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プロローグ 最初の一音

「――詠瀬真名」


名前を呼ばれた瞬間。


真名は、反射的に顔を上げた。


競技かるたなら、この反応には自信がある。


読み手が息を吸う。


ほんのわずかな間。


最初の一音が落ちる。


その瞬間には、もう手が動いている。


考えるより先に、身体が答えを知っている。


だけど、この日だけは違った。


「次のカップリング曲。センターは詠瀬でいきます」


手も。


声も。


何も動かなかった。


「……え?」


一瞬、意味が分からなかった。


カップリング曲。


表題曲ではない。


Rain Crownの新曲として最初に名前が掲げられる曲ではないし、16人全員で歌う曲でもない。


今回、その曲を歌うために選ばれたメンバー。


その中の――真ん中。


「……私、ですか?」


「そう。詠瀬」


「センター……?」


確認する必要なんてない。


はっきり聞こえていた。


それでも、聞き返さずにはいられなかった。


「真名、おめでとう!」


誰かが声を上げた。


「すごいじゃん!」


「センターだよ!」


拍手が起こる。


真名は慌てて頭を下げた。


「ありがとうございます」


もう一度。


「ありがとうございます」


顔を上げる。


嬉しかった。


本当に、嬉しかった。


だけど同時に、胸の奥へ何か重たいものが落ちてきた。


カップリング。


その言葉だけを聞けば、

表題曲より一歩後ろにある曲なのかもしれない。


けれど。


Rain Crownの名前で世に出る一曲だ。


誰かにとっては、この曲が初めて聴く

Rain Crownになるかもしれない。


誰かにとっては、表題曲より

好きな一曲になるかもしれない。


ライブで何度も歌う曲になるかもしれない。


何年か経ったあと、


「あの曲が好きだった」


と言ってもらえるかもしれない。


その曲の最初の景色を任される。


その真ん中に、自分が立つ。


表題か、カップリングか。


そんなことは、ステージに立った瞬間には関係ない。


真ん中に立つ人間は、一人しかいない。


その一人に――


自分が選ばれた。


急に、手のひらが熱くなった。


     ◇


Rain Crownに入ってから、真名にはずっと答えられない問いがあった。


――あなたの武器は何ですか?


歌なら莉歌がいる。


ダンスなら莉緒がいる。


みんなをまとめる楓花がいる。


そして、人の目を引きつける真姫がいる。


じゃあ、私は?


勉強は好きだ。


競技かるたは得意。


人の話を聞くのも好きだ。


でも、それがアイドルとして何になるのかと聞かれたら、真名には分からなかった。


歌が一番上手いわけじゃない。


ダンスが一番上手いわけでもない。


誰より面白いわけでもない。


誰より華やかなわけでもない。


そんな自分の名前が、


"センター"


の横に書かれた。


それは真名にとって、


「あなたにも、ここに立つ理由がある」


そう言ってもらえたような気がした。


だからこそ。


嬉しいだけでは終われなかった。


「……ちゃんと、やらなきゃ」


誰に聞かせるでもなく呟いた。


せっかく選んでもらった、では駄目だ。


詠瀬真名がセンターでよかった。


そう思ってもらえる曲にしなければならない。


     ◇


最初のレッスン。


スタジオへ入った真名は、床に貼られた番号を見て足を止めた。


中央。


自分の立ち位置。


そして、その後ろには今回の楽曲に選ばれたメンバーたちがいる。


いつもなら、自分より前に誰かの背中がある。


その人を見ながら位置を確認できる。


でも今日は違う。


前には、大きな鏡しかない。


鏡の中。


先頭に、自分がいる。


「……ここか」


小さく呟く。


分かっていたはずなのに。


実際に立つと、怖い。


音楽が流れる。


一曲目。


途中で振りを間違えた。


二曲目。


移動が遅れた。


三曲目。


癖で後ろを確認しようとしてしまった。


「詠瀬!」


先生の声が飛ぶ。


「はい!」


「後ろを見るな」


真名の身体が止まる。


「……はい」


「詠瀬が確認するんじゃない」


先生が鏡越しに言った。


「みんなが詠瀬を見るんだよ」


胸が、どくんと鳴った。


鏡を見る。


後ろにいるメンバーたち。


そして、その一番前にいる自分。


みんなが、私を見る。


自分が遅れれば、後ろも迷う。


自分が小さく踊れば、この曲まで小さく見える。


自分が迷えば――


曲の真ん中が、迷って見える。


センターって。


こんなに怖い場所なんだ。


そう思った。


同時に。


ほんの少しだけ、嬉しかった。


怖いと思えるくらい大切な場所を、


自分に任せてもらえた。


     ◇


帰り道。


真名は電車の中でスマートフォンを開いた。


送られてきた仮のフォーメーション表。


今回の歌唱メンバーの名前が並んでいる。


その中央。


詠瀬真名。


指で、そっと触れる。


何度見ても消えない。


スクリーンショットまで撮った。


消えるわけでもないのに。


「……センターか」


窓に映った自分が、少しだけ笑っている。


この曲が公開されたら。


誰かが自分を見つけてくれるかもしれない。


「この真ん中の子、誰?」


そんなふうに名前を調べてくれる人が、一人くらいいるかもしれない。


そして。


この一曲をきっかけに。


次はもっと大きな場所へ。


次の曲も。


その次も。


少しずつ前へ。


そんな未来を想像した。


悪いことだとは思わなかった。


だって今日。


初めてRain Crownの一曲を、


自分の真ん中から始めることを許されたのだから。


頑張ろう。


この場所に選んでもらった意味を、ちゃんと作ろう。


ここからだ。


ここから、きっと――


何かが変わる。


そう思っていた。


     ◇


それから、少し時間が流れた。


新しい曲が増えた。


衣装も増えた。


ステージも大きくなった。


Rain Crownという名前を知ってくれる人も増えた。


真名がセンターを務めた曲も、ライブで何度も歌った。


イントロが流れれば喜んでくれる人がいた。


自分の立つ真ん中へ、ペンライトを向けてくれる人がいた。


「あの曲が好き」


そう言ってくれる人もいた。


あのセンターは、間違いなく真名の宝物になった。


だからこそ――


その先を、期待してしまった。


けれど。


新しいフォーメーションが発表される。


次も。


その次も。


真名の名前が、大きく前へ呼ばれることはなかった。


誰かが選ばれれば、


「おめでとう」


と言った。


本心だった。


嘘じゃない。


Rain Crownが前へ進むことも嬉しかった。


仲間が見つかっていくことも嬉しかった。


それでも。


いつの間にか真名は、フォーメーション表を見るとき、

自分の名前を探す順番を変えていた。


真ん中からではなく。


後ろから探すようになっていた。


     ◇


ある日の夜。


机の上に百人一首の札を並べながら、真名はスマートフォンを眺めていた。


昔の写真が、偶然表示されている。


あのカップリング曲の衣装。


選ばれたメンバーたちの真ん中で笑う、自分。


少し幼い顔。


今より何も知らなかったくせに。


今より、自分の未来を信じているように見えた。


真名は一枚の札を手に取った。


読み上げアプリから声が流れる。


最初の一音。


ぱんっ。


迷いなく札を取る。


「……簡単」


札なら分かる。


どの音を待てばいいのか。


いつ動けばいいのか。


どこへ手を伸ばせばいいのか。


全部、決まっている。


もう一度、スマートフォンを見る。


真ん中にいる、昔の自分。


あの日。


ここから何かが変わると思っていた。


間違いではなかった。


あの一曲で見つけてくれた人がいる。


自信をもらった。


大切な曲もできた。


センターという景色も知った。


だから。


なかったことになんて、絶対にしたくない。


それでも――


真名はしばらく画面を見つめてから、ぽつりと呟いた。


「……あれが、ピークだったりして」


言った瞬間、自分で笑った。


「なにそれ」


馬鹿みたい。


スマートフォンを伏せる。


次の歌が読み上げられる。


真名は構えた。


一音。


手が動く。


また取れた。


札なら、こんなに簡単なのに。


自分の未来には――


まだ、決まり字がなかった。



ーー続く

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