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東條先輩の、男性にしては華奢な白い美しい手が、手早くブラシをパレットに擦らせ、すっと私の瞼にアイシャドウを乗せていく。
繊細な筆使いは、まるで匠のよう。
すっすと粉が瞼の上に乗せられていくのを、閉じた目の触覚だけで感じ取る。仕上がりがどうなっているのかは、まだわからない。
「アイラインとマスカラもお借りするわね」
「はい、どうぞ!」
リキッドアイラインの冷たい感触が、目尻にスゥッと引かれていく。そして、目を開けてマスカラを塗ってもらおうとしたところで、私は視界に鏡が入って唖然とした。
今までキツいばかりの印象だと思っていた目が、適切な陰影を与えられて、アンニュイな魅力を放っている。どこか芸能人の小松菜奈美にも似たその目は切れ長で、いつもよりも一際大きく見えるが、自然さも失っていない。
「わぁ、AKIさんの技術、素晴らしいです!」
BAさんがうっとりとした顔で東條先輩の手元を見ていた。
「ふふん。そうでしょ? こっちは中学生の時から続けているからね。ほら、マスカラつけるから、上向いて」
少し顎を上げて上を向くと、そっとまつ毛に、マスカラ液が乗せられていく。
「さあ、アイメイクは出来上がりよ」
「……なんか、ベタですけど、これが私? って感じです」
ナルシストみたいで恥ずかしいけれど、鏡の中の自分を矯めつ眇めつ眺める。
「本当に、信じられないです。私、ブスがメイクなんてしても無駄って言われて、ずっとそう思って生きてきたのに……」
「化粧品会社に勤める人間が、そんな言葉信じてんじゃないわよ! いい? この世で一番自分を大切にしてあげられるのは自分だけ! 他人の言葉に惑わされて、自分を投げ捨てるもんじゃないわ!」
「そうですよねぇ、さすがAKIさん!」
東條先輩の言葉に、ΒAさんが瞳を潤ませながらうんうんと頷いている。なんか、東條先輩、宗教でも立ち上げられそうな崇拝集め力だ。
「さあ、次はアイブロウを買いに行くわよ!」
ジュウシモムラのカウンターへ行き、薙刀アイブロウと呼ばれている、斜めに鋭くカットされたアイブロウペンシルを購入する。眉はまだ剃ったりして整えていないので、タッチアップはなし。東條先輩から、眉サロンに行くように指示を受ける。
「そしてチークはクリニーグ! リップはサンローダン! さあ、買うわよ買うわよー!」
東條先輩はあちこちへ私を連れまわし、続々とコスメを買い集めていった。そしてタッチアップで出来上がった顔は……。
「ほんとにすごい。本当にすごいです!」
鏡の中に映る顔は、まるで別人。鋭い目はアンニュイな眼差しに。低い鼻はナチュラルなノーズシャドウとハイライトで立体的に作り上げられ、冷たそうな印象を与える薄い唇は、肌馴染みのいいリップライナーで形よく縁取られている。唇の中央部はサンローダンの艶々のルージュで仕上げられていた。
メガネと整えていない眉だけがもっさりとした感じをいまだに醸し出しているが、それでも大変身と言っても過言ではない仕上がりだ。
「ね? あたしの手にかかればこんなもんよ」
「ありがとうございますAKIさん! こんなの、私じゃないみたい!」
「言ったでしょう? 自分のことを自分で見捨てちゃダメだって。あんたはこうやって磨けば輝けるんだから、自信持ちなさい!」
「は、はい」
東條先輩の言葉に、じんわりと涙が出そうになって、慌てて下唇を噛み締める。私、先輩のこと誤解してたな。こんなにいい人だったなんて。
AKIのポジティブな言葉に、私はすっかり感銘を受けていた。
だが、週が明けて平日。
「おい坂下! だからこの成分はこっちと合わせるなって言っただろ!」
ネチネチネチネチ。東條先輩の嫌味攻撃は、週末のあのお買い物が夢だったのかと思うぐらい、相変わらずだった。
「は、はい。すみません! 東條先輩!」
「全く、お前は抜けてるなぁ〜。……だけど、綺麗になってるわよ。あとは眉毛ね」
ネチネチした嫌味の沈黙の後、不意にAKIの口調で東條先輩は言ってくれた。
「ほ、ほんとですか!? ありがとうございます!」
AKIのメイクテクニックはないから、あの日の綺麗さには及ばない。けれど私は、あの日買ったコスメを使って、朝いつもより早く起きてメイクをしていた。
東條先輩に言われたアドバイス通りにやって、少しは垢抜けたような気がする。
「次は二週間後ね。それまでに眉サロンとコンタクトショップに行ってきなさい」
「えっ?」
「えっ? じゃないわよ。あんたのダサい私服もなんとかしなきゃじゃない。それなりにいい給料もらってんだから、ケチるんじゃないわよ」
ひそひそと東條先輩と話していると、愛梨が愉快そうな顔でこちらを見ていた。あぁ、これ絶対揶揄われるやつだ。別に私は東條先輩と何かあるわけじゃないのに。いや、AKIさんとは関係あるけどさ。
そのお昼休み、愛梨と一緒に昼食を食べていると、愛梨は嬉しそうににんまりと笑った。
「由梨、メイクなんてしちゃって、ずいぶん垢抜けたじゃない。私、嬉しいわ。ずっと身なりに関心のなかった由梨が、そんなふうにおしゃれしてさ。私、ずっと気にしてたんだから!」
「あぁ、愛梨には昔言われたこと、愚痴ったことあったもんね」
「そうよ! ようやく乗り越えられたの?」
「うん。色々あって、自分のことを一番大事にできるのは自分なんだから、他人の言葉に惑わされるなって言われてね」
「へぇ、いいこと言うじゃない! 誰の言葉?」
「えっと……美容系配信者の、AKIの言葉」
「ああ、あの! 人気よねぇ」
愛梨にはずいぶんと心配をかけていたみたいで、私がメイクをするようになった姿を見て喜んでくれている。
そんな風に思ってくれている同期がいてくれることが、ありがたかった。
その週の週末、私は眉毛サロンに来ていた。今日はここで眉をカットしてもらって、それからコンタクトを買いに行く予定だ。
「お客様のお眉は左右対称でいいですね! うまくカットしていったら、とても綺麗な形になると思いますよ」
もっさりとしていた眉毛が、眉サロンのお姉さんの手によって抜かれ、剃られ、切られていく。そうして出来上がった眉は、自分じゃないと思えるくらいに綺麗だった。
「お客様、出来上がりましたよ。やっぱり左右対称に生えているので、綺麗な形になりましたね」
「わぁ、ありがとうございます!」
「では、お手入れの仕方を説明させていただきますね。——施術後は毛を抜いてお肌が敏感となっておりますので、刺激を避けて、十分な保湿をしてください。三週間に一度程度通っていただくと、お眉の生え方が整ってきます」
「わかりました!」
眉毛サロンを後にして、今度はコンタクトショップへ赴く。
測った視力は、前よりも少し落ちていてショックだった。仕事ばっかりしているせいでこうなったのだろうか。
ともあれ、コンタクトもしっかりと度数を合わせてもらい、購入する。これで東條先輩から指示されたミッションはクリアだ。
「あれ、由梨?」
突然、横から声をかけられて、誰かと思いそちらをみる。するとそこには、大学時代の男友達がそこにはいた。お互いに理系の研究職志望で、ガリガリ勉強しているスタンスが合って仲良くなった友人だ。
「久しぶりじゃん。雰囲気変わったなー。一瞬気づかなかった」
「なんだ、拓也じゃん! 久しぶり」
「懐かしいよね。僕ら、最後に会ったの、大学卒業して院に進学するぐらいのタイミングだっけ?」
「そんなもんだよね」
懐かしい話に、花が咲く。道端で話しているのもなんなので、ということで、私たちは近場の居酒屋へと入った。
「にしても由梨、ほんとに雰囲気変わったなー。やっぱり化粧品会社に就職するとそういうの指導とかされるの?」
「ううん。そんなことないよ。私はアドバイスしてくれる人がいて、最近変わっただけなんだ」
「へぇ、そうなんだ」
拓也とはお互いに仕事がどうだとか、大学時代の同期の誰それが結婚しただとか、そんな会話をしながらお酒を飲む。
「由梨、また今度連絡するわ。たまにはこうやって飲みに行こうよ」
「うん」
相変わらず接しやすい拓也とまた次の約束をして、私たちは別れた。
……私ももう歳だし、恋愛とか、考えないといけないかな。




