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第十八話 蔵の中の禁書と、二人の幼馴染

 村長家の裏手には、古びた石造りの蔵があった。 そこには村の古い記録や、歴代の村長が残した雑多な道具、そして滅多に開かれることのない古い書物が眠っていた。


 私は夜な夜な、皆が寝静まった後に蔵へ忍び込み、埃をかぶった本を解読していった。 前世のシステムエンジニアとしての解析能力が役に立った。この世界の文字構造を理解し、魔法に関する古い技術書——『基礎魔導論』という一冊の分厚い皮押し本に辿り着いたのだ。


「……属性感応、魔力回路の形成、詠唱による事象改変……なるほどねぇ」


 蔵の暗がりの中、私は自作の油ランプの光を頼りに本を読み進めた。


 魔法とは、体内の魔力を触媒とし、世界の法則(プログラム)へアクセスして結果を書き換える現象である。 つまり、前世で私がやっていた「プログラミング」と本質的には何も変わらない。 構文(コード)を正しく理解し、適正な魔力(処理能力)を投入すれば、誰でも現象を引き起こすことができる。


 そして何より、私の身体には——異世界転生者特有のボーナスなのか何なのか——規格外の魔力容量と、異次元の処理能力(演算速度)が備わっていたのだ。


「ためしに……『火』のコードを簡略化してみるか」


 本に書いてある長い詠唱文を解読し、無駄な修飾語を削ぎ落とし、最短の構文へと再構築する。 そして、人差し指の先に魔力を集中させ、ごく小さく呟いた。


「——『灯火(ライト)』」


 ボッ!


 瞬時に、指先から太陽のように眩い純白の火球が浮かび上がった。 長い詠唱も、魔法陣も、触媒すら必要としない。完全な「無詠唱」による現象の発現。


(おいおい……冗談だろ? これ、俺ってば天才魔法使いなんじゃないのか……!?)


 ゾクゾクとするような万能感が、背筋を駆け抜けた。 今まで「田舎村の裕福なお嬢様」として温々(ぬくぬく)と過ごしてきた世界が、ガラガラと崩れ去り、その向こうに無限の可能性を秘めた広大な世界が広がっているのが見えた。


 魔法が面白い。楽しすぎる。 前世で新しい言語やフレームワークをマスターした時のあの快感が、何百倍ものスケールで脳汁を分泌させる。 私は夜な夜な蔵に通い詰め、あらゆる属性の基礎魔法を独学でマスターしていった。


 だが、そんな私の「秘密の特訓」は、すぐに身近な者たちに感づかれることとなる。


「……なあ、エレナ。最近、夜中にどこ行ってるんだ?」


 ある日の放課後(村の寺子屋のような集会所からの帰り道)、不意に声をかけられた。


 声をかけてきたのは、私の二人の「幼馴染」のうちの一人、ライナスだった。 村の鍛冶屋の息子で、私と同い年の十三歳。頑丈な体つきとガキ大将気質を持つ、少々粗暴だが根はまっすぐな男の子だ。そしてもう一人、その隣で気まずそうにモジモジしているのが、狩人の娘であるシルヴィアだった。彼女は赤毛の短髪にそばかすが特徴的な、ボーイッシュで素直な女の子だ。


「どこって……別に。部屋で本を読んでいるだけよ」


 私はすまし顔で答えた。


「嘘つけ! 俺、一昨日の夜、お前が蔵に入っていくの見たんだぞ! ルーカスも『お姉ちゃんが最近冷たい』って泣きそうになってたし……お前、何か隠してるだろ!」


 ライナスがズイッと顔を近づけてくる。 ライナスは昔から私に対して妙な対抗意識と、それに裏打ちされた素直になれない好意を抱いていた。私が大人びているのが気に食わない反面、村の誰よりも綺麗だからと、何かとちょっかいを出してくるのだ。


「ライナス、やめなよ……エレナが嫌がってるでしょ」


 シルヴィアが控えめにライナスの服の裾を引く。シルヴィアはライナスのことが好きで、だからこそライナスが私ばかり見ているのが面白くない——という、実に甘酸っぱくも面倒くさい三角関係が、この十三歳のガキども(中の人から見れば)の間で展開されていたのだ。


「嫌がってなんか……別に隠してないわよ。ただ、勉強をしていただけ」


「勉強ぁ? 村長家の蔵で何の勉強だよ。見せろよ!」


 ライナスが私の腕を掴もうとした。

 その瞬間。


「ライナス兄ちゃん! お姉ちゃんに触るな!」


 茂みから飛び出してきたのは、ルーカスだった。 十歳になったルーカスは、手にした練習用の木剣を構え、ライナスと私の間に必死の形相で割り込んできた。


「ルーカス……!?」


「お姉ちゃんは渡さない! ライナス兄ちゃんが意地悪するなら、僕が相手だ!」


「ハッ! 九歳のチビが何言ってやがる! 木剣振り回したって、俺に勝てるわけねえだろ!」


 ライナスがカッとなってルーカスを押し飛ばした。 どさりと雪の上に倒れ込むルーカス。それでもルーカスは諦めず、半べそをかきながら立ち上がり、ライナスに飛びかかろうとした。


「そこまでよ」


 私の静かな、しかし氷のように冷たい声が響いた。


 ライナスとシルヴィアがピクリと動きを止める。 私はゆっくりと歩み寄り、倒れたルーカスを抱き起こして、その服の雪を優しく払ってあげた。


「怪我はない、ルーカス?」


「う、うん……お姉ちゃん、僕……お姉ちゃんを守ろうとしたんだけど……」


「ええ、ありがとう。とても格好良かったわよ」


 私はルーカスの頭を撫でてから、ゆっくりと立ち上がり、ライナスを冷徹な赤眼で見つめた。


(……俺の可愛い弟になに手ぇ出してんだ)


「ライナス。力任せに年下を痛めつけるのが、あなたの言う『男らしさ』かしら?」


「ぐっ……だって、お前が隠し事するから……!」


「いいわ。そこまで言うなら、見せてあげる。私が蔵で何をしていたのか」


 私は右手をすっと持ち上げた。 詠唱もなし。構えもなし。 ただ、思考の力だけで体内の魔力を奔流させ、手の上に「それ」を出現させた。


 カチ、カチカチカチッ!


 一瞬にして、私とライナスの間の空間に、無数の小さな「氷の華」が空間に咲き誇った。 太陽の光を浴びてキラキラと虹色に輝く、繊細で美しく、そして一触即発の冷気を秘めた氷の結晶たち。


「え……?」


「ひっ……!?」


 ライナスもシルヴィアも、そして抱きかかえられていたルーカスすらも、息を呑んで目を見開いた。


「ま……魔法……!? エレナ、お前……魔法が使えるのか!?」


「ええ。独学で勉強したの。これが、私の隠し事よ」


 私は氷の華を指先で弾き、一瞬で蒸発させて消し去った。


「言っておくけれど、私は村の誰の嫁にもなるつもりはないわ。私は……もっと広い世界へ行って、魔法を極めたいの」


 静かな宣言。 それは、今まで「おとなしい村長家の娘」として生きてきた私が、初めて自分の意思で未来を叩きつけた瞬間だった。


 ライナスは顔を真っ赤にし、悔しそうに拳を握りしめ、何も言えずに走り去っていった。 シルヴィアはただただ驚いたように私を見つめ、追いかけるようにライナスの後を追った。


 そして、私の腕の中で、ルーカスだけが……憧れと、どこか深い寂しさが混ざり合った瞳で、私の顔を見つめていたのだった。

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