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撮影の準備が始まると、東條先輩とミカさんは二人できゃっきゃとはしゃぎながらコスメについての話に花を咲かせている。
そんな二人を横に、私は資料を用意していた。
「ねえ、撮影が終わったら三人でご飯を食べに行きませんか?」
「いいわね」
東條先輩が即答する。
「由梨も来るわよね?」
「あ、私……実は、プロジェクトの資料をまとめないといけなくて……」
私は断った。
本当は、二人と一緒にいるのが辛いだけなのに。
「そうか……無理しちゃダメよ、由梨」
東條先輩は心配そうな顔をする。
「由梨さん、お仕事頑張ってくださいね」
ミカさんの優しい言葉に、私は頷くしかできなかった。
東條先輩の家を出て、一人で駅に向かう。
スマホを見ると、田中先輩からメールが来ていた。
『明日の会議資料、週末中に仕上げておいてくれ。月曜の朝イチで使うから』
週末なのに、仕事の指示。
私はため息をついた。
翌週、プロジェクトで問題が発生した。
試作品のパッチテストで、二名の被験者に軽い肌荒れが出たのだ。
「坂下、どういうことだ?」
田中先輩が詰め寄ってくる。
「あの、この配合だと刺激が出る可能性があると、以前お伝えしたんですが……」
「お前、サブリーダーだろ? なんで止めなかったんだ」
「でも、田中先輩が大丈夫だと……」
「リーダーの判断を鵜呑みにするんじゃなくて、サブリーダーとしてもちゃんとチェックするのがお前の仕事だろ。お前が見逃したせいで、こんなことになったんだぞ」
田中先輩は責任を私になすりつけてきた。
「それは……」
確かに、もっと強く主張するべきだった。
でも、リーダーの判断を覆すことができなかった。それに、私が意見を言っても、田中先輩は聞いてくれなかった。
「部長に報告する前に、処方を見直せ。今週中にな」
田中先輩はそう言って、去っていった。
私は一人、デスクに座り込んだ。
その日の夜、私は一人残業していた。
処方の見直しをしようとしても、頭が働かない。
疲労と、田中先輩への怒りと、自分への情けなさと、東條先輩への想いと、ミカさんへの嫉妬が、ごちゃ混ぜになって、何も考えられなくなっていた。
「坂下、まだいたのか」
後ろから声がして、振り返ると東條先輩が立っていた。
「東條先輩……」
「話、聞いたぞ。田中のやつ、お前に責任押し付けたんだってな」
「あ、いえ……私がちゃんと止められなかったから……」
「お前のせいじゃない。お前は何度も指摘してた。俺、田中とお前の会議、何度かみてたからな。田中が聞かなかっただけだ」
東條先輩が優しい声で言った。
「処方の見直し、手伝ってやる。一緒にやろう」
「で、でも……東條先輩、別のプロジェクトで忙しいんじゃ」
「いいから。お前一人に同期の尻拭いをさせるわけにはいかない」
東條先輩の言葉に、涙が出そうになった。
「ありがとうございます……」
その日から、私と東條先輩は毎日遅くまで残業して、処方の見直しをした。
「この成分、もう少し濃度を下げてみよう」
「はい」
「それと、この保湿成分を追加したら、刺激を抑えられるかもしれない」
「そうですね。試してみます」
東條先輩の的確なアドバイスと、献身的なサポートに、私は何度も救われた。
「東條先輩、本当にありがとうございます。先輩、自分のプロジェクトもあるのに……」
「礼なんていいよ。それより、お前、ちゃんと食事してるか?」
「え?」
「最近痩せただろ。ちゃんと食べないと体壊すぞ」
東條先輩の言葉に、私は胸が熱くなった。
こんな風に、気にかけてくれる人がいる。私は東條先輩のことを、どんどん好きになっていく。けれど、ミカさんという強力なライバルがいて、私には勝ち目がないかもしれない。
そのことが、キシキシと私の胸を締め付けた。
水曜日の夜、東條先輩がミルクティーを持ってきた。
「ほら、飲め。糖分補給しないと頭働かないぞ」
「ありがとうございます」
コーヒーアレルギーの私のために、わざわざミルクティーを選んでくれたのだろう。東條先輩は缶コーヒー派のはずだ。
ペットボトルを受け取ると、東條先輩は私の隣の椅子に座った。
「坂下、お前、無理してないか?」
「え?」
「プロジェクトのことだけじゃない。何か他にも悩んでること、あるだろ」
東條先輩の鋭い指摘に、私は動揺した。まさか、『あなたに片思いして悩んでいます』なんて言えるわけもない。
「な、なんでもないです……」
「嘘つくな。俺にはわかる。お前、最近配信の手伝いに来ても、ずっと元気ないじゃないか」
東條先輩は真剣な顔で私を見つめた。
「何か、俺に話せないことでもあるのか?」
「いえ、そんなこと……」
私は視線を逸らした。
東條先輩は私に話す気がないと見ると、一つため息をついて、少し寂しそうに『そうか、わかった』と言った。
「俺に何か力になれることがあれば、いつでも頼ってこいよ」
「はい……」
この恋の悩みに関しては、唯一、東條先輩だけが一番頼れない相手なのだけれど。
金曜日の夜、ようやく新しい処方案が出来上がった。
「これで、いけるんじゃないか」
東條先輩が満足そうに頷いた。
「はい。東條先輩のおかげです」
「お前が頑張ったからだよ」
東條先輩は私の頭をポンと叩いた。
その瞬間、私の心臓は激しく鼓動した。
「坂下、お前は本当によく頑張ってる。自信持てよ」
「はい……」
東條先輩の言葉が、心に染みる。
でも同時に、切なさも込み上げてきた。
こんなに優しくされたら、もっと好きになってしまう。でも、この想いは伝えられない。
今の関係が壊れてしまったら。そう思うと、私には気持ちを伝える勇気なんてなかった。
「明日、配信の手伝い、来られるか?」
東條先輩が聞いてきた。
「明日……」
また、ミカさんがいる場所に行くのか。
仕事で東條先輩に助けられて、想いが深まった後に、東條先輩とミカさんが楽しそうに過ごしているのを見るのは辛い。
でも、断る理由がない。
「はい、行きます」
私はそう答えるしかなかった。
翌日、東條先輩の家に向かう足取りは重かった。
ドアを開けると、予想通りミカさんがいた。
「由梨さん! こんにちは」
ミカさんは相変わらず華やかで、今日は淡いコーラルピンクのワンピースを身に纏っている。イエベ春の彼女にはよく似合っていて、頬に濃い目に入れられたピーチピンクのチークとよく合っていた。
AKIモードの東條先輩と並ぶと、とてもお似合いだ。
いつも通りに撮影を手伝い、その後打ち上げと称して東條先輩の部屋で三人で飲むことになった。東條先輩がお酒とおつまみをマンションの一階にあるコンビニに買いに行っている間、ミカさんと二人きりになる。
「由梨さんは、AKIさんと同じ会社に勤めていらっしゃるんですよね?」
「え? はい」
不意にミカさんから問いかけられた言葉に、頷く。
「いいなぁ。スーツ姿のAKIさん、見てみたいです」
「そうですね。よく似合ってますよ。普段のAKIの姿とは似てないですけど」
「ふふ、それもいいな。……あのね、ここだけの話、私、AKIさんのことが好きなんです」
ああ、牽制だ。
私はミカさんの言葉の意図を瞬時に理解した。
「そうなんですか……」
私は曖昧に答えるしかできなかった。
「由梨さんは、AKIさんのこと、どう思ってますか?」
ミカさんの視線が、私を真っ直ぐに射抜く。
「え、あの……尊敬してます」
「尊敬、ですか」
ミカさんの表情は、少しだけ不服そうだった。『それだけじゃないだろう』とその目が語っている。恋する女の洞察力は、恐ろしく鋭い。
「あの、由梨さん……」
けれど、ミカさんがそれ以上踏み込もうとした瞬間、玄関のドアがガチャリと鳴った。東條先輩が帰ってきたのだ。




