過去示す時計・2
「リア?」
ふと、横を見たら、いるはずの人物がいなかった。
「ガイエン、リアは?」
「シリス、リアはどうした?」
二人同時に同じ主旨の質問を相手にしてしまって、またも同じように、眉根を寄せて相手を見据える。
「見てなかったの?」
「見てなかったのかよ」
再び同じような言葉を同時に口にした後、シリスは額に手を当て、ガイエンは渋面になった。
「……やべぇな」
「…………」
「まんまとやられた」
「………………」
「周り警戒しといてリア攫われてちゃ本末転倒じゃねぇか」
なぁ、とシリスに声をかけるガイエン。シリスは射殺せそうなほど鋭い視線でそんな彼を見遣った。かなり殺気立っている。
「………………うるさいな。無駄口叩いてる暇があったら」
「リア攫った犯人を探せ、だろ」
シリスの言おうとした言葉を先取りして、ガイエンは笑った。――見えざる相手に、宣戦布告するように。
「言われなくても、やってるっての」
紫暗の瞳が好戦的に煌めく。
瞬間、二人から数メートル離れた何も無いはずの空間が燃え上がった。
「……へぇ、ちょっと見くびってたよ、主なしの黒炎」
涼やかな声が、突如その場に下りた。
「ごめんね?」
何の前触れもなく現れた彼は――それ自体が光を放つような淡い銀色の髪を揺らして、ガイエンに笑いかけた。
「……ティー、ラ…………!?」
らしくもなく動揺を露にした声音に、ガイエンは自身と主を同じくする同朋を見る。
視線の先のシリスは目を見開き、呆然と目の前に立つ人物を見ていた。
「ふふ、おはよう、シリス。またこうして会えて嬉しいよ」
まるで恋人に向けるかのような甘やかな笑顔を浮かべ、ティーラと呼ばれた人物はシリスに視線を向けた。黒真珠を彷彿とさせる美しい瞳に、抑えきれない喜びが現れている。
「キミが眠りについてから、ずっとずっと目覚めるのを心待ちにしてたんだよ? きっとキミは目覚めるつもりなんてなかっただろうけど……ほとんど諦めかけていた頃に、キミが目覚めたのを感じて。ちょっと遅くなったけど、会いに来たんだ」
とても愛しそうに、嬉しそうに、そう語る彼に、やっとシリスは言葉を返す。その声は何のためか……震えていた。
「……俺に、会いに?」
「そう、会いに」
笑みを深めながらの彼の言葉にシリスは小さく息を呑み、そして――意を決したように、口を開いた。
「じゃあ、この領域は……君の創ったもの、か」
「もちろん、そうだよ?」
二人のやりとりを訝しく思いながらも傍観していたガイエンが、即座に反応した。
「おい! それじゃあリアを攫ったのやっぱりお前か!」
自分の探索でほぼ確信を持っていたものの、シリスの知り合いらしい人物を問い詰めるわけにもいかず黙っていたのだ。
しかし確証が取れれば話は別。
「何が目的だ。どうしてリアを攫った? わざわざこんな領域を作りやがったのはなんでだ!」
詰め寄るガイエンにティーラは顔をしかめる。
シリスは、それをただ黙って見ていた。
「うるさいなぁ。ボクは今シリスと話してるのに。……ま、いいや。一応君の初めてのマスターってことになるんだもんね。気になるよね? ……キミのマスター……えーとリアラとかいったっけ? 攫ったのは、それが必要だったから。領域を作ったのは、誰にも邪魔されないためと、その方が都合が良かったからだよ。ね? シリス」
と、シリスににっこりと笑いかける。しゃら、と首にかけられた鎖が鳴った。シリスは未だ、沈黙したままだ。
「結局目的はなんなんだよ。シリスの知り合いとはいえ、攫ったってのを否定しなかったってことは、なんかあるんだろーが。おふざけじゃなさそうだしな」
怒気をはらんだ声音にも怯まず、ティーラはガイエンに視線を戻して、答えた。
「目的なんて、ひとつだけだよ。シリスがあのリアラとかいうやつとの契約を解いて、自由になること。そして、あの鮮やかな力を取り戻すこと。それだけ」
「………………は?」
予想外の言葉に、ガイエンは言葉を失った。
そんなガイエンの前に、すっと立った人影があった。……シリスだ。
「俺は、俺の意思でリアと契約を結んだ。ティーラがどうこう言う問題じゃない。前も、言ったはずだ」
「僕も言ったはずだけど? キミはキミに相応しい人間としか契約を結ばないでって。キミの力が損なわれるなんてあっちゃいけないし、もしそんなことになったら、ボクはその原因をなんとしてでも取り除くよって」
一瞬、ティーラの瞳に残酷さが垣間見え、ガイエンは不吉な予感に駆られた。
「お前……ッ! リアに何もしてないだろうな!?」
「まだ何もしてないよ。さっき捕まえたばっかりでそんな暇なかったし。……まぁ、何かするかどうかは、シリスの返答次第なんだけど」
そう告げて、表面的には無表情なシリスに、問う。
「契約、解消するよね?」
それ以外の返答など許さない、と暗に示しながら、彼はシリスを見つめる。
数十秒か、数分かの後。張り詰めた沈黙を、シリスの声が破る。
「……できない」
その言葉が響いた瞬間、始終笑んでいたティーラが、初めてそれ以外の表情を表した。
「どうして!? なんで、なんでなんで! 何であんなのとの契約解消しないの!? だって役立たずじゃない、自分で力も使えないし、〈呼び声〉しか強くないし! 全然エレナに及びもつかないじゃないか! しかもシリスと主なしの黒炎を同列に扱ってるんだよ!? 別にいいじゃんあんなやつとの契約なんて!」
それは、怒りと悲しみとが混ざり合った表情だった。彼は何かに対し悲しみ――そしてシリスの返答に憤っていた。
シリスはそんなティーラをただ、静かに見ていた。
「――許さない、許さない! あんなやつなんていなくなれば良いんだ!」
そう、叫んだ瞬間。ティーラは喚くのをやめた。「ああ、そっか」と、小さく呟く。
「そっか、そうだよ。いなくなれば良いんだ。いなくなれば契約は解除されるし、あの煩わしい〈呼び声〉も消える。……そうだった。シリスは優しいから、エレナとの約束を破れないし、一度契約したやつを見捨てるなんて出来ないんだった。だからいつも、ボクが助けてあげたんだ」
ぶつぶつと呟いて、彼は再び笑った。邪気のない笑みは、狂気に彩られていた。
「待ってて、シリス。すぐ解放してあげるから」
そして、彼は。現れたときと同様、突如消え去った。
あとには、硬い表情のシリスと、戸惑いを隠せないガイエンだけが残される。
「……おい、どういうことだよ」
「君が見て、聞いたままだよ。ティーラは……リアを、殺しに行った」
「……ッな……!?」
シリスの放った言葉に、ガイエンは驚愕し――次いで、衝動に任せてシリスに掴みかかった。
「それわかってて、お前あいつを止めなかったのか!? 何考えてんだよ、お前リアの『守護聖霊』だろ! 『守護聖霊』ってのは主を守るためにいるんだろうが! その『守護聖霊』が主を危険に晒す原因になって、しかもそれを黙認するだなんて笑い種にもならねえぞ! お前それでもリアの『守護聖霊』かよ!」
「……っじゃあどうしろっていうんだ!? どう考えても勝てるはずのない勝負をして何になる! 俺だって……俺だって出来るんならとっくにティーラを止めてる、止められる方法があるんだったらこっちが聞きたいくらいだ! リアを……二の舞にさせるつもりは、なかったのに……!!」
常になく、感情的に放たれたその言葉。それを理解したガイエンは戦慄した。
「二の舞って。お前、もしかして今までの主も……?」
問い掛けるつもりはなかった。もし本当にそうならば、問いに答えさせることは古傷を抉るようなことだと、ガイエンにだってわかっていた。
けれど無意識にこぼれた言葉は、問いの形を――とってしまった。
「……ああ、そうだよ。リアの前の主も、その前の主も、その前の前の主も……ずっと、気が遠くなるくらい昔の、主も。……みんな、ティーラに殺された。……俺は、誰一人――守れなかった」
俯いたシリスの表情は、窺い知れない。きつく握り締められた拳が、かすかに震えていた。
「………………」
何も言えず、ガイエンは空を仰いだ。
未だ時を止めたままの空間で、空はまるで一枚の絵のようだった。それを眺めながら、ガイエンは先ほどのティーラの叫びを反芻する。
と、聞き慣れない名前があったことに気付く。
「……シリス、『エレナ』ってのは誰だ? ティーラの野郎の言葉からするとお前の主だったんだろ?」
ゆっくりとシリスが顔を上げる。さらりと、水色がかった銀の髪が揺れた。
「エレナは……俺の九人目の主だ。そして同時に、ティーラの初めての主でもある」
「アイツの?」
「そう。ティーラが唯一認めた『主』、それがエレナ。類稀なる『主』としての資質を持ち、自身で『力』をも使うことができた。ただ人の領分を越えた力のために、命が削られ、契約を交わしてそう経たないうちに――死んだ。……ティーラはエレナを慕っていたから。だから新しく主を選ぶ俺を許せないのかもしれない。だから――エレナを越えるほどの主じゃなければ駄目だといって、俺の主を認めないんだろう」
悲しげにブルーの瞳を伏せて、シリスは口を閉じた。
ガイエンはそんなシリスを見て、「ああもうなんなんだよ」と言いたいのを必死で堪えた。
確かに、同情の余地はある。慕っていた主が死んでそれが悲しいのもわかる。
自分だって、リアラがもし死んでしまったら、何をするかわからない。
けれど。
「いくら慕ってたからってよ、それを理由にお前の主を殺すのは変じゃねぇの? お前はお前だろ。ティーラが、その主を忘れられないとかそういう理由で他の主を選ぼうとしないならまだわかるけど。だってお前とティーラはただ単にその……『エレナ』?を主として共有してただけだろ?」
「いや、それだけじゃ、ない」
無理矢理感情を抑えつけているような無機質な声音で、シリスはそう言った。
ガイエンは無言で続きを促した。
「……ティーラに力の使い方を教えたのは俺なんだ。だからだろうけど、ティーラは俺を異常なほど慕ってる。エレナがいた頃はともかく、死んでからは盲目的と言っていいくらいに。……俺にも、どうしたらいいか分からないんだ。ティーラの力は強い。君も感じただろう? ……あの力を、暴走させるわけにはいかない。どんなことであろうと、そのきっかけになるようなことを起こすわけにはいかないんだ」
シリスの言葉を、ガイエンは黙ったまま聞いていた。時折ほんの少し眉根を寄せたりしながらも、黙っていた。
……が。
「だから……俺は、ティーラを止められない」
そうシリスが言った瞬間、ガイエンはピクリと肩を揺らし――。
「ふざけたことぬかしてんじゃねぇよこの根性なし!!」
渾身の力を込めた右ストレートを、シリスに見舞った。
まったく予想していなかったのだろう、シリスはいっそ天晴れと褒め称えたくなるくらい見事に吹っ飛び、倒れた。
そんなシリスを睥睨しながら、ガイエンは言い放つ。
「お前な、なぁにぬるいことぐだぐだ抜かしてんだよ! ってか実はお前シリスじゃないだろ、どっかで入れ替わっただろ? んな弱気なこと抜かすシリスなんて有り得ねぇって! ……おお鳥肌立っちまった」
「……ッ何するんだ!」
殴られた頬を手で抑えながら立ち上がり、非難するシリス。
しかしガイエンは悪びれた様子もなく不敵に笑った。
「何だよニセモノくん。目障りだから消えろよな」
「誰が偽者だって? 君の目は節穴?」
「え、ニセモノじゃないのか?」
ガイエンは心底嫌そうに顔を歪めた。
「じゃあ今までの馬鹿みたいな発言全部シリス本人の言葉なのか……うわ、じゃあ俺これから馬鹿と一緒にリアの守護聖霊やらないといけないのかよ。リアが馬鹿菌に感染しないように見張ってないとな。使命重大だ」
「……何好き勝手言ってるのかな、ガイエン?」
底冷えするような声がシリスの口から漏れた。
自分が馬鹿だなどと言われるのは言ったのが誰であろうと我慢できないが、とりわけこの目の前の男に言われるのは気に食わない。
「馬鹿に馬鹿って言っただけだろ。事実じゃねぇか。……俺、お前は根性悪くて腹黒で自信過剰でナルシストで子供で独占欲強くて長年生きてるわりには全然中身成熟してないけど、さすがに馬鹿じゃねぇだろって思ってたんだよ。でも、間違いだったみたいだな。もういっそ救いようがないくらい馬鹿だったんだな、お前。馬鹿選手権大会とかあったらぶっちぎり一位とれそうなくらいの馬鹿だったのか。全然気付かなかったぜ……」
しみじみと呟き、溜息を吐くガイエン。
だが好き放題言われたシリスが黙っているはずもない。
「随分なこと言ってくれるね。俺が馬鹿だって? 誰に言われようと君にだけは言われたくないね」
ガイエンはシリスを馬鹿にしたような目で見遣り、再び深々と溜息を吐いた。
「自覚症状なしかよ? 絶望的だな。『馬鹿は死ななきゃ治らない』って言うけど、多分死んでも治らないんじゃねぇの?」
その自分を心底馬鹿にするような言葉に、シリスの堪忍袋の緒はプッツンと切れた。
そしていっそ爽やかとも形容できるような笑顔を浮かべる。……ただし瞳は笑っていなかった。
「本当に失礼だね君。君こそ一回死んでくるといいよ。そうすればその人を馬鹿にするしか能のない頭も少しはマシになるんじゃない?」
清清しく言い切ったシリスに負けず劣らず爽やかな笑顔――シリスよりは毒々しいものが含まれていない――で、ガイエンもまた言う。
「死んだらリアと一緒にいられないからお断りだな。リアが死ぬときになら一緒に死んでもいいけどな」
「何寒いこと言ってるのかなガイエン。その戯言しか吐かない口閉じないと本気で消すよ?」
「やれるもんならやってみろよ。……ま、そこまで馬鹿じゃないだろ?」
「そんな時間の無駄になるようなことしないよ。今最優先すべきことは――リアだ」
「その通り」
シリスの言葉に、至極満足げにガイエンは笑った。
その顔を見て、シリスはガイエンがわざと自分を煽っていたことに気付く。
突然のティーラの来訪。それによって動揺し、冷静さを欠いていた自分。
その自分を挑発することで、本来の調子を取り戻させようとしたのだと。
「……まったく、余計なお世話だよ」
小さく、呟いた。ガイエンの手を借りなければならないほどに動揺した、情けない自分に苦笑する。
「ん? なんか言ったか?」
「いや、なにも?」
本当に聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふりをしているのか――問うガイエンに素知らぬ風に返して。
「そうか? ――それじゃ、姫さん奪還と行きますか」
散歩に行こうと誘うかのように軽く、しかし強い意志を込めて告げられた言葉に、強く頷いた。




