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ミカさんの炎上は、あの説明動画を機に下火になっていった。
もちろん、『わざと同じデザイナーを採用して似たデザインにさせたんだろう』というような意地悪なものの見方をする人はいたけれど、デザイナー本人が、あのデザインを『自身の作家性が出たもので、親しみやすいデザインとしてあえて多用している』と説明したことにより、ミカさん自身に矛先を向ける人は少なくなったように思う。
それから、ミカさんは東條先輩を慕うようになり、撮影などが無くても東條先輩の家に遊びにきたりするようになった。私は週末は東條先輩の家で撮影のお手伝いをしているので、必然、ミカさんとは頻繁に顔を合わせることになる。
「AKIさんAKIさん! このリップ、めちゃくちゃ可愛くないですか?」
「良いわね、それ! 今度動画で紹介しましょ」
「全色レビューとかやっちゃいますか?」
配信者同士の二人の会話に入っていけないこともあって、私は疎外感を感じることも多くなっていた。
二人が新作コスメの話題で盛り上がる中、私は黙って資料整理をしていた。
そんな時、ふざけてクルクルとペン回しのようにリップを回していたミカさんが、「きゃ」と声を上げた。東條先輩のウィッグの毛がリップのブランド刻印に絡まり、取れなくなってしまったのだ。間の悪いことに、東條先輩のウィッグは引っ張られ、少しずれてしまっている。
「AKIさん、それって……」
「あら、ズレちゃったわね」
東條先輩は、あっけらかんとそう言って、ウィッグを手で外し、リップに絡んだ毛を丁寧に解き始めた。
「ミカちゃんにはもうバレているでしょう? あたし、男なのよ」
「……はい、気づいては、いましたけど。言ってもいいんですか?」
「ミカちゃんは面白半分に言いふらすような子じゃないって知っているからね」
その言葉に、ミカさんはパッと笑顔になる。
「はい! もちろんです!」
そうして、私と東條先輩の二人だけの秘密は、三人の秘密に取って代わられた。
「それにしてもAKIさんのメイク技術って、すごいです! 元が男性だなんて信じられない!」
真実を知ったミカさんは、気まずがるどころかむしろはしゃいだ声で東條先輩に懐いていた。
「あらそーぉ? ありがと」
東條先輩も真相を知ったミカさんが分け隔てなく接してくるのが嬉しいのか、まんざらでもない反応を示していた。
ミカさんが秘密を知ってから、私たちの関係は微妙に変化していった。
ミカさんは以前にもまして東條先輩に懐くようになり、週末になると必ずと言っていいほど東條先輩の家に遊びに来るようになった。
「AKIさん、今日のメイク、いつもと違いますね。何か新しいテクニック試してます?」
「よく気づいたわね。最近気に入っているアイラインの引き方なの。余った締め色を活用するために斜めカットのアイライナーブラシでぼかして入れているのよ」
「いいですね! そのやり方、詳しく教えてください! 私もやってみたいです」
ミカさんは東條先輩の一挙手一投足に注目していて、まるで恋する乙女のようだった。
そんなミカさんの態度を見ていると、私の中に嫉妬心が湧き出てしまう。
「由梨さん、この資料のまとめ、いつもありがとうございます。すごく助かっています」
ミカさんは私にも気を遣ってくれるけれど、それがかえって惨めだった。
「いえ、これくらいは……」
私は無理に作った笑顔で返事をする。
「AKIさん、今度一緒に食事でも行きませんか? 二人で」
私が資料の整理をしていると、後ろからミカさんが東條先輩をデートに誘う言葉が聞こえた。
「ああ、いいわね。由梨も一緒にどう?」
「あ、いえ。その日、私は予定があるので……」
私は咄嗟に嘘をついていた。本当は予定なんてないのに。
三人でいると、どうしても東條先輩とミカさんの二人の世界にお邪魔している気がして、耐えられなかったのだ。
「そう? 残念ね」
東條先輩は少し寂しそうな顔をしたけれど、それ以上は何も言わなかった。
その週末、私は一人で家にいた。
東條先輩とミカさんは、今頃二人で食事をしているのだろうか。
何を話しているのだろう。
ミカさんはもしかして告白したりするのだろうか。
そんなことばかり考えて、気持ちが落ち着かない。
スマホを見ると、SNSにミカさんの投稿があった。
『今日は憧れの人とディナー。最高に幸せな時間でした!』
添えられた写真には、おしゃれなレストランの料理が写っている。東條先輩の姿は写っていないけれど、投稿を見た瞬間胸が締め付けられるような思いがした。
そんな、孤独で息苦しい週末を過ごして、翌週の月曜日のこと。
研究部で大きな発表があった。
「みんな、聞いてくれ。新しいプロジェクトを立ち上げることになった」
佐々木部長が全員を集めて話はじめた。
「敏感肌向けの新ラインの開発だ。市場調査の結果、若い世代の敏感肌への需要が高まっている。そこで、スキンケアからベースメイクまで一貫したラインを作ることになった」
部署内がざわめく。新ラインの立ち上げは、会社にとっても大きなプロジェクトだ。
「このプロジェクトのリーダーだが、田中、お前に任せる」
「はい! 承知いたしました」
田中先輩は自信満々に頷いた。
「そしてサブリーダーだが、……坂下、お前にやってもらおう」
「え、私、ですか?」
突然の指名に、私は驚きを隠せなかった。
「ああ。お前は慎重で、成分への理解も深い。シルキーグロウの件でも、問題を早期に察知する力があることが証明された。田中のサポート役として、しっかり頼むぞ」
「はい……」
私は戸惑いながらも頷いた。
田中先輩がリーダーで、私がサブリーダー。
シルキーグロウの一件以来、田中先輩は私に対して冷たい態度を取るようになっていた。その人の下でサブリーダーをするなんて。
それだったら東條先輩がリーダーならよかったのに、と思ってしまう。
けれど、東條先輩は既存ラインのリニューアルの仕事で手いっぱいで、こちらの新規ライン立ち上げプロジェクトには関わらないようだった。
会議が終わると、田中先輩が私に声をかけてきた。
「坂下。このプロジェクトのサブリーダーとして、しっかり働いてもらうからな」
「はい」
「俺の指示には従えよ」
「わかりました」
田中先輩は少し横柄な態度で、そんな風に宣言してきた。シルキーグロウの一件以来、私のことが気に入らないのが、態度にありありと出ている。
その日から、私の仕事量は一気に増えた。
市場調査の分析、成分の選定、処方の検討、会議の資料作成……。
「坂下、この資料、明日までにまとめておいてくれ」
「坂下、次の会議のスケジュール調整、頼むな」
「坂下、これ確認しといて」
田中先輩からの指示は次々と飛んでくる。
会議の議事録作成、各部署への連絡調整、予算管理の細かい計算。サブリーダーというより、雑用係のような扱いだ。
「田中先輩、この処方案なんですけど、保湿成分の配合バランス、もう少し検討したほうがいいんじゃないでしょうか」
ある日、私は疑問を感じて田中先輩に相談した。
「大丈夫だろ。この配合で問題ないって」
「でも、敏感肌の方には刺激になる可能性が……」
「坂下、お前は心配しすぎなんだよ。サブリーダーなら、リーダーの判断に従えよ。いちいち口出しするな」
田中先輩は私の意見を聞こうともしなかった。
でも、このままだとまたシルキーグロウの時みたいなことになるんじゃないか。
不安を抱えながら、私は仕事を続けていた。
そして、週末。私は東條先輩の配信の手伝いに行った。
ドアを開けると、案の定ミカさんがいた。
「由梨さん! お疲れ様です」
ミカさんは相変わらず華やかで明るい。AKIモードの東條先輩の隣に座っている二人は、とてもお似合いに見えた。
「ミカさん……」
私が力無く笑顔を返すと、東條先輩が心配そうな顔で横から覗き込んでくる。
「由梨、大丈夫? 最近元気ないじゃない」
「大丈夫です。東條先輩。心配かけてすみません。ちょっと仕事が忙しいだけで」
「あの新しいプロジェクトね。無理しちゃダメよ」
AKIモードの東條先輩は、優しく声をかけてくれる。
「由梨さん、何か飲む? お茶を淹れるわ」
ミカさんも気を遣ってくれる。けれど、東條先輩の家で、まるで彼女のように勝手知ったる様子で振る舞うミカさんに、心がザワザワとして落ち着かない。
仕事で疲弊して、東條先輩への想いで心が乱れて、そんな自分がここにいることが惨めに思えた。




