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位置について  作者: はる
第一章 教育実習編
7/30

BGMは卒業生

 事務所の食堂に(そう)()が戻ると、先ほどまで居たはずの望月と(あきら)の姿が無かった。

「あれ? 二人はどこ行った?」

「もっちーは将軍に呼び出し喰らってる。晃は日野」

 (りょう)()は言いながらサンドイッチを咥えた。

「日野……ああ」

「毎年のやつ。律儀だよね」

「夜の打ち合わせは?」

「知らね。戻ってくんじゃね」

 凌也は昼食を片手に雑誌の記事に目を通している。

「そっかあ、もうそういう時期か。えらいなあ、晃。おれなんか、小学校ほとんど通った記憶ないもん」

「えらいっちゅーかさあ……やめられないんじゃない、踏ん切りつかないと」

 宗馬が凌也の向かいに座って、回収したロケ弁を机に重ねた。

「宗馬、かっぱらいすぎ。まーたお腹壊すって、やめな」

「お腹壊さない! SDGs目指してるから、おれ!」

 宗馬はそう言うと手を合わせてロケ弁の蓋を開けた。

「わあ。凄い。叙々苑。泣ける」

 満面の笑みで箸を運ぶ宗馬に、凌也の口元が緩んだ。

「あーあ。ジジイもなあ。あともう少し生きてりゃあ、愛しの宗馬くんがドームに立ってる姿観られたのになぁ」

 凌也がぼやくと、焼肉をぱんぱんに頬張った宗馬が首を傾げた。

「また言ってる。おれ、別にそんなに好かれてないって」

「いーや、そんなことないね」

 凌也は先代社長の顔を虚空に思い浮かべた。

「ジジイの教えを誰よりも忠実に遂行してたのは晃なのにさあ」

「晃、最初怖い人と思ってた。ずーっと眉間に皺寄せてさ。おれ、ヤンキーなのかと思ってたもん」

「金髪の不登校児が何言ってんだよ。ってか、それ何個目だ宗馬」

「まだ三個目」

 空のロケ弁を傍に携えた宗馬の顔にスマホを向けて、凌也はシャッターを切った。

「あとでもっちーに送っとく。公式のインスタに載せてもらおーっと」


         *


 なんだろう、目がチカチカする。

 ()(ひと)は競技を終え、退場門を走り抜けると、そのまま入場門へ向かった。他の出場者は既に整列している。

 真人が駆けて行く途中、三年一組の児童席が声を揃えて、真人先生も飛んでたよ! とツッコミを入れた。

 「え、そうだった?」と慌てながら、真人は若手先生たちの列の最後尾に並んだ。

「先生、お疲れ様です。お茶とか飲んでますか?」

「……へ?」

「若い先生って、自分のこと後回しにしがちだから、自分で気をつけないと」

 自分が熱中症になることなんてまったく考えてなかった。

 そういえば、運動会が始まってから一度も水分をとっていない。

 その事実に気づくと余計に汗が吹き出た。


 PTAのリレーは、午前中の最終競技としていちばん盛り上がった。

 児童の競技と違い、遠慮のないヤジが飛びかうリレーでは、走者が変わるたびに笑い声と歓声が響いた。

 四チーム中二位でバトンを渡されたアンカーの真人は、途中でしっかり転んだ。

 起き上がるまでの間に熱血教師・体育の石田先生が猛追し、会場の熱気は最高潮に達した。

『今、新町(しんまち)小学校の校庭は、サバンナです。シマウマが、ライオンから追われています。助かるのでしょうか』

 六年生の放送委員がアナウンスでそう煽ると、全校児童は一斉に

「真人先生ー!! 逃げてー!!」

と声を張り上げた。

 シマウマは無事、ライオンに喰われずに生還した。

 倒れ込むようにぐったりとした真人に、先にゴールした先生たちが声をかけると、保護者席からは拍手が起きた。

 子どもたちからはもみくちゃにされ、真人は息も絶え絶えに、本部テントまで戻った。

 公費のペットボトルを消費するのは気が引けたが、校庭の隅に置いてある水筒を取りに行く気力はなかった。


 テントの陰、通行の邪魔にならない場所に移動し、小さく身体を丸めてミネラルウォーターを流し込むと、冷たい水が(しな)びた身体に染みていく。

 走り終えた後から、頭がズキズキと痛かった。一度ゆっくり休みたい。

『午前の競技は以上で終了です。児童は教室に戻りましょう』

 アナウンスが流れると、児童は校舎の中へと吸い込まれていき、保護者たちも観覧エリアから移動し始めた。

 人混みがはけて、真人は少しほっとした。

 一番心配してたリレーも終わったし、前半はなんとか無事だ。良かった。

 保健室で休ませてもらおうかなぁ。

 お弁当は教室で皆と食べたいけど、どうしよう。

 いまいち判断がつかないまま、フラフラと立ち上がって校舎へ向かう途中、反対側から歩いてきた青年と、正面衝突した。

 すみません、と言おうとした瞬間、跳ね返った衝撃でよろめく。

 後ろに倒れそうなところに腕が伸びてきて、ぐいっと手首を引っ張り上げて立て直された。

 あっという間の出来事に言葉を失っていると、ネイビーの帽子を被った青年の真剣な眼差しに、見覚えがあることに気づいた。

 青年の頬から、汗が一筋滑り落ちる。

 青年は汗を吸ったグレーのマスクを顎までずり下げた。

 あれ? この顔……。

「……神谷、真人?」

「ひっ……うわああ!」

 驚く真人の口を青年の手がパシッと素早く塞ぎ、反対の手で、しいー! と制した。

 その場に誰もいないことを確かめると、青年はゆっくりと手を離した。

「……なんで? なんでいるんですか?」

「それはおれが聞きたい。それより、汗。大丈夫? すごく顔色悪い」

 青年が指摘する間にも、束ねた髪の根元に沿って汗がたらたらと滴る。

「昼休みなんでしょ。保健室行けば?」

「だいじょぶです。ほら、水! 今、飲んだし。顔色はもともとこんなもんです。おれ、日焼けしない体質なんで」

「おまえ、倒れるぞ。また」

 また、という言葉が真人の脳天にズキリと響いた。しかし同時に、自分と大して歳が変わらないはずの青年のやや横柄な物言いに、真人はムッとした。

「あれは熱中症関係ない。あ、あのときはありがとうございました」

 怒っていたかと思えば、急に素直な声で真人がお礼を言ったので、青年は呆気に取られてしまう。しかしまたすぐ真面目な顔で真人を諭した。

「……悪いこと言わないから、休みなよ。頑張りすぎ。リレーの前も大縄飛んでたろ」

 ため息をつく青年に、真人はゆっくりと後退りした。

 いつから見てたんだよ。怖。

「ご心配ありがとうございます。ほんとーに、大丈夫なんで。午後の競技もお楽しみくださいっ」

 じゃ! と手を挙げて、真人はヨタヨタと校舎へ向かった。

「もう帰るつもりだったんだけどな…」

 小さくなっていく真人の背中を目で追いながら、青年は独りごちた。


……何だ、今の。

 世の中には不思議がいっぱいだぜ。

 真人は肩で息をしながら靴を脱いだ。

 屈んで靴を拾おうとした瞬間、視界がずんと黒くなった。

 スリッパを握りしめたまま、真人は目をぎゅっと閉じた。

 頭がガンガンする。気持ち悪い。

 一度保健室に寄るか。少し横になれば良くなるかもしれない。

 目を開けて立ち上がると、視界が斜めに歪んだ。

 あ、だめだ。

 保健室一択だ。倒れる。

 壁に手をついて息を吐いていると、チカチカと明滅する視界の奥に、晴れた校庭と、こちらへ向かってくる青年の姿が見えた。

 頼む、来ないでくれ。また、見られてしまう。

 次の瞬間、青年が真人の前に現れた。柔らかい声で青年が問いかけた。

「肩貸して。保健室どっち?」

 真人は、あっち、と指差してからの記憶がない。

 次に気づいたときには、保健室のベッドで横たわっていた。


「神谷先生、体調どうですかー?」

 はっと目を覚ますと、カーテンの開く音とともに保健室の米田先生が顔を覗き込んだ。

「もうすぐ午後の競技が始まりますけど、体調どうですか?」

 上体を起こすと、ジャージの上着がベッドの柵にかけられていた。

「良くなりました。頭痛もないし」

「軽い脱水ですね。無理なさらないでください、頭痛は結構危険ですよ」

 やってしまった。

 子どもたちとのお弁当。

 最初で最後の給食以外のお昼ご飯チャンスが。

 悲しい。しかし、今はそれどころではない。

「それで……聞きにくいんですけど、おれって誰かに運ばれてここまで来た感じですかね……」

 真人が目を泳がせながら尋ねると、米田先生は困った顔で、保健室のドアの辺りを指さした。

 その先には、腕を組んで壁にもたれた青年の姿があった。

「げっ……」

「もう大丈夫ですよ、って言ったんですけどね。心配だから、って居てくださっていて。神谷先生、順番前後して申し訳ないんですが、体温測りましょう」

 米田先生がテキパキと処置を進める背後に、禍々しいオーラのメルエムが立っている。

 とても不機嫌そうに見える。馳走を用意せねば殺されるかも。

「36.7。まあまあですね。一応心拍も見ていいですか? あ、一度カーテン閉めますね、日下さん」

 日下さんと呼ばれたメルエムは、会釈のあと、カーテンによって視界から消えた。

 消えたことが逆に怖い。カーテンの奥に、やばいのがいる。

 そんな真人の心情を察したのか、保健室の先生が小声で教えてくれた。

「ARCの晃くん、って知ってますか? あの方、ここの卒業生なんです。お忍びでたまに運動会観に来てくださってるんですよ」

 言われて真人は漸く合点がいった。だから来てたのか。

「先日も人助けでニュースになってたんです。神谷先生のことも軽々抱っこされて、ここに登場したときは私も腰が抜けました」

「あはは……」

 校庭からロックなBGMが鳴り始めた。

「おれ、あ、違う、ぼく、行きます。午後の二番目の競技が三年生なので、それまでに行かないと」

「そうですか。無理のないようにお願いしますね。先生たちにもこのことは共有されているので、皆さんにちゃんと頼ってください」

「わかりました。すみませんでした」

 真人は挨拶もそこそこに、柵にかかった上着を小脇に抱えてカーテンを開けた。

 こそこそ、と青年の前まで歩き、真人は目を合わせられないままペコリと頭を下げる。

「一度ならず二度までも、ご迷惑をおかけしました」

「……」

「もう行かないと。失礼します」

「手紙読んだ」

 短い青年の言葉に、真人ははっと顔を上げた。

「話がある。終わるまで待ってる」

「……」

「終わったら、駅のサイゼリヤ来て」

 そう言って、青年は固まっている真人よりも先にその場から立ち去った。


 手紙読んだ。


 青年の落ち着いた声が、頭の中でじんと響く。読んでもらえてたんだ、あの手紙。

 しばらく立ち尽くしていると、外から競技再開のアナウンスが聞こえて、真人は慌てて駆け出した。

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