第101話 役人、異世界に行くってよ
柳太郎から連絡が来たのは、5人で相談した3日後のことだった。
「話をまとめてきた。神谷君たちの要望、だいたい通ったぞ」
電話越しの声は、いつも通り落ち着いている。
それでも微かに、手応えを感じさせる響きがあった。
「だいたい、ですか」
「完全に通ることなんてそうそうないからね。
でも満足してもらえる結果になったと思うよ」
翌日、直哉、ヤス、真弓、陽平の4人は藤堂の家に集まった。
座布団に腰を下ろすと、柳太郎はお茶を淹れながら経緯を話し始めた。
「担当部署に話を通したのはいいが、最初はなかなか信じてもらえなかった。
異世界への扉が開く、などと言ってもな。
それが現実だとわかっていても、言葉にすると馬鹿げた話だ」
「わかる」
珍しく、真弓の表情に共感が出ていた。
「だが、証拠がある。
君たちが持ち帰ったあの魔石だ。
あれを見せたら、さすがに無視もできなくなった。
地球ではなかなか見れない濃度だったからな。
それは向こうも認めた」
柳太郎は湯呑をテーブルに置き、4人を見渡した。
「ただし、完全に信じたわけでもない。
政府というのはそういうもんで、半信半疑のまま動く。
信じられたわけではないが、拒否するほどでもない、という塩梅だな。
それで、向こうから1つ要望が出た」
「なんですか?」
「まず1人、担当者を異世界に連れていき、調査させてほしい、と。
百聞は一見に如かずということだ。
向こうも現場を確認せずには話が進められない。
それが条件だった」
「まあ、それはそうなりますよね」
直哉はそう答えながら、来るだろうとは思っていたと感じた。
自分でも行かないで信じろと言われたら、行ってみてから考えると答えるだろう。
「ああ、自分たちで確認したいというのは至極当然だろう。それでどうだろう?」
「それは大丈夫です。そうなると思ってましたし」
「うむ、助かる。
では、日程を決めよう。
向こうの担当者と予定を合わせて、2週間後に出発という段取りでどうだろ?」
「大丈夫です。
では、それまでに準備しますね。
みんなも大丈夫?」
「ええ、問題ない」
「僕も大丈夫」
「拙者もよいですぞ」
「ありがとう。では2週間後によろしく頼む」
柳太郎が頷き、お茶に手を伸ばした。
その横顔が、少しだけほっとしているように見えた。
* * *
その2週間を、4人はまったく無駄にしなかった。
週に3回ほどのペースで異世界に渡り、冒険者ギルドで依頼を受けた。
最初はレムレーと呼ばれる低位の悪魔の駆除、次は畑を荒らすアンケグの討伐、そして町の外れに棲みついたオウルベアの番の排除。
どれも派手さはないが、着実に異世界での立ち回りを磨ける案件だった。
「慣れてきたな」と武虎が言ったのは、4回目の依頼を終えた帰り道のことだ。
「まだまだ」と真弓が返す。
「あの牛のやつ、初動で躱しそこねた」
直哉は2人の会話を半分聞き流しながら、歩きながらイチカに声をかける。
『この2週間で、4人の連携もだいぶ変わりましたね』
「そうだな。
連携も大分よくなったし、合体技も様になってきたしな!」
『陽平様の後方支援が安定してきているのが大きいです。
直哉が前に出やすくなりました』
「確かに。陽平がいると、雰囲気が変わるんだよな」
1度、ギルドの勧めで解体にも挑戦した。
モンスターを倒した後、有用な素材を取り出す技術だ。
現地の解体師に基本を教わり、4人で試みたのだが、これがなかなか上手くいかなかった。
「もうやめようよ!
臭いし、生暖かいし、気持ち悪い」
陽平が叫んだ。刃を持つ手が震えていた。
「私も無理」
真弓が早々に諦め顔をした。
これだけ戦闘では平然としている真弓でも、解体は別らしい。
「なあ、何とかできる魔道具とかあるんじゃねーか?」
「たしかに!
なかったとしても、ヤスが作れるかもな」
2週間が経つ頃には、4人はそれなりに異世界での行動に慣れていた。
完全に馴染んだとは言えないが、初めて渡った時の緊張感とは確実に違う。
異世界の空気も、人々の話す言葉のテンポも、少しずつ自分のものになってきていた。
* * *
2週間後の出発当日、集合場所は霞が関のとあるビルだった。
地下鉄の出口を出ると、周囲には省庁のビルが立ち並んでいる。
柳太郎に案内されて入ったのは、表向きは何の看板も出ていないビルの一室だった。
部屋の中には、すでに3人の男性が待っていた。
「はじめまして。ダンジョン課の田所と申します」
田所修一郎。
年齢は40代前半といったところで、眼鏡の奥の目が落ち着いた光を持っている。
スーツの着こなしは整っており、声には官僚特有の慎重さがある。
柳太郎に向けた会釈は礼儀正しく、4人に向けた視線には、若者への驚きが少しだけ滲んでいた。
4人が順に名乗ると、田所は1人ずつに丁寧に頭を下げた。
「みなさんのことは柳太郎さんから伺っています。
今日はよろしくお願いします」
会議室の隅には着替えが用意されていた。
異世界での服装だ。
直哉たちはすでに勝手を知っており、さっさと着替えを済ませる。
田所は用意された現地風の服を手に取り、しばらく眺めてから静かに着替え室へ向かった。
全員が異世界の服装に整ったところで、直哉はホルダーを確認し、イチカに転移の準備を告げた。
「準備いいか」
『はい。いつでも』
「では行きます」
直哉が宣言すると同時に、部屋の空気が変わった。
床と壁の境界が淡く滲み、光の膜が広がっていく。
田所が「え」と声を上げ、一歩後退した。
その瞬間、視界が白く弾けた。
立ち会っていた別の役人が、後に記録に残したのはこうだ。
「5名は一瞬で消えた。
煙も音もなく、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように」
* * *
着地したのは、いつもの場所だった。
アル・テラスの草原。
町の外れ、人気のない緩やかな丘の上。
風が草を揺らし、遠くに町の建物が見えた。
「……本当に、来た」
田所が震える声で呟いた。
膝が少し曲がっていた。
倒れるほどではないが、それに近い動揺が全身に出ていた。
眼鏡を掛けなおし、ゆっくり深呼吸する。
それから、顔を上げて空を見た。
「空の色が、違う」
「そうですね。ちょっと青が深い気がします」
「空気も違う。なんというか……濃い」
「慣れますよ」
俺も最初こう思ったんだよな、と思いながら答えた。
「歩けますか?」
「はい。大丈夫です」
田所はポケットから小型のビデオカメラを取り出し、震える手で録画を開始した。
草原を映し、空を映し、遠くの町を映した。
「入場料は俺たちが払います。その分は後で精算で」
「ありがとうございます。……本当に、ここは」
田所は言葉を続けられなかった。
カメラが少し揺れた。
* * *
町への道を歩きながら、田所はほぼ無言でカメラを回し続けた。
町の入口、門番、行き交う人々、石畳の道、露店に並ぶ見慣れない食材、看板の文字。
それらすべてに、田所は息を呑んだ。
「これは……魔石ですか」と露店の前で田所が聞く。
「そうです。小さいやつですけど」
田所はカメラを向けながら頷き、何かをメモした。
拠点となる物件を探すのはその日の午後だ。
4人はギルド近くの宿に部屋を取り、田所と不動産を扱う商人のもとへ向かった。
紹介されたのは、冒険者の拠点としても使われる2階建ての物件だった。
1階に広間と台所と倉庫、2階に個室が8つ。
中庭もある。
価格は現地通貨で換算すると、日本円にして600万円ほどだった。
「この値段で、この広さとは……」
「地価、違う」
「購入しましょう。お金はここに」
田所が事前に換金済みの現地通貨の袋を差し出した。
直哉がそれを受け取り、商人に手渡す。
契約書に田所が名前を書き、商人がうんうんと頷いた。
物件の鍵を受け取り、4人と田所で内部を確認した。
広間に立った田所は、カメラを下ろしてしばらく部屋を見渡した。
「では、みなさん。予定通り、私はここで2日ほど調査します。
3日目に日本に帰りますので、帰りはよろしくお願いします」
「わかりました」
* * *
3日後、直哉は1人で物件に向かった。
田所は戸口の前に立って待っていた。
手にはいくつかの荷物と、小型カメラが入ったケース。
顔には疲労の色があったが、目は充実していた。
「お待たせしました」
「いえ。時間通りです」
田所が頭を下げる。
「……充実した3日間でした」
「どうでしたか」
「どうか、と問われても。
いろいろありすぎて、言葉が足りません」
田所は少し苦笑した。
「ただ、これは本物だと確信しました。
そして、日本はすぐに動くべきだとも」
転移は来た時と同様に、人気のない丘の上で行った。
白い光が弾け、2人は霞が関の部屋に戻った。
待機していた職員が立ち上がり、田所に近づいた。
田所は眼鏡を直し、カメラのケースを抱え直した。
「ただいま戻りました」
直哉はそれを見届けてから、静かに頭を下げた。
* * *
翌週、田所が上げたレポートは、担当局長の机に届いた。
局長の名は奥野哲也。
六十代の初めで、省内では「判断が早く、情に厚い」と評される人物だった。
レポートを読み始めて、最初の3ページで奥野は眼鏡を外した。
机の上に置き、こめかみを押さえた。
それから読み続けた。
最後のページを閉じた時、しばらく天井を見上げた。
「……これは本物か」
「田所が現地でカメラに収めた映像もあります」と部下が言った。
「見せろ」
映像を見た。
草原、空、町の路地、人々の顔、魔石の露店、拠点の物件、現地で交わされた会話。
すべてが、どんな映画よりも「現実らしく」見えた。
奥野は腕を組み、しばらく黙った。
(あの若者たちを、うまく使えないか)
頭の片隅にその考えが浮かんだのは事実だ。
国として、これほどの情報と通路を持つ者たちを野放しにしておく手はない。
うまく管理し、誘導し、国益に沿う形に組み込む。
それが行政の論理だった。
だが奥野はそこで止まった。
柳太郎の紹介だ。
柳太郎が橋渡しをしているということは、その信頼関係を壊せば、すべてが終わる。
そして、彼らは今のところ非常に協力的だ。
隠しているふうもなく、危険を冒してでも国と連携しようとしている。
力で押さえることよりも、信頼で結ぶことの方が、長く、強い。
「田所、引き続き窓口をやってくれ。
丁寧に、彼等と信頼関係を作るんだ。
彼らが動きやすい環境を整えることを優先するんだぞ」
「わかりました」
「それと」
奥野は立ち上がり、窓の外を見た。
「次の訪問の日程を早めに組んでくれ。今度は複数人で行かせたい」
霞が関の窓から、夕暮れが広がっていた。
アル・テラスの空とは、少し違う色をしていた。




