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「由梨、頼みがあるんだけれど」
ある休日、AKIモードの東條先輩と買い物に行っていたところ、不意に東條先輩はそう切り出してきた。
「なんですか? AKIさんの頼みなら、なんでも聞きますよ!」
大層AKIにお世話になっている私は、腕まくりをしてそう答えた。今日はホワイトのとろみシャツに、ラベンダーカラーの明るいタイトスカート。袖を捲ったこの服も、東條先輩に選んでもらったものだ。
「あのね、今度配信の準備を手伝って欲しいの。新しいファンデーションのレビューをするから、成分的な観点からの解説がしたくて、相談に乗ってちょうだい」
「ああ! それなら、ご協力しますよ」
私は、元々技術営業という開発畑の観点から営業の人について行ってわかりやすく解説するという仕事もしていた。成分の知識なら東條先輩の方が上だけど、初心者向けの解説に関しては私の方にノウハウがある。
そうして約束をして、次の休みの日、私は再び東條先輩の家を訪れていた。
そのマンションの一室は、完全に撮影スタジオのようになっていて、リングライトに三脚、コスメがずらりと並べられた棚もある。
「いらっしゃい、由梨」
深みのあるバーガンディ色のシャツに、柔らかなチョコレート色のフレアスカートを纏った東條先輩は、朝から完全にAKIモードでバッチリメイクを決めている。
「すごいですね、この部屋」
「配信用のセットよ。まぁ、それなりに投資しているからね」
東條先輩は照れたようにウィッグの髪をかき上げる。その仕草がとても女性らしくて、一瞬この人が男性だということを忘れそうになる。
「それで、今日レビューするのがこれ」
手渡されたのは、最近話題の新作ファンデーション。私は成分表を確認し、手にとってテクスチャーを確かめる。
「これは……保湿成分がかなり充実してますね。ヒアルロン酸に、セラミド、それからスクワランも入ってる。乾燥肌の人には良さそうです」
「さすが! そのあたり、配信でも詳しく説明したいのよね」
撮影が始まると、東條先輩は完全にAKIになった。カメラの向こうの視聴者に語りかける表情は、いつもの厳しい上司の顔とは別人のように生き生きとしている。
「皆さん、こんばんはー! AKIです。今日は話題の新作ファンデをレビューしていくわよぉ〜」
配信中、私は画面の外からサポートした。成分についての質問が来たときは、情報を整理した手書きのメモを渡した。
視聴者にとってわかりやすい質問をピックアップして、東條先輩にも伝えるようにする。
その他にも、細々としたサポートをカメラの外で行った。
私のメモを見ながら、東條先輩が専門的な情報をわかりやすく説明していた。視聴者からの反応も上々のようで、チャットには感謝のコメントが次々と流れていた。
配信が終わると、東條先輩は大きく息をついた。
「お疲れ様でした」
「由梨のおかげで、いつもよりもスムーズに配信ができたわ」
「私も、憧れのAKIの動画配信のお手伝いが出てきて嬉しいです」
「あら、可愛いこと言うじゃない」
AKIモードをといた東條先輩は、疲れた様子でソファに座り込んだ。
「配信って、思っていたより大変なんですね」
「そうね。一人でやってると、どうしても情報にも限界があるのよ。それに、あたしは男な分脂性肌だから、乾燥肌の人の素直な意見って助かるわ」
『あたしは男な分』か、と私は思う。いつも、AKIモードの東條先輩といると、彼が男性であることを忘れてしまう。でも、彼は紛れもなく男性で……。ふと、この部屋に二人きりでいるのがちょっと気まずくなった。
「東條先輩は……。東條先輩はなんで、女装しているんですか?」
つい、そんな言葉が口からこぼれ落ちてしまった。
聞いていいことなのかどうなのかわからないけれど、ずっと気になっていたことだ。
「そうね……。少し長い話になるわ、お茶を淹れるから、そこ座って」
配信部屋の隣、リビングの座卓の前に座り、東條先輩が淹れてくれたお茶をいただく。
香り高い紅茶で、こんなところも繊細な女性らしさのようなものを感じてしまう。やっぱり、東條先輩は心が女性なのだろうか。
「あたしの母親は、有名モデルの東條ユキなの」
「えっ、あの!?」
「そう。だから小さい頃から、家族に対してまで週刊誌の記者なんかが張り付いていることがあったわ」
「うわぁ……。大変そうですね」
東條先輩は、よっぽど大変だったのか、表情にまでうんざりした様子が滲み出ている。
「あたしが小学生の時、友達と傘でチャンバラごっこをしていたら怪我をさせてしまってね。そのことが週刊誌に書かれたの。『東城ユキの息子、同級生に暴行か』って」
「そんな! 小学生がふざけていただけじゃないですか!」
「でも、世間はそうは思わなかった。あたしはただの一般人なのに、母さんの弱点になりはしないかと四六時中記者やなんかに見張られて、気が抜けない生活をしていたの。でも、誰にも気にされないで自由に外を出歩いてみたいと思った。そんな時に、最初は変装から始めたのよ」
なんと、東城先輩の女装癖の出発点は、変装だったらしい。
「変装しながら出歩くと、誰にも見張られずに自由に過ごせるような気がして幸せだった。それが徐々にエスカレートしていって、メイクとかもするようになって。最終的に女装に行き着いたの」
「なるほど〜」
幼い頃の東城先輩にとって、週刊誌の記者にあれこれ書き立てられたことはよほどストレスだったのだろう。
その見張られている苦痛から逃れるために始めた変装が、最終的に女装に行き着いたのか。
男性人格の時の東城先輩が偏屈な性格なのも、そういった生い立ちが関係しているのかもしれない。
「気がつけばコスメも好きになっていたし、メイクをするのは楽しいし、どんどん女装にのめり込んでいってね。最終的に、どこまで女らしくなれるかを研究して、今に至るって感じ」
「そうだったんですね。……あの、差し支えなければ聞きたいのですが……」
私が気まずさを感じつつも、好奇心に負けて、心が女性なのか、恋愛対象はどっちなのかを聞こうとすると、東城先輩はそれを察したかのようにひらひらと手を振った。
「ああ、心は男だし、恋愛対象も女よ。そこはヘテロの一般男性と同じ。ただ、こんな趣味だからわざわざ恋愛する気になれないのよね。相手が受け入れてくれるとも限らないでしょう?」
「な、なるほど……」
少しだけ、期待に胸がときめいてしまう。私は東城先輩のこの趣味を知っている。その上で受け入れていて、少し、男性としても意識している。
——けど、私なんかに希望なんかないかぁ。
ずっと美人な幼馴染のマリアと比べられて育ってきた、諦め癖が顔を出す。
いくら東城先輩に励ましてもらっても、その東城先輩が相手ではなかなか勇気も出ない。
だって、振られて落ち込んだ時に東城先輩に励ましてもらうわけにはいかないもの。
「だから、この趣味を知った上で受け入れてくれる由梨がいて私も助かっているのよ。それに動画配信も手伝ってもらえるととても助かるわ」
「ああ、私でよければ、またお手伝いしますよ。普通はAKIクラスの人気動画配信者なら、スタッフとかいますもんね」
「そうなのよ。あたしはほら、秘密があるでしょう? だから信頼できるスタッフがなかなか見つからなくて」
そんな流れで、私は東城先輩の動画配信をこれからも手伝うことになった。こまめに休日を一緒に過ごせる、そのことが、少しだけ嬉しかった。




