第五話 古の精霊遺跡と『聖なる杯』
泥沼を抜け出た一行の前に、突如として開けた空間が現れた。
巨木たちの根が複雑に絡み合い、まるで巨大なドームのように天井を覆っている。その中心に鎮座していたのは、白玉石で作られた壮麗な古代建築——『水精霊の神殿』だった。
幾千年の月日を経て、壁面には苔がむし、一部は崩れ落ちているが、漂う魔力の清廉さは外の地獄のような森とは一線を画していた。
「おお……おおお! これだ! これですよ!」
マルコが目を輝かせ、肥満体を揺らして神殿の階段へ駆け上がった。
「金だ! 財宝だ! 骨董品だぁぁぁ!」
「おいマルコ、勝手に走るな! 罠があるかもしれねえだろ!」
レックが叫ぶが、欲に目が眩んだマルコは聞く耳を持たない。
神殿の重厚な石造りの扉はすでに半壊しており、一行は滑り込むように内部へと侵入した。
広間の中央。
噴水を模した台座の上に、青い光を放つ美しい『銀の杯』が置かれていた。そしてその台座の周囲には、眩いばかりの金貨や宝飾品が山のように積まれている。
「黄金だぁぁぁ! 本物の黄金だぞ!!」
マルコが宝の山に飛び込み、金貨を抱きしめて歓喜の声を上げた。ガッツとレックも目を見張り、武器を放り出して金貨をポケットに詰め込み始める。
「これだ……間違いない。『水精霊の聖杯』だ……!」
クリスが震える足取りで台座へ近づき、杯を仰ぎ見た。
「これさえあれば、国王陛下の病を治し、我が国を救うことができる……! エレナ様、見てください!」
「ええ……本当に素晴らしいですわ、クリス様」
エレナは微笑みながら、目ざとく台座の側面に埋め込まれた青い宝石——『古代水魔導石』を見つけ出していた。
(ハッ、馬鹿め。金貨や銀貨なんて持ち運びが重いだけの雑魚財宝だ。本物はこの魔導石。拳大のこれが一粒あれば、金貨千枚以上の価値がある)
エレナはクリスが杯に見とれている隙に、袖口から取り出した小さなナイフで、器用に魔導石を削り出し、自分のポケットへと滑り込ませた。
手際、わずか二秒。完璧な火事場泥棒である。
「よし、目的は達成された! エレナちゃん、クリス様、早くここを引き上げましょう!」
ポケットを金貨でパンパンに膨らませたマルコが、満足げな顔で振り返った。
だが——。
ゴーッ……!
地響きが鳴り響いた。
神殿の天井を覆っていた巨木の根が、まるで生き物のように蠢き始めたのだ。
「な、なんだ!? 地震か!?」
「いいえ……違います!」
エレナが顔色を変えた。
神殿の奥、闇に包まれていた最奥の祭壇から、凄まじい邪気が溢れ出していた。
「聖杯は……精霊の力を抑え込む『封印の鍵』だったのです! それを動かしたことで、この地に眠っていた『腐食の主』が目覚めてしまったのよ!」
「なっ……なんだと!?」
闇の中から姿を現したのは、先ほどの『腐食の大百足』など比較にならない、体長十メートルを超える巨大な毒蜘蛛の化け物——『腐界の王』だった。
八本の脚は丸太のように太く、全身から致死性の紫色の毒ガスを噴出している。その胸元には、無数の人間の髑髏が埋め込まれていた。
「グギャオオオオオオオン!!!」
空間全体を揺るがす咆哮。
「ひ、ひぃぃぃっ! 化け物だぁぁぁ!」
マルコが悲悲鳴を上げ、集めた金貨を撒き散らしながら逃げ惑う。
「クソッ、逃げ道が打たれてるぞ!」
レックが叫ぶ。見れば、神殿の入り口は崩れ落ちた巨木と岩によって完全に塞がれていた。
「退路がない……! ここで倒すしかないのか!?」
クリスが剣を構えるが、毒ガスの影響で膝をつき、激しく咳き込んだ。
「くっ……体が……動かない……! 毒ガスか!?」
「クリス様!」
ガッツとレックも、毒ガスを吸い込んでバタバタと倒れていく。
(チッ……使えない男どもめ! 頼むから土壇場で足引っ張るなよ!)
エレナは心の中で悪態をついた。
残っているのは、自分一人。
相手は推定討伐ランクSの超巨大魔獣。
正攻法で戦えば、自分も無傷では済まない。
(どうする? 『あれ』を使うか? でも、あれを使ったら……私の『正体(超強力な魔法使い)』がこいつらにバレる……)
エレナの脳内で、瞬時に二つの選択肢が天秤にかけられた。
選択肢A:魔法を隠し続け、男たちを見捨てて自分だけ転移魔法で脱出する。
利点:正体がバレない。リスクゼロ。
欠点:クリスの『コネ』が消える。マルコからの報酬(とくすねた魔導石以外の取り分)が消える。
選択肢B:ここで全力を出し、化け物を瞬殺する。
利点:全員救出。クリスからの絶対的信頼と莫大な報酬獲得。名声は男たちに押し付ければOK。
欠点:ちょっと疲れる。
(……はぁ。決まってんだろ、そんなの)
エレナはため息をつくと、儚げな少女の仮面をそっと横に置いた。




