第104話 黒い波
夜明け前の空が白み始める頃、斥候から報告が届いた。
「来たぞー!アリの大群だ!!」
その言葉が町の防衛拠点に響き渡った瞬間、直哉は眠気を吹き飛ばして立ち上がった。
町を囲む森の木々が、一斉に揺れていた。
鳥が飛び立ち、獣が逃げ惑う気配が伝わってくる。
次の瞬間、木々の隙間から黒い濁流が押し出されてきた。
脚、脚、脚。
触角。
黒い甲殻。
ジャイアント・アントの群れが、地面を塗り潰す勢いで迫ってくる。
双眼鏡を手渡されて覗いた直哉は、思わず息を呑んだ。
「……多っ」
1匹1匹は犬ほどの大きさ——ジャイアント・アント。
体長80センチから1メートルほどの黒アリが、それこそ地面を塗り替えるような密度で押し寄せてきていた。
1,000匹は超えているだろう。
「何かから逃げているのか、あるいは本能的な移動なのか原因は不明です。」と、現地の案内役を買って出ていた探索者の中年男性、カルロスが地図を広げて言った。
「道中の動物には目もくれていない。
町を狙っているわけじゃない——ただ、進路上にあるものを壊して通る」
「無秩序に逃げてる群れが、たまたまこっちに来てる、ってことか」
「そうです。
悪意がない分、余計に始末が悪い」
防衛方針は事前に取り決めてあった。
住民は教会と役所、それから石造りの倉庫群へ避難する。
探索者たちは町の外周と目抜き通りに展開し、アリを町へ近づけないことを最優先とする。
倒すのは二の次——いかに流れを逸らし、迂回させるかが勝負だった。
日本から同行していた役人の島田さんが拡声器で住民への指示を出し始め、町は一気に慌ただしくなった。
「団体様のご到着だな」
武虎が隣に並んだ。
険しい顔で森の縁を見ている。
「神谷。町の北側の柵、古くて頼りない。
早めに補強した方がいい」
「さっき島田さんに伝えた。
人を回してもらってる」
「ナイスだ!」武虎は拳を鳴らした。
「とにかく——町に入れるな」
直哉は金属バットを握り直した。
「ああ」
* * *
最初の一波は夜明けとともにやってきた。
森の縁から溢れ出した先発隊、およそ100匹。
それを迎え撃った直哉たちは、最初の10分間で作戦の難しさを思い知った。
1匹1匹はそこまで強くない。
レベル10程度の探索者でも、落ち着いて対処すれば押し戻せる。
問題は数と、その動きだった。
規則性がなかった。
軍隊アリのように一列に並んで進軍するなら誘導もできる。
しかしジャイアント・アントは無秩序だった。
1匹が右に曲がれば、後ろの10匹がそれぞれ別の方向に散る。
町の外で足止めしようとしても、隙間からすり抜けて路地に入り込む個体が後を絶たない。
そして——倒した個体の死体が、そのまま地面に残った。
「死体が邪魔だ、どかせ!」
誰かが叫んだ。
地球のダンジョンと違い、ここではモンスターの死体は消えない。
倒せば倒すほど、足元に死骸が積み上がっていく。
それが新たな障害物になり、こちらの動きも鈍らせた。
「倒すんじゃなく、押し返せ!町の中に入れるな!」
直哉は叫びながら、町境の柵際でバットを振り続けた。
仕留めることより、とにかく進路を変えさせることを意識する。
横腹を叩いて弾き、前脚を崩してよろけさせ、後続が乗り越えようとするのを押し戻す。
消耗戦だった。
一方、武虎も少し離れたところで、単独で20匹を相手にしていた。
「はあっ!!」
両手両足に発動した断裂掌が赤色に染まり、黒い稲妻がバリバリと奔る。
突進してきたアリの顎を真正面から掴み、そのまま削る。
グォンという鈍い音と共に、アリが崩れ落ちる。
飛び掛かってきた2匹目を蹴り飛ばしながら、頭を消滅させる。
3匹目は横から腹部と胸部の間の節を削り取り、仕留める。
死体が積み上がっていき、徐々に視界が悪くなるのを確認しながら、武虎は舌打ちをした。
「……死体で足元が悪くなる。こりゃ処理が大変だぜ」
戦いながら頭の中で計算する。
ここで死体が積み上がれば次の波の足場になる。
それは避けなければならない。
「カルロスさん!ここ死体、片付ける人員を回してくれ!」
「了解です!」
武虎は返事を聞く前にもう次のアリへ向っていた。
* * *
(『左後方、2匹。1匹はソルジャータイプです』)
「あいよ!」
振り返った直哉の目に、通常種の一回り大きな個体が映った。
ソルジャータイプ。
顎が通常種の倍ほどある。
あの顎で石壁ごと噛み砕いた場面を、直哉はさっき目撃していた。
バットを横薙ぎに叩き込むが、ソルジャーは顎でそれを受け止めた。
金属バットが鈍い音をたてて弾かれる。
腕がしびれた。
「硬っ……!」
(『外骨格の密度が通常種の約3倍です。
現状の火力では不利です』)
「なら――こっちだ!」
直哉は叫んだ。
「クリムゾン!」
(『変幻武器グレートソードモード起動』)
直哉の掛け声に合わせて、イチカが変幻武器を起動する。
バットの先端から薄く発光するエネルギーが溢れ、刃の形に変型していく。
大剣モード——グレートソードモード。
重量感が増し、踏み込みに力が入った。
そして砕陣も展開する。
筋力特化の赤いオーラにグレートソードのエネルギーフィールドが呼応し、ブブブブと振動する。
ソルジャーが再び突進してきた瞬間、直哉は真正面から叩き込んだ。
ガギィィィンッ!!
顎が弾き飛ばされた。
そのまま勢いは止まらず、外骨格がひしゃげる音が響く。
亀裂が胴まで走り、ソルジャーがその場に崩れ落ちた。
1撃だった。
「北側の柵が危ない。俺はそっちに回る!」
武虎の声が後ろから飛んでくる。
「神谷、ここは任せたぜ!!」
「おう、気をつけろよ!」
武虎が走り去ると同時に、直哉の視界の端で民家の窓ガラスが割れた。
アリが1匹、壁を伝って屋根に上ろうとしている。
「やらせるか、待てってんだよ!」
直哉は飛び出した。
* * *
1時間後。ヤスからの支援物資が到着した。
酢とハーブを混ぜた特製忌避剤だ。
町の外周にホースで撒くと、アリたちは触角を震わせ、進路を変える。
“すべて”ではないが、密度が分散する。
南側では地元探索者が無駄のない連携でソルジャーを押し出していた。
だが死体が積み上がり、アリはそれをよじ登って突破しようとする。
応急修理、死体処理、忌避剤補充――。どこも人手が足りない。
直哉も走り続けた。悲鳴があれば向かい、煙があれば向かう。
“穴を塞いでも別の穴が空く”を延々と繰り返す。
そして昼過ぎ、最大の圧力が来た。
北東が破られかけ、無線が怒号で埋まる。
清閑寺姉弟が飛び込み、陽平の水操がうねり、10匹をまとめて弾き飛ばす。
真弓は的確な一撃で死角を処理し続ける。
直哉も息を切らせながら戦い続けた。
そこへ巨大ソルジャーが正面から突っ込んでくる。
逃げ道はない。
「負けてたまるか!!」
砕陣を張り、変幻武器をモーニングスターへ変形。
全力で叩きつける。
ドゴォォォンッ!!
外骨格が内側から爆ぜた。
甲殻の破片が四方へ弾け飛び、黒い残滓が霧のように散る。
巨大ソルジャーは原形を留めることなく、跡形もなく消し飛んだ。
(『残り約380匹。密度は低下傾向です』)
「……やっと減ってきたか」
(『無理は禁物です』)
「無理しないと終わらねぇんだよ!」
そしてまた走る。
* * *
夕刻。
群れは急に速度を落とし、触角を振って方向を変え始めた。
町を迂回し、森の奥へと消えていく。
誰も声を出さなかった。
ただ、最後の1匹が森に去った瞬間――あちこちで膝をつく音が響いた。
直哉もその一人だった。
町は酷く傷ついていた。
壊れた壁、倒れた門、死骸の山。
しかし最悪だけは免れた。
「神谷くん、大丈夫か」
島田さんが水筒と毛布を渡してくる。
「住民たちが礼を言いたいそうだが……今日は休んでくれ」
老女がスープを差し出し、他の住民も続々と探索者へ食べ物や飲み物を配っていく。
そしてすぐに――死骸の片づけを始めた。
「……たくましいな」
隣に座った武虎がぽつりと言った。
「ほんとにな」
直哉はスープを飲んだ。
全身に、じんわりと温かさが広がった。




