エンバルム放浪記②
閑話Day。
本編入れると今日は4話更新で、これはその1。
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
第4層は、静かだ。
墓石が並ぶ灰色の荒野に、風は吹かず、鳥の声もなく、ただ腐った臭気だけが漂っている。
それは、エンバルムにとって好ましい沈黙だった。
「……ギ」
エンバルムは鉄棍を地面に突き立て、息を整えた。
眼前には、グールの残骸が散らばっている。
腐肉を引きずりながら近づいてきた6体を、ものの数合で叩き伏せた。
問題はここからだ。
エンバルムは手を伸ばした。
ポリゴン状に砕けたグールの残滓へ向け、傲慢の極みを発動する。
――何も起きなかった。
光の粒は、エンバルムの掌をすり抜けた。
まるで触れてすらいないかのように。
「……ぐ」
エンバルムは眉根を寄せた。
鬼の力は飲み込めた。
ゴブリン、ホブゴブリン、そして地獄門の守人たち——同族の魔素は澱みなく吸収できた。
だが、このグールは違う。
光の粒が空中に揺らめき、そのまま霧散していく。
エンバルムは鼻を鳴らし、もう一度試みた。
今度は力を絞り込むように集中し、ゆっくりと魔素を押し出す。
やはり、すり抜けた。
「……吸収できぬか」
エンバルムは独り言ちた。
グールはゴブリンではない。鬼族でもない。
腐肉を纏った、不死族の魔素だ。
エンバルムはしばらく考えた。
第3層で力を振るい続けた時のことを思い出す。
初めは少数のゴブリンしか吸収できなかった。
だが数百、数千と繰り返すうちに、能力は広がっていった。
吸収できる同族の数が増え、距離が伸び、速度が上がっていった。
ならば——。
「試すだけのこと」
エンバルムは灰色の荒野を進んだ。
* * *
次のグールを見つけたのは、墓石が密集する一角だった。
3体が連れ立って歩いている。
エンバルムは正面から立ちふさがった。
グールが濁った瞳でこちらを向き、低く唸る。
腐肉の臭気が濃くなる。
鉄棍を振り抜く。
1体目が砕け、ポリゴンが散る。
エンバルムはすぐに手を伸ばした。
今度は、力の方向を変えてみた。
かすかな抵抗。
まるで油で濡れた縄を握ろうとするような、摩擦のない手触り。
指の間からすり抜けそうになるたびに、魔素を締め直す。
「……くっ」
奥歯が鳴った。
額に玉の汗が浮かぶ。
だが——確かに、何かに引っかかった感触があった。
ほんの一粒。
グールの魔素が、指先に絡みついた。
「ぐ、お……おおおォ!!」
エンバルムは叫んだ。
引っかかったその一粒を、力任せに手繰り寄せる。
他の光の粒も、引き寄せられるように追ってきた。
バッ、と音を立てて、ポリゴンが掌に吸い込まれた。
全身が焼けるように熱くなった。
異族の魔素だ——同族のそれとは異なる、腐敗に近いような、重い成分を持つ力が体内を駆け巡る。
「ぐ……ぐあ……!!」
胃の腑が引っくり返るような感覚。
身体が拒否反応を示している。
エンバルムは膝をついた。
地面に手をつき、歯を食いしばった。
2体目のグールが近づいてくる。
エンバルムはそれを睨み上げ、鉄棍を横薙ぎに払った。
砕けたポリゴンが散り——今度は最初からその感触を知っていた。
手を伸ばす。
細く。
絡める。
引き寄せる。
「……ぐ」
また吸い込んだ。
拒絶反応は先ほどよりも薄い。
3体目も同じだった。
エンバルムは立ち上がり、荒野の奥を見据えた。
遠くに、半透明の影が揺れている——スペクターだ。
実体のない存在。物理攻撃が通らない相手。
だが、エンバルムには関係なかった。
鉄棍に魔素を纏わせ、振り抜く。
スペクターが霧散し、ポリゴンよりも淡い光が散った。
手を伸ばす。
「……ぐぐ」
ほとんど抵抗がなかった。
スペクターの魔素はグールよりもさらに軽い。
傲慢の極みが、こともなげに飲み込んだ。
身体が拒否する間もなく、するりと流れ込んでくる。
エンバルムは自分の掌を見た。
黒い魔素が、指先でわずかに揺らめいている。
「……なるほど」
学んだ。
吸収できた種は、次から容易になる。
そして似た種族は、最初から抵抗が少ない。
力は、使えば使うほど広がっていく。
エンバルムの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
* * *
それからしばらく、エンバルムは第4層を歩き続けた。
グール、スペクター——いくらでも湧いてくる。
エンバルムはそれらを倒しては吸収し、また倒しては吸収した。
最初は5体に1体の割合でしか成功しなかった。
それが3体に1体になり、2体に1体になり、1体倒すごとに安定して吸収できるようになっていった。
吸収のたびに、何かが変わる。
単純な力の増加ではない。
魔素の"質"が変わっていく感覚がある。
同族だけを飲み込んでいた頃の力は、どこか単調だった。
異族の魔素が混ざることで、密度が増す——そんな感覚だ。
エンバルムは鉄棍を肩に担ぎ、息を吐いた。
まだ足りない。
奴には遠い。
だが、確かに近づいている。
エンバルムが足を止めたのは、ふとした気配を感じたからだった。
荒野の南端——墓石が途切れ、崩れた石壁が続く一帯。
人間の探索者の匂いがした。
* * *
探索者は1人だった。
40代ほどの男だ。
全身を覆う厚い金属鎧。
その右手には、人間の胴体ほどもある巨大な鉄槌——メイスを携えている。
グリップを包む魔素が白く発光しており、ただ持っているだけで周囲の空気が微かに歪んでいた。
大量の魔素だ。
エンバルムは鼻を鳴らした。
この男、力がある。
男はこちらに気づいた瞬間、眉を上げた。
「……ゴブリン? なんで4層に……」
一拍の間。
すぐに目が切り替わった。
「イレギュラーか。上等だ」
左拳を握り込む。
全身の魔素が一気に高まった。
金属鎧の継ぎ目から白い光が漏れ出し、地面が微かに震える。
「身体強化:剛!」
声とともに、空気が爆ぜた。
男を中心に衝撃波が広がり、周囲の墓石が根こそぎ吹き飛ぶ。
エンバルムは黄金の双眸を細めた。
強い。
次の瞬間——男が消えた。
視界から、唐突に。
「——っ!」
背後。
エンバルムは本能で身体を捻った。
巨大なメイスが空気を割り、耳元を薙いでいく。
ドガァンッ!!
外れた一撃が地面を直撃した。
石畳が弾け飛び、小さなクレーターが生まれる。
爆発的な土煙と砂礫が四方へ吹き散り——男はその爆発の余韻の中で、すでに次を振りかぶっていた。
メイスが振るう。
エンバルムは横へ跳んで躱し、すれ違いざまに鉄棍を横薙ぎに叩きこんだ。
ガキィィンッ!!
火花が散る。
男の足元がわずかにずれた、その刹那を逃さずにエンバルムは踏み込む。
上から、横から、下から、連撃を叩き込む。
男は一歩も退かなかった。
鉄棍を弾くと同時にメイスを薙いで返す。
ガンッ!
エンバルムの脇腹に直撃する。
構わない。鉄棍を振る。
またメイスが来る。弾く。踏み込む。叩く。
一撃ごとに地面が陥没し、石畳が爆ぜ、周囲の墓石が次々と吹き飛んでいく。
荒野のあちこちに亀裂が走り、砂煙が絶え間なく立ち昇った。
男がステップを踏みながらメイスを体の回転に乗せ、横から叩きつけてくる。
「砕陣ッ!!」
メイスの表面の魔素が爆発的に膨れ上がった。
ドゴォォォンッ!!!
鉄棍を盾にしたが、衝撃が腕ごと吹き飛ばされるような重さだった。
身体が宙を舞い、墓石を3本なぎ倒しながら転がる。
石畳に叩きつけられた衝撃で、視界が歪んだ。
「……ぐぅ」
肋が軋む。
魔素を纏わせた一撃は、純粋な質量の暴力だ。
エンバルムが立ち上がる前に、男は走っていた。
「まだ立つか——上等!」とメイスを振り上げながら間合いを詰めてくる。
エンバルムは歯を食いしばり、鉄棍を構え直した。
振り下ろしの軌道を読み、半身をずらす——その瞬間。
男の全身に青い魔素が瞬時に収束し、ドンッ、と爆音が鳴った。
速すぎた。
先読みした方向とは別の角度から、メイスがエンバルムの肩口を掠めた。
「ぐあ——!!」
弾き飛ばされる。
肩から地面に叩きつけられ、石畳が砕ける。
砂礫が顔を叩くその刹那——腐った足音が複数、近づいていた。
戦闘の轟音を聞きつけたグールが、こちらへ向かっていた。
だが、男の、そしてエンバルムの攻撃の余波だけでグールは爆散し、ポリゴンが飛び散る。
エンバルムは起き上がりながら、視界の端でそのポリゴンを捉えた。
意識を伸ばす——傲慢の極み。
打ち合いの最中、一瞬だけ力を絞る。
光の粒が引き寄せられ、掌へ吸い込まれた。
全身に熱が走る。
傷が、閉じていく。
「——なに?」
男の踏み込みが、わずかに止まった。
エンバルムの閉じていく傷を見て、一瞬だけ打ち合いのリズムが乱れる。
「今、回復したか——?」
驚きの声が漏れた次の瞬間、エンバルムはその硬直を突いて鉄棍を低く薙いだ。
ガンッ!
男の膝を打つ。
よろめきながらも「この——!」と鉄棍の胴を掴みに来る。
エンバルムは引き抜き、代わりに掌底を鎧へ叩き込んだ。
「グォォッ!!」
再び打ち合いが再開する。
メイスが薙ぎ、鉄棍が弾く。
鉄棍が叩き、メイスが受ける。
一撃の度に空気が爆ぜ、地面が陥没し、さらに引き寄せられてきたグールが余波で次々と砕け散った。
エンバルムは打ち合いながら、光の粒を手繰り続ける。
吸収するたびに傷が塞がる。
脇腹。肩口。腕の数か所——少しずつ、閉じていく。
「なんだお前……倒すたびに回復していく……?!」
男の声に、動揺が滲んでいた。
疑問を口にしながらも手は休めず、メイスが叩きつけてくる。
エンバルムはそれを受け流しながら、男の動きを追い続けた。
癖が、見えてきた。
青い魔素が全身に収束する直前、右足の重心が一瞬だけ前に寄る。
次は読める。
打ち合いの中で、エンバルムはその重心を待ち続けた。
男がメイスを大振りで薙ぎ、エンバルムが鉄棍で弾く。
男が踏み込み、エンバルムが半身をずらす。
男の体重が前へ——右足の重心が寄る。
青い魔素が全身へ収束し始めた——今だ。
エンバルムは左へ踏み込みながら、鉄棍を斜め下から振り上げた。
ガギィィンッ!!!
収束し切る前のメイスの軌道を根元から叩き上げる。
男の体勢が、わずかに浮いた。
その浮いた一瞬——エンバルムは鉄棍を上段から叩き落とした。
「グォォォッ!!」
男の金属鎧の肩が陥没し、男が片膝をついた。
地面がひび割れ、衝撃で砂礫が舞い上がる。
「ぐはっ——」
赤い飛沫が石畳を濡らす。
男は地面に膝をついたまま、顔を上げる。
頬を伝う血を拭いもせず、荒い息の中でエンバルムを見据えた。
「……くそったれめ!」
低く、絞り出すように言う。
その声音に、敗北の色はない。
男がメイスを握り直した。
鎧の継ぎ目から白い光が漏れ、ざわ、と全身の魔素が動く。
立ち上がりながら、男の魔素が急速に膨らんでいく。
燃えるような白い魔素が、男の全身を覆い始める。
メイスに魔素が集約される。
周囲の空気が渦を巻いた。
砂礫が、石が、砕けた墓石の破片が、男のメイスに引き寄せられるように浮き上がる。
直径2メートル。
3メートル。
4メートル——。
瓦礫がメイスに集まり、強大な岩塊を形成、灼熱の魔素と混ざり合っていく。
高熱が波のように広がり、エンバルムの肌を焼く。
皮膚が赤らみ、焦げる臭いが漂う。
メイスが——もはやメイスには見えない。
巨大な青白く燃える塊。
太陽の欠片を握りしめているかのような、灼熱の塊。
男が叫んだ。
「星砕きッッ!!!!」
ドォォォォォンッ!!!!!
振り下ろされた瞬間、世界が爆ぜた。
熱波が全方位へ吹き荒れ、エンバルムの視界が白く染まる。
「グォォォォォオオオオオッ!!!」
鉄棍を猛速で振り回す。
炎の塊に叩きつける。
弾き返される。
また叩きつける、また叩きつける、また叩きつける——!
衝撃が腕を引き千切りそうになる。
両手が痺れ、感覚が消える。
熱が全身を焼く。
魔素が摩耗する。
それでも——手は止まらない。
「我に破壊できぬものなど——ないッ!!」
鉄棍が、正面から炎の塊を打ち砕いた。
ドガァァァンッ!!!!
灼熱の魔素が四方へ吹き散り、衝撃波が墓地全体を揺らす。
残っていた墓石が吹き飛び、焼けた岩が周囲に飛び散る。
煙の中——男がよろめいた。
エンバルムは荒い息を繰り返した。
全身が、燃え続けているように熱い。
腕の皮膚が焦げ、鉄棍の握りが血で滑る。
だが——男の方が、消耗していた。
星砕きの代償は大きい。
男の膝が笑っている。
メイスを握る手が、かすかに震えていた。
エンバルムは一歩、踏み出した。
男が言いかけた言葉を遮るように、鉄棍が振り下ろされた。
ズドンッ。
男が、倒れた。
全身が内側から崩れるように、リエントリー光に包まれる。
エンバルムは黄金の双眸で見下ろしながら手を伸ばした。
「我に従え」
低く、静かな声だった。
命令ではなく、呪縛のように。
散り始めた光が、ぴたりと止まった。
エンバルムは手を開き、その光を掴んだ。
* * *
激しい抵抗があった。
不死族でもない。
鬼族でもない。
人間の魔素だ。
生きることへの執着が、まるで嵐のように、エンバルムの内側で暴れた。
「っ……!!」
エンバルムの両腕が震えた。
奥歯を噛み締め、踏ん張る。
鼻先から血が滴った。
光が逃げるように、少しずつ指の間を縫っていく。
逃がしてなるか。
エンバルムは魔素を全力で絞り込んだ。
光を、もみくちゃにするように、ねじ伏せる。
視界が歪んだ。
耳鳴りがした。
足元が揺れた。
それでも、手は離さなかった。
やがて——光が、音もなく、エンバルムの身体へ流れ込んだ。
* * *
しばらく、エンバルムは動けなかった。
荒野に倒れたまま、荒い息を繰り返す。
全身が重い。
身体の内側で、何かが暴れて落ち着かない。
だが——魔素は、増えていた。
ざわ、と腹の底から力が湧き上がる。
熱い。
濃い。
今まで吸収してきた中で、最大の量だ。
エンバルムはゆっくりと起き上がった。
膝に手をつき、息を整える。
全身の傷が、ゆっくりと塞がっていく。
自分の手を見た。
「……ギギ」
掌から、かすかに魔素が滲み出ていた。
力が満ちている。
人間の魔素は、今まで吸収してきた中で最も濃く、最も美味かった。
グールでもスペクターでも満たされなかった何かが、あの光を飲み込んだ瞬間に充足した。
また欲しい。
第4層に人間は来る。
この墓地を、探索者たちは訪れる。
エンバルムは黄金の双眸を細め、遠くを見た。
鉄棍が地面を打つ音だけが、静かな墓地に響いた。
一歩、また一歩。
次の獲物を、待ちながら。




