過去示す時計・3
「はやく、消さなくちゃ。シリスのために――」
狂気のちらつく瞳を虚空に向けたまま呟く、淡い銀の髪を持つ人物――ティーラ。
自らの創った空間に転移した彼は、意識を失った状態で空間に転がされているリアラに近づく。
「はやく、はやく、はやく――こいつを消さなくちゃ。シリスを助けてあげなくちゃ」
ぼんやりとした様子で、ゆっくりとリアラの額に手をかざした。
「消して――シリスを解放してあげるんだ」
柔らかな仕草でリアラに触れ――そして、力を行使した。
* * *
気付けば、あたしは真っ暗なところにいた。
自分の姿だけが妙に浮き上がって見える以外には、どこまでも続く漆黒の闇しか見えない。
……どうして、こんなところにいるんだっけ?
疑問に思った途端、記憶が途切れる寸前の出来事が脳裏に閃いた。
――そうだった、あたしは『捕まって』しまったんだ。あの深い深い黒の瞳を持つ人に。
シリスとガイエンはどうしているだろう。突然消えただろうあたしを探しているだろうか。
喧嘩してないといいんだけど……。
そんなことをつらつら考えながら、あてどなく歩く。自分の歩くそこが、本当に地面なのかなんて分からなかったけれど、とにかく歩いた。
ぼうっとしているよりはいくらか建設的な気がしたのだ。
どれだけ歩いただろう。
行けども行けども闇しかなくて、予想通りではあったけど、さすがに疲れてきた。
少し休もうかと思ったそのとき、あたしのいる空間に、異変が起こった。
水面に波紋が浮かぶように――闇が、ゆらめいた。
波状に広がったそのゆらめきは、あたしの身体に触れるとふわりと反転した。そうして後続の波紋にぶつかり、相殺して――。
相殺の起こったその場所が、ぽう、と発光した。
『どうして――』
小さな、声が聞こえた。泣きながら紡がれているらしい、濡れた声。
発光したその場所を始点に、あっという間に鮮やかな色彩の景色が広がる。
それが誰かの記憶なのだと、誰に教えられずとも、わかった。
〈彼〉にとって、忌まわしいとともに、とてもとても愛しい記憶――。
『どうして、みんなボクを嫌うの?』
淡い淡い銀の髪と、雪のように白い肌を持つ少年が、蹲って泣いていた。
神殿のような建物の陰。豊かに緑が茂る中、ぽっかりと開いた空間に、ひとり。
『ボク、何もしてないのに。〈力〉の使い方がわからないからいけないの? 〈できそこない〉だから? 〈属性〉って、なに? ボクは、いちゃいけないの――?』
答えをくれる人はいないのに、〈彼〉は疑問を口にする。
あたしもよく知っている――〈彼〉の抱いているだろう気持ち。
何が、悪いのか。何をすれば、認めてもらえるのか、……好きになってくれるのか。
答えの出ない疑問は、自分を蝕むだけで。
自分の何もかもが、悪いのではないかと。生まれてきたそれ自体が、間違っていたのではないかと――そう、考えてしまう。心が、闇に傾いていく。
思わず駆け寄って、触れようとした。けれど、伸ばした手は虚しく<彼>の身体をすり抜けるだけで。
何もできないあたしの目の前で、ただ記憶は再生されていく。
『聖霊は、〈力〉を使えて当たり前、なんだよね……? じゃあボクって聖霊じゃないのかな。……もしそうなら、ボクはどこに行けばいいのかな』
〈彼〉が呟く。黒真珠の瞳には、諦めと――絶望。
このままでは駄目だと思うのに、あたしは〈彼〉に干渉できない。
だってこれは『記憶』だから。既に過ぎ去った出来事だから。
『――ああ、こんなところにいたんだね』
唐突に、声がした。
と同時に、ふわりと誰かが<彼>の前に降り立つ。
〈彼〉はびくりと身体を震わせて、警戒の瞳をその人物に向ける。
『初めまして、ティーラ。俺はシリス。風の聖霊だよ』
水色がかった銀髪と、アイスブルーの瞳。優しげに笑むその人は、間違いなくシリスだった。
驚き過ぎて声も出ないあたしの目の前で、二人は言葉を交わし始める。
『……お兄さんのこと、知ってる。〈風の源〉〈原初の聖霊〉……みんなあなたのこと、すごい聖霊なんだって言う』
『別にすごくはないんだけどね。ただちょっと早く生まれただけで。噂ばっかり一人歩きして俺も困ってるんだ』
そう言って微笑するシリスに、〈彼〉の警戒が少し弱まったのがわかった。
〈彼〉は不思議そうにシリスを見上げる。
『お兄さんは、ボクが嫌いじゃないの? 〈属性〉のない聖霊なんだよ、ボク。みんなボクのこと怖がるよ、気味が悪いって言うよ。不吉なんだって』
無邪気に投げかけられた言葉に、シリスは一瞬戸惑いを見せたけど、すぐに苦笑を浮かべた。
『俺は君のことが怖くないし、気味が悪いとも、不吉だとも思わないよ』
そんなシリスの言葉に、〈彼〉は疑いのまなざしを向ける。
『ほんと? 嘘ついてるんじゃないの? 誰かに頼まれて、僕を消しに来たんじゃないの?』
あどけなさが残る〈彼〉の口から出るには、あまりに似つかわしくない殺伐とした科白だった。
『……違うよ。俺は、君に力の使い方を教えに来たんだ』
ふわりと、悲しそうにシリスは笑った。〈彼〉は首を傾げる。
『教えてくれるの? みんな「力の使い方は知ってるはずだ」って言ってたよ。聖霊って最初から〈力〉を使えるものなんでしょ? 教えることってできるの?』
『うん、俺も力の使い方を人に教えたことはないよ。だからわかりにくいかも知れないけど……一緒に頑張ってみよう?』
そうして手を差し伸べたシリスに、〈彼〉は満面の笑みを浮かべた。
『うん!』
瞬間、景色が塗りかえられる。次に広がったのは、やわらかな日差しが降りそそぐ、花畑だった。
『シリスの主ってどんな人?』
少しだけ面立ちの大人びた〈彼〉が、隣を歩くシリスに尋ねた。
『どんなって言われても……そうだね、一言で言うなら「目を離せない人」かな。すぐ無茶をするから』
『ふぅん……シリスが守護聖霊してるくらいだから、すごい人なんだよね?』
『うーん、すごい……のかな。確かに力は強いけど』
『そうなの?』
『そうなんだよ』
苦笑しながら答えるシリスと、首を傾げる〈彼〉。
そして――〈彼〉は邂逅する。出会うべくして、出会う。
『初めまして、よね? わたしはエレナ。一応シリスのマスターよ』
月を彷彿とさせる美しい金髪。森の息吹を感じるようなエメラルドの瞳。雪のように白い肌を惜しげもなく太陽の下に晒している、まだ幼げな風貌の少女が、にっこりと〈彼〉に笑いかけた。
また、場面が変わる。
浮かび上がった景色は、蝋燭の炎がゆらめく、古びた館の一室だった。
金の髪の少女と、蒼の瞳の青年。二人は静かに、言葉を交わしている。
『多分、力の使い方がわからないっていうのは、力の使い方が決まってないからだと思うの』
『……エレナ、それはどういう意味?』
『だからね、普通聖霊っていうのは属性があるでしょう? でもティーラの属性は決まってないの。属性が決まってないから、力を使える形もわからない。……つまり、属性さえ決まれば――ううん「決めれば」、ティーラは力の使い方がわかるはずよ。まぁ、少しは教えないといけないかもしれないけど』
少女の言葉に、シリスは「……わかった」と言葉を返す。
『でも……属性を決めるって、どうやって? 聖霊にとって〈属性〉は決まっているものだから、属性の決め方なんてわからないよ?』
『簡単でしょう?』
何を言うのか、とでも言いたげに少女がシリスを見上げる。
『属性は、力の性質。そして媒体よ? ……それを示せばいいの。方向さえ示せば、あとは勝手に力がそれに合わせるから』
当然の道理を説くように紡がれた言葉に、小さくシリスが笑った。
『……本当に、エレナはすごいな。「守護聖霊」の面目丸潰れだ。一応これでも、結構長く存在してるんだけど』
『生きてきた長さと中身とは、比例するものじゃないでしょう?』
『あはは、これは手厳しいな。事実だけどね』
そう言って、笑う。穏やかに、満ち足りたように。
――あたしは、知らない。こんな風に笑うシリスを。
あたしが見たシリスの笑顔は、いつでもどこか悲しげだった。初めて会ったときでさえ、シリスは嬉しそうな笑顔の裏に悲しさを秘めていた。
そう、ずっと。シリスは悲しそうだった。寂しそうだった。
あたしを通して、誰かを見ていた。
時々誰かを悼むように向けられる視線に気付かなかったわけじゃない。……シリスは、自分がそんな瞳をしているなんて思ってもいなかっただろうけど。
……あれは、置いていかれた人の瞳だ。大事な大事な、その人さえいれば他に何もいらないほどに大切な人が、いなくなってしまった人の瞳だ。
――あの瞳を、あたしは知ってる。
『それで、媒体は?』
『力はどの属性でも問題ないけれど、ティーラに向いてそうな属性にしたほうがいいわよね……。多分火は向いてないわ。風か水か……「移りゆくもの」のイメージがあるの』
『ああ、確かに。聖霊は多少性質が外見に表れるし……ティーラは銀髪だから、少なくとも〈明〉の括りには入らないだろう。……〈透〉かな? でも瞳の色からすると〈暗〉でもいいかもしれない』
『シリスが〈風〉だし、できれば別の属性の方が……』
少女の言葉に、シリスは思案げに眉根を寄せる。
『じゃあ、〈水〉……だろうか。黒は水の気を持つし』
『そうね……でも、何かもっと象徴的な――そうだわ!』
俯いて考え込んでいた少女が、不意に顔を上げた。
そんな彼女にシリスは首を傾げる。
『何かいい考えでも?』
『……〈時〉がいいわ。水と同じように流れゆくもの。それでいて風のように留まることなく、変わりゆくもの』
『〈時〉の聖霊? 今までそんな聖霊がいたためしはないけど……』
『大丈夫よ。直感だけど……ティーラは〈時〉の聖霊が一番合うわ。媒介にも、いいものがあるし』
そう言って、少女は小さな抽斗を探る。
探り当てた品物を、にっこり笑ってシリスに差し出した。
『…………懐中時計?』
『綺麗でしょう? ……ティーラが来た記念に、何かおそろいのものを贈ろうと思って。街に探しに行ったときに一目惚れして買ってきたの』
はいこれシリスの分ね、と渡された品に、驚きを滲ませるシリス。
『……守護聖霊に贈り物をする主なんて初めてだよ……』
照れたように苦笑して。
ありがとう、と嬉しそうに笑う。
それはとても、幸福な。――彼にとってしあわせな、ときだったのだ。
暗転。そしてまた、『過去』が紡がれる。干渉できない、もう終わった物語。
どうして、こんなものが見えるのだろう。誰がこれを見せているんだろう。
……あたしに、どうして欲しいと言うのだろう。
『ごめん、ね……シリス。もう、少し、くら、い……一緒に、いられ、る、と思、てたん……だけど』
荒い息の下。ベットの中で、少女は言う。
唇を笑みの形に歪め、瞳には、涙を湛えて。
『エレナは謝らなくていい……俺こそ、ごめん。気付かなくて』
『ふふ……それ、は、シリスのせいじゃ、ないから。隠してた、のはわたし、よ?』
『それでも、ごめん。……本当はずっと、辛かったんだろう?』
悲痛な色を湛えた瞳で、シリスは彼女を見る。
少女は、困ったように笑った。
『ねえ、シリス。わたし、しあわせ……だった、わ。シリスに、会えて、……ティーラと、出会って。ひとりじゃ、なかった、から。……一緒のときを、刻める、はず、なくても。一緒に、いられて……嬉しかった、の』
ひとりは、とてもさみしかったから。――そう、小さく呟く。
『だから、シリス。……もし、この先……わたし、みたいに、ひとりの、こ、が……いたら。だれかの、〈呼び声〉が、きこえ、たら。……そのこ、の、ところに、いってあげて、ね?』
シリスはそう言う彼女の手を――小さな白い手を、握り締める。祈るように目を閉じて、そして。
『誓うよ――エレナ。俺は、君に誓う。俺の全存在をかけて、誓う。……孤独に震える魂を見捨てはしない。温もりを欲して伸ばされた手を、握り返すことを。涙の海に沈んだ心を、掬いあげることを。絶望の闇に惑う幼子に、希望の光を指し示すことを。原初より存在する聖霊として、風の始まりとして。何より、エレナ。君の守護聖霊として――誓約しよう』
静かに、けれど確かな意志を持って紡がれた言葉、……約束。
神聖なる儀式のように、シリスは握った彼女の手に額を押し当てた。
『だから、安心して眠っていい。――君の魂に、祝福があらんことを』
『――――ありがとう、シリス。……ティーラに、よろしく、ね』
ゆっくりと目を閉じた彼女の眦まなじりから、雫がこぼれる。ぽう、と淡い光が彼女を包んで。きらきらと光の破片を散らしながら、やがて光は消え去った。
『…………さようなら、エレナ』
ぽつりと呟かれた言葉は、誰に聞かれることもなく、溶けて消えた。
闇。全てを包む、闇と月。静かな景色が、浮かび上がる。
――これが最後の『過去』だと、何故かわかった。
過ぎ去った『過去』を見せた誰かが、このあとに現れるのだと。
月明かりが照らす、深い森の中。よく似た銀の髪を持つ二人が、相対する。
『どうして、あんなことをしたんだ……ティーラ』
悲しみに染まった声で問うシリス。対する〈彼〉は、当然のように答える。
『だって、シリスが新しいマスターなんか選ぶから。エレナに及びもつかないような奴をマスターにするから。……ねぇ、どうしてそんなことするの。どうして進もうとするの。どうして、エレナを置いていこうとするの?』
『それが、エレナの望みだからだ。君にも伝えただろう、エレナの言葉を』
シリスが苦しげに言葉を紡ぐ。
〈彼〉は空虚な表情を浮かべて、そんなシリスを見る。
『忘れるのなんて簡単なんだよ、シリス。覚えているつもりでも、簡単に記憶は薄れる。そして塗り替えられるんだ――新しい記憶に。そうしたら、本当にエレナはいなくなる。だってエレナを知ってるのはボクとシリスだけだから。……エレナは優しいから、それでもいいって言うだろうけど。でも僕は、そんなの嫌だし、認めない。――変わらないでよ、シリス。何も、変わらないままにしておいて。キミの力も、力の上限も。……他の誰かをマスターになんてしないで。エレナの残したものが、消えてしまう』
身勝手な、願い。それを〈彼〉は、気付いているのだろうか。
……気付いて、いるんだろう。気付いていて、それを知らないふりをして、シリスにそれを押し付ける。 自分の愚かさを嫌と言うほど知っていながら、それでも願うのだ。
――――……不変、を。
『変わらないでいることなんて、できない。俺はエレナに約束した。それを破ることはエレナを裏切ることだ。俺はエレナを忘れるわけじゃない。エレナを忘れない為に、エレナとの約束を守る。――俺に唯一できる、エレナへの手向けだ』
シリスの言葉に、〈彼〉はほんの少しだけ口の端を上げた。
それは、自嘲の笑み、だったのかもしれない。
『そう。……わかって、くれないんだね。じゃあボクは、キミがわかってくれるまで、待つよ。でも、キミが新しいマスターを持つことも、変わりゆくことも……認めない。それでも、キミがそれを貫くと言うなら――ボクは、全力で止めるよ?』
〈彼〉は笑った。自嘲ではなく、けれど嘲笑でもなく。ただ、笑った。
シリスはそんな彼を、苦しげに見つめるだけだった。
何も言わず、何もせず、彼が笑いを納め、まるで縋るように一度だけシリスを見、一瞬で姿を消すまでただ見ていた。




