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「とにかく、一旦マリアと話をさせてください」
私がそう主張すると、嫌がらせの件を知らせにきた社員は、困った顔でオロオロした。
容疑者を引き合わせるわけにはいかないということだろうか。
「いいんじゃないか。坂下は楠木さんの幼馴染だろう。嫌がらせで動揺しているなら、見知った顔がいた方が助かるはずだ」
またも東條先輩が言い添えてくれる。
それで踏ん切りがついたのか、私はマリアと面会できることになった。
「由梨ちゃん!」
「マリア、大丈夫だった?」
「うん。けど、ブランドアンバサダーでもらった限定のバッグが汚れちゃって……」
マリアはこぼれ落ちそうなほど大きな瞳をうるうると潤ませている。
その顔はあまりにも美しくて、他の社員たちが見惚れていた。
「それはブランドに連絡して謝るしかないかもね……」
「うん……」
「楠木さん! 坂下は今の所嫌がらせの犯人として一番怪しい容疑者なんですよ。手放しに信じていいんですか⁉︎」
どこから紛れ込んだのか、マリアのいるスタジオにまで出てきた田中先輩が、口を挟んでくる。
「由梨ちゃんはそんなことしません! それに、バッグにかかってたの、カフェオレなんです。由梨ちゃんはコーヒーアレルギーだから、由梨ちゃんじゃないですよ」
マリアは冷静に反駁した。
理路整然と言い返されるとは思っていなかったのか、田中先輩がたじろぐ。
「とにかく、一旦警備部に連絡して監視カメラを確認してもらいましょう。誰が出入りしたのか人の記憶頼みじゃ何もわからないわ」
私の主張にみんな納得したのか、スタジオのスタッフたちが警備部に連絡をとり始めた。
そして、警備部が監視カメラを確認した結果、新しく候補に上がった容疑者は——。
私を犯人と疑って連絡しにきた、あの社員——名札を見るに久喜というらしい——だった。
「ち、違います! ぼ、僕じゃないです!」
久喜さんは、慌てたように両手を振りながら、冷や汗をかいている。
人の良さそうな顔はとても嫌がらせするようには見えないけれど——。
「そういえば、久喜さんには私、個人的な連絡先を聞かれて、断りました」
でも、マリアの言った言葉で、スタジオの空気はガラリと変わった。
モデルをナンパして、断られた逆恨みで嫌がらせ。そんなシナリオが、脳裏をよぎる。
「ち、ちがっ、それはっ……!」
久喜さんはしどろもどろに否定するけれど、有効な弁明は出てこない。
「ブランドバッグの値段は数十万はするよね、マリア。警察に連絡して、ロッカーの指紋とか採取してもらう?」
私がそう言うと、久喜さんはいよいよ慌てていまにも吐きそうなほど具合の悪そうな顔になった。
「犯人が名乗り出てこないなら、それも仕方ないかもね」
マリアが私に調子を合わせて言うと、久喜さんが、観念したように項垂れた。
「……すみませんでした。僕です。僕がやりました。だから警察には、どうか……」
久喜さんはがばりとその場に跪いて、土下座し始めた。
「や、やめてください。そんなことされても困ります」
マリアが困りきった顔で久喜さんを止める。
「とにかく、我が社での撮影中に数十万円もするブランドバッグが汚されたのは事実だよね。マリア、うちの会社に弁償請求した方がいいよ。それで久喜さんの処分をどうするかは、会社が決める。そのぐらいがマリアとしても負担がないんじゃない?」
警察沙汰にしてもいい案件だけれど、そうするとマスコミにかぎつけられる恐れもある。それは芸能人のマリアにとっては負担が大きいだろう。
社内での不祥事ということで、マリアに対する弁償は会社が行い、久喜さんに対する処分も会社が担う。それが一番マリアにとっては負担が少ないのではないかと思われた。
それに、マリアが直接久喜さんを制裁すると、逆恨みされて何をされるかわからない。
マリアの美貌ゆえに発生する諸々のトラブルに関しては、散々仲裁役をしてきた経験もあり、それなりに慣れている。
それゆえに、逆恨みで行動する男の恐ろしさもわかっていた。
「そうだね。由梨ちゃん、ありがとう。その通りにシレイ堂と交渉してもらうよ、マネージャーに」
「うん。とりあえず今日は、これで仕事終わりにして、ゆっくり帰った方がいいんじゃない」
「そうする。由梨ちゃん、また連絡するね。飲みに行こうね」
「わかったわかった」
ひとまず場を納めて、マリアはマネージャーを伴って社を去っていった。
その場には青ざめた久喜さんと、ざわつく社員たちが取り残されている。
「久喜さんはとりあえず上層部の裁定を待ってもらって。私たちは仕事に戻りましょうか」
私が淡々とそう言うと、場は解散の雰囲気となっていった。
さっさと自分のラボに戻ると、まだことの成り行きを知らない社員たちが、微妙に私を疑った目で見てくる。
なので、とりあえず東條先輩に報告するふりをして、大声で事情を説明した。
「大変だったな。坂下」
「まあ、マリアに関するトラブルには慣れているので、そんなに」
「昔からこんなことに慣れてるのか。そりゃ、苦手にもなるか」
「本人は悪い子じゃないんですけどね。巻き込まれるトラブルの量が多すぎて、疲れるというか」
私はマリア本人のことは嫌いではない。ただ、マリアを取り巻く人たちのドロドロした感情に巻き込まれるのが嫌なだけなのだ。
東條先輩は同情した顔で、「お疲れ」と労ってくれた。
それで、この件は終わりになる、はずだった。




