第二十一話 旅立ちの朝と、三つの別れ
魔物の襲撃から、三日が過ぎた。
エレナの圧倒的な魔法によって村は壊滅を免れ、死者は一人も出なかった。 村人たちはエレナを「村を救った英雄」として崇め、感謝の言葉を惜しまなかった。
だが、それと同時に……村人たちの目には、明らかな「畏怖」と「遠感」が混ざるようになった。 自分たちと同じ人間とは思えないほどの圧倒的な力。あまりにも美しく、あまりにも強すぎる少女。この小さなレーベン村という箱庭には、彼女はあまりにも大きすぎたのだ。
義父バルトロも、義母マーサも、それを悟っていた。
「エレナ……お前の行くべき場所は、こんな雪深い村じゃないな」
晴れ渡った冬の朝。村の入り口にある大きな道標の前で、義父は静かにそう言った。 その手には、義父が村の貯蓄から用意してくれた、十分な旅費の入った革袋と、街への紹介状が握られていた。
「お父様……」
「引き止めはしない。お前は我が家の自慢の娘だ。どこへ行っても、元気に暮らすんだぞ」
義母マーサが涙を流しながら、私を強く抱きしめてくれた。手作りの暖かい毛織りのマフラーを私の首に巻きつけてくれる。
「体に気をつけるのよ、エレナ。ご飯はちゃんと食べるのよ……っ」
「はい。お父様、お母様……今まで育ててくださって、本当にありがとうございました」
私は深く、深く頭を下げた。 前世でも感じたことのない、本当の「親の温もり」をくれた二人への感謝は、偽りのない本物だった。
そこへ、二人の人影が駆け寄ってきた。
「エレナっ!」
ライナスとシルヴィアだった。 ライナスは手に、自分が叩き上げて作った小さな銀の指輪(気休め程度の魔除けの効果があるらしい)を持っていた。
「これ……持っていけよ。俺の親父と一緒に作ったんだ」
照れくさそうに指輪を押し付けてくるライナス。
「ありがとう、ライナス。大切にするわ」
「ふん……次会う時は、俺もお前くらい強い男になってやるからな! 街の奴らに負けるなよ!」
「ふふ、楽しみにしているわ」
シルヴィアも目を真っ赤にしながら、私の手を握りしめた。
「エレナ、元気でね……! ライナスのこと、心配しないで。私がちゃんと見張っておくから!」
「ええ、ライナスをよろしくね、シルヴィア」
幼馴染たちとの別れ。甘酸っぱくも青い、子供時代の終わりの匂い。
そして——最後に、一番大切な者が、息を切らせて走ってきた。
「お姉ちゃんっ!!」
ルーカスだった。 大きな薪割り斧を背中に背負い、涙と鼻水をたらしながら、私に向かって一直線に飛び込んできた。
「ルーカス……」
私は膝をつき、ルーカスを正面から受け止めた。
「お姉ちゃん……行っちゃうの……? 本当に行っちゃうの……!?」
「ええ。言ったでしょう? 私は広い世界を見に行きたいの」
「僕も行く! 僕もお姉ちゃんについていく! 一緒に旅するんだ!」
「ダメよ」
私はルーカスの両肩を強く掴み、その瞳をじっと見つめた。
「あなたはここに残って、お父様とお母様を守るの。それが、私の弟としてのあなたの役目よ」
「そんなの……そんなの嫌だぁぁぁッ! お姉ちゃんがいなきゃ嫌だぁぁッ!」
ルーカスは私の胸に顔をうずめ、子供のように声を上げて泣きじゃくった。 私の首に巻かれたマフラーが、ルーカスの涙で濡れていく。
(……くっ、胸が痛むな)
中の人(三十歳男)の決意も、この時ばかりは揺らいだ。 この小さな弟を置いていくのは、胸を締め付けられるような切なさがあった。本気で「連れて行ってしまおうか」という甘い考えが頭をよぎったほどだ。
だが、外の世界は危険に満ちている。魔物も、悪党も、酷薄な人間の欲望も渦巻いている。 私のエゴに、この純粋な少年を巻き込むわけにはいかないのだ。
私はルーカスの顔を上げさせ、その頬の涙を指で優しく拭った。
「ルーカス。私と約束しなさい」
「う……うぐっ……約束……?」
「あなたが大人になって、一人前の男になって……自分の力でこの村を出られるくらい強くなったら。その時は、私を追いかけて来なさい」
私は可憐に、そして世界で一番魅力的なお姉ちゃんの笑みを浮かべてみせた。
「その時まで……私の弟として、恥ずかしくない強い男になっていなさい。待っているわ」
ルーカスはしゃくりあげながら、必死に涙を拭い、力強く頷いた。
「うん……っ! 約束する! 僕、絶対強くなる! お姉ちゃんを追いかけて、今度こそお姉ちゃんを守る騎士になるんだからっ!」
「ええ。期待しているわね」
私はルーカスの額に、そっとお別れのキスをした。
ルーカスの顔が、涙と赤面でぐちゃぐちゃになる。
私は立ち上がり、旅リュックを背負い直すと、皆に向かって一度だけ深く礼をした。
「それでは……行ってまいります!」
振り返り、足早に村の出口へと歩き出す。 背後から、バルトロ義父さんの声、マーサ義母さんの泣き声、ライナスとシルヴィアの叫び声、そして——
「お姉ちゃん! 絶対に追いつくからねぇぇぇッ!」
ルーカスの割れんばかりの大声が、白銀の空へと響き渡った。
私は振り返らなかった。 振り返れば、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。
(……フン。まったく、泣かせてくれるぜ)
私はフードを深ぶり直し、口元にいつもの不敵で計算高き「エレナ」の笑みを浮かべた。
さらば、レーベン村。 さらば、私の温かい箱庭。
ここから始まるのだ。 絶世の美少女の皮を被った、元・三十路システムエンジニアの、波乱と強欲と栄光に満ちた異世界大冒険が。
一歩、また一歩と、銀髪の少女は雪道を踏み締め、果てしない白銀の地平線へと向かって歩みを進めていったのだった。




