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告白もせずに失恋したけれど、どれだけどんよりした気分になっていても、仕事は待ってはくれない。
新処方案が通り、敏感肌向け新ラインのプロジェクトは順調に進んでいる。
ようやく手が空いたかと一息ついたところで、東條先輩が話しかけてきた。
「坂下、今暇か? 少し雑用を頼まれてくれるか」
「はい、なんでしょう」
東條先輩は徐に、白いパウチに入れられた化粧品のサンプルを差し出してきた。
「リキッドファンデーションのルミナスグロウってあるだろう? 新規広告を撮影することになったらしくて、社内スタジオで撮影しているんだが、サンプルが足りなくなったらしくてな。届けに行ってくれるか?」
「あ、はい。いいですよ」
「モデルの楠木マリアが来ているらしい。お前、確か幼馴染とか言ってなかったか」
「え? マリアが?」
モデルをしている楠木マリアは、ハーフの幼馴染でとてつもない美人だ。小さい頃からずっと比べられてきて、コンプレックスの原因になった人物でもある。明るく素直な性格の子だから、本人に罪はないのだけれど。
「浮かない顔だな。仲悪いのか?」
「いえ、そういうわけではないんですが……。小さい頃からずっと比べられてきたので、苦手なんですよね」
「なるほどな……、だったら別のやつに頼むか」
「いえ、大丈夫です。私、行ってきます!」
せっかくの東條先輩からの頼み事だ。いつもお世話になっているし、少しは役に立ちたい。
私は東條先輩からファンデーションのパウチを受け取ると、社内スタジオに向かって歩いていった。
「おい、坂下! 聞いたぞ、楠木マリアが来てるんだって? 俺、それ運んでやるから寄越せ」
途中、田中先輩が後ろからかけてきて、低い声で囁いてくる。東條先輩にバレないようにだろうか、顔を近づけられて、少し不愉快だった。
「嫌ですよ。ミーハーじゃないですか。そんな人にマリアの元には行かせられませんよ」
「なんだよお前、その幼馴染苦手なんじゃなかったのかよ」
「本人に罪はないですから」
私は田中先輩を適当にあしらうと、足早にエレベーターホールへ行き、さっさと乗り込む。流石にエレベーターの中までは田中先輩は付いては来なかった。下手に強引にすると問題になるとわかっているのだろう。
エレベーターは社内スタジオがある階へ到着し、長い廊下を渡ってスタジオまでたどり着く。荷物入れのロッカーが並ぶ小部屋を通過して、通常よりも重たい扉を開けると、照明の強い光が目を焼いた。
「ルミナスグロウ、お持ちしましたー!」
近場のスタッフさんに声をかける。
「あ、ありがとうございます! お待ちしておりました。あちらのメイクさんに渡していただけますか?」
「はい」
スタジオ内にあるメイク室へ向かうと、そこには待機しているマリアとメイクさんが居た。
「マリア……」
久々に見る美貌に、思わず名前が口をついて出る。
「あれ? 由梨ちゃん!? なんでここに……って、そういえば由梨ちゃんの会社ってここだったっけ」
「そうなの。久しぶりだね、マリア。元気そうでよかった」
「由梨ちゃんこそ。すごいなー、こんな大企業で研究職やってるなんて」
マリアは心底そう思っているかのように、感嘆のため息を吐いた。こちらからしたら、一流企業の化粧品モデルを任されるくらい有名人なマリアの方が、よっぽどすごいと思うのだけれど。
「はい、じゃあこれ。サンプルのパウチだから」
「ありがとう、由梨ちゃん」
「じゃあ、私、まだ仕事中だから行くね」
「うん。また連絡してよ。たまには一緒に飲もー」
「はいはい。連絡するねー」
マリアと並んで歩いていると、釣り合わないと言われたり、美女と野獣と言われたりしてきた記憶が蘇るからちょっと嫌なのだけれど。
断るのもなんなので、適当な返事であしらう。
なんとなく居心地が悪くなって、さっさと踵を返すと、私は逃げるようにスタジオを立ち去った。
「大丈夫だったか、坂下?」
ラボに戻ると、心配そうに東條先輩が声をかけてくれた。
「大丈夫ですよ。別に、サンプルを届けるだけの簡単なお仕事ですから」
苦手だったと言っても、それは周りの環境についての話で、本人のことが嫌いなわけではない。普通に談笑して終わったのだ。
それで、この話は終わりになるはずだった。
「嫌がらせ?」
けれど、午後になると社内がやけにざわざわとし始めて、私たちのラボに見慣れない社員が現れた。
「そうなんです。撮影スタジオのロッカーで、楠木マリアさんの私物が汚されるという嫌がらせが発生して……。撮影時間中、人が見ていないタイミングでそのロッカーを通過したのは……」
ゆっくりと、その社員の目が私に向いた。
撮影スタジオは入り口の入ってすぐのところにロッカーがあり、その奥に通過するとスタジオがある仕様になっている。
「なるほど、坂下が怪しいってわけか。そういや、楠木マリアのこと、苦手だとか小さい頃から比べられてて嫌だったとか言ってたよな」
「そ、そこまでは言ってないですよ!」
気に食わない後輩である私の窮地を嗅ぎつけてか、田中先輩が嬉しそうに口を挟んだ。
その言葉が尚更疑いを呼んだのか、みんなの視線が戸惑いを含んで私に向けられる。
「わ、私、そんなことやってません!」
「口先だけならなんとでも言えるよな。でも、この会社に楠木マリアに恨みがある奴なんて、幼馴染のお前くらいなんじゃないか?」
「恨んでなんか……!」
田中先輩と言い合いをするが、どうにも私の分が悪い。どんどんと、みんなの目線が冷たいモノになっていく。
「坂下さんって、そう言う人だったんだ……」
ぼそ、と、さほど仲のよくない女性社員がつぶやくのが聞こえた。
もうまるで、犯人が私と決まったかのような空気だ。
だが——。
「坂下がやったと決まったわけじゃないだろ! それに、騒ぎを起こすと決めていたなら、わざわざ行く前に幼馴染が苦手だなんて自分が疑われるようなことを言うのもおかしい。証拠もないのに決めつけるな」
東條先輩が、厳しい声で田中先輩に言い返してくれた。
——信じて、くれるんだ。
私の胸がじんわりと温かくなった。東條先輩は、私がやったわけじゃないと信じてくれている。




