第六話 銀髪の悪魔と無双の極光
「エレナ……様……逃げ……てください……」
地面にひれ伏し、激痛に耐えながらクリスが声を絞り出した。
「僕が……僕が時間を稼ぎます……あなただけは……」
ボロボロになりながらも、自分を守ろうとする金髪の騎士。
エレナはその姿を見下ろし、小さく微笑んだ。今度の微笑みは、作られた媚びではない。あきれ果てた、本物の笑みだ。
「クリス様。あなたって、本当に救いようのないお人好しですね」
「え……?」
エレナはゆっくりと歩み出た。
泥と毒ガスが充満する空間の中、彼女の履く革ブーツの足音だけが、凛として響く。
「エレナちゃん!? やめろ、死んじまうぞ!」
倒れたマルコが叫ぶ。
巨大な毒蜘蛛が、目の前に立ち塞がった小さな獲物を踏み潰そうと、太い前脚を振り上げた。
ズドオンッ!
地面が砕け散る。
しかし、そこにエレナの姿はなかった。
「——遅いですよ。体ばかり大きくて」
声は、蜘蛛の頭上から聞こえた。
「なっ……!?」
クリスが目を疑った。
エレナが、空中に浮いていたのだ。
銀色の髪が、重力を無視して美しく舞い上がる。彼女の全身から溢れ出すのは、青白く、圧倒的な——神々しいまでの魔力の奔流。神殿全体を包んでいた毒ガスが、その魔力の圧力だけで一瞬にして吹き飛んだ。
「な、なんだあの魔力は……!? 少女一人が持っていい量じゃないぞ……!?」
レックが恐怖で歯をガチガチと鳴らした。
エレナは空中で右手にかざした樫の杖を、まるで指揮棒のように軽く振った。
「さて……静かにしてもらいましょうか。私の『お散歩』の邪魔をしないでください」
冷徹な、氷のような声。
いつも自分たちに見せていた可憐で儚げな少女の面影は、そこには微塵もなかった。そこにいたのは、万物を統べる絶対者——大魔導士の姿だった。
巨大蜘蛛が恐怖を感じ、撤退しようと身体を捻る。だが、すでに遅かった。
「三畳術式連鎖——『極光の檻』」
無詠唱。
蜘蛛の周囲に、数百本の光の槍が出現し、その巨躯を地表へ完璧に縫い付けた。
「グガアアアアアッ!?」
「そして——誇り高き精霊の庭を汚した罪は重いですよ」
エレナは胸元で両手を交差し、ゆっくりと開いた。
「第二位階戦略魔法——『崩界の熱波』」
ドォォォォォォォォンッ!!!!
太陽が降臨したかのような、圧倒的な光と熱。
神殿の中が一瞬で真っ白に染まった。灼熱の熱波が、巨大蜘蛛の細胞という細胞を瞬時に蒸発させていく。悲鳴すら上げる余裕を与えられず、討伐ランクSの魔獣は、わずか三秒で粉微塵となって消滅した。
残ったのは、綺麗に整地された神殿の床と、ポカンと口を開けて空を見上げる男たちだけだった。
フワリ、とエレナが地上へ舞い降りる。
銀髪を軽く手で払い、彼女はいつもの「可憐な少女」の笑みを浮かべて振り向いた。
「ふぅ……間一髪でしたね! クリス様の祈りが、私に奇跡の力を与えてくれたみたいですわ!」
「……え?」
クリスは呆然とした。
「き、奇跡……? いや、今のはどう見ても神級の破壊魔法……」
「いいえ! 奇跡です!」
エレナはクリスの元へ駆け寄り、その手をぎゅっと握りしめた。
「クリス様の『国を救いたい』という強い心が、この神殿の精霊様を動かしたのです! 私の魔法なんて、ほんの少しの手助けに過ぎませんわ!」
目力を強め、完璧なプロパガンダを打ち込むエレナ。
(いいか? お前がやったんだ。お前の成果だ。私を目立たせるなよ? 絶対にだぞ?)
無言のプレッシャーが、赤い瞳から強烈に放たれている。
クリスはその圧倒的な威圧感(と美しさ)に呑まれ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「あ……ああ! そうだ! 精霊様の導きだ! ありがとう、エレナ様……! そして精霊様……!」
(よし、物分りが良くて助かる)
エレナは満足そうに頷き、次に泥だらけのマルコたちへ視線を向けた。
「マルコさん、ガッツさん、レックさん。皆さんもご無事で何よりです」
「ひいっ……! は、はいっ! ご無事であります!」
三人はいま目撃した「悪魔の如き破壊力」に完全に恐怖し、直立不動で敬礼した。
「さあ、宝物も手に入りましたし、帰りましょうか。クリス様、お怪我の治療の続きをいたしますね」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
こうして、過酷を極めた『深緑の顎』での冒険は、一人の銀髪の「少女」の手によって、呆気なく幕を閉じたのであった。




