第十六話 硝子細工の箱庭
過ぎ去った年月というものは、時として途方もなく精巧に作られたミニチュアの箱庭のように思えることがある。
手のひらに載るほど小さく、ガラスの向こう側に閉じ込められ、どれほど手を伸ばしても二度と触れることのできない、冷たく静謐な世界。
大陸北方の山間に位置する小さな集落、レーベン村。 夏は短く、秋は瞬く間に過ぎ去り、一年の半分近くが深い雪に閉ざされるその村が、私の——「エレナ」としての最初の記憶のすべてだった。
(……ったく、思い返してみても我ながら虫のいい話だよな)
揺れる旅馬車の御者台で、私は旅服のフードを深くかぶり直した。前世の記憶を持ったまま、この異世界の幼子として目覚めたあの日の感覚は今でも鮮明に覚えている。
三十路を目前にしたしがないシステムエンジニアだった男が、深夜残業の帰りにトラックにはねられ、次に目覚めたときには赤ん坊の視界と、絶望的なほどの無力感の中にいた。言葉も通じず、手足も満足に動かせず、ただ天井の木目を眺めて泣くしかなかった日々。
そして何より悲劇的だったのは、この身体の本当の両親が、私が三歳になる前に猛吹雪の中での事故で二人まとめて他界してしまったことだ。前世の記憶があるとはいえ、幼い身体で親を失う恐怖と不安は生々しく胸を刺した。だが運が良いのか悪いのか、村の長を務めるバルトロという老夫婦が孤児となった私を引き取ってくれた。
村長家には実子が小さいうちに病死しており、家督を継ぐ者もいなかった。そのため、身寄りのない私を「義理の娘」として引き取り、何不自由なく育ててくれたのだ。村の中では裕福な家柄であり、食べるものにも着るものにも困らない環境。前世の知識を持ちながらも、私はただの「大人しく賢い少女」として、平和な田舎暮らしを享受していた。
——あの子が、我が家にやってくるまでは。
「ねえ、お姉ちゃん! 今日の魔法のお勉強、もう終わったの!?」
記憶の中の回想。 暖炉の火がパチパチと薪をはぜさせる村長家の広間で、無邪気な声が響く。 声の主は、私より三歳年下の男の子——ルーカスだった。
ルーカスもまた、私と同じような境遇だった。村の外縁で暮らしていた木こりの夫婦が冬場に魔物の襲撃に遭って命を落とした。残された当時四歳のルーカスを、見かねたバルトロ村長が引き取ったのだ。つまり、私たちは血の繋がらない、けれど同じ屋根の下で育った義理の姉弟だった。
「まだ途中よ、ルーカス。あと三ページ読んだら、お外で雪合戦をしてあげるから静かにしていなさい」
「本当!? やったぁ! お姉ちゃん大好き!」
当時の私は、見た目こそ十歳前後の可憐な銀髪の少女だったが、中身は三十過ぎの男である。当然、子供相手の「ごっこ遊び」や世話など面倒でたまらないはずだった。だが、ルーカスは別だった。
くりっくりとした大きな茶色の瞳、少し癖のある栗色の髪。私の後ろをいつも小鴨のようにトコトコとついて回り、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と無邪気に慕ってくるその姿は、前世で独身をこじらせていた元・男の庇護欲を、これでもかと刺激したのである。
(まあ、端的に言えばめちゃくちゃ可愛がっていた。可愛がりすぎて、あいつの我儘なら大抵のことは叶えてやったもんだ)
村の他の子供たちが私を「大人びていて少し近寄りがたい綺麗なお嬢様」として遠巻きに見る中、ルーカスだけは屈託なく私の膝に頭を乗せて甘えてきた。私にとっても、異世界という見知らぬ土地で孤独を紛らわせるための、唯一無二の癒やしだったのだ。
しかし、そんな穏やかな箱庭の日々は、ある「偶然」と「才能の開花」によって、急速に終わりへと向かい始めることとなる。




