大好き
「これが戦利品?」
晃が鞄から取り出したDVDを、望月と凌也と宗馬が覗き込んだ。
「『風立ちぬ』じゃん。神谷きゅん、ジブリがお好きなの?」
「し、心臓に悪い……違法薬物の証拠盗んできたのかと」
へろへろと腰を抜かして床にへたりこむ望月に、晃は首を傾げた。
「ああ。たしかに、よく探せばあったのかな」
「探さんでいい、探さんでいい。そんなの持ち込まれても、対応に困るって」
望月が手をブンブンと振ると、晃は苦笑した。
「それもそうだな。おれ、ダースベイダーにはならないって、先生と約束したんだ。薬物検挙は警察の仕事。おれの仕事は、DVDの回収」
晃は宗馬から受け取った水を一気に飲み干して、ばたんとフローリングに倒れ込んだ。
「これ、どうすんの? 神谷くんになんて言って返すの?」
「……流石にそっくりそのままは言えねえよ。時期見て、事務所経由で返してもらったってことにする」
晃は顔を顰めて喉元を押さえた。絞められかけた首がまだ痛い。明日からの仕事に支障がなければいいが。
「晃、喉、どうかした? まさか、喧嘩とかしてないよね?」
「こいつ、病み上がりなんだよ、もっちー。まだ本調子じゃないの。ね?」
凌也がわけ知り顔でニヤニヤと晃を見やると、晃はさっと目を逸らした。
一瞬の静寂の間に、インターホンの音がリビングに響いた。望月がはっとして立ち上がり、玄関モニターを覗き込む。
「あっ、生きてる! ねえ、こっちも無事生還したよ、やったー!!」
望月が歓声を上げた。
「えっ。将軍、無事に帰って来れたの。良かった! 明日もARCは健在だ!」
宗馬がガッツポーズで飛び上がった。
「待って。どういうこと? 将軍が来たのか?」
状況の飲み込めない晃を無視して、他の三人が玄関前で待ち構えていると、ひょろっとした身体つきの青年が、半泣きで登場した。
「恥ずかしながら、帰ってまいりました……」
「頑張ったね。お疲れ様!」
宗馬が青年の肩を叩く横で、望月が青年に尋ねた。
「社長、どうしてた? 話した内容は聞いてた?」
「……ドアの外で待ってたので、わからないっす。でも、ずっと『逃走中』みたいな人たちに睨まれて、怖かったっす」
「えりゃいえりゃい。まあまあ、こっちに来なさいよ。今日は打ち上げだ」
凌也が青年の肩に腕を回し、四人がぞろぞろとリビングへと戻ってきた。
「誰、そいつ」
胡座をかいた晃が掠れた声で眉を顰めた。
「あ、やば。今が初対面か、薫」
凌也の口元が引き攣った。
「あ、ど、どうも……」
カタカタと身体を震わせながら挨拶しようとする薫を睨みつけながら、晃はゆらゆらと立ち上がった。
「……薫……だと?」
望月が慌てて晃を羽交締めにした。
「やーめーたげてよ! 薫くん、今日、社長と一緒にブレイムにカチコミしてたのよ。大金星!」
「それはそれ、これはこれだ。一発殴らせろ」
「もう! 早速アナキンにならないでよ!」
青筋を立てて牙を剥き出しにしている晃に、薫がひいっと頭を伏せた。
「晃、早くお家に帰ってあげなよ。神谷くん、待ってるんだろ?」
宗馬が嗜めると、晃の顔から怒りの色がみるみる失せて、腕が力なく重力に沈んだ。
「ハイ! 一旦この子、送って帰ります! 先に飲んでて!」
急にぐったりとした晃を引きずりながら、望月が部屋を出て行った。
なぜか代わりに打ち上げメンバーとして追加された薫が、静かになった部屋で残った二人に焼酎を注いだ。
「……ホストって楽しいの?」
「ぜんっぜん、楽しくないっす!」
薫は涙を拭って鼻を啜った。
「そうなんだ。ARCのマネージャーやってみる?」
凌也が薫の顔を覗き込んだ。
「ええっ。こんなことある? いや、流石に晃さんのいるグループの付き人をやるのは真人に示しがつかないっていうか……」
「じゃ、ARCのYouTubeの編集とか。薫くん、そういうの得意だったりする?」
「動画は一応できますけど……」
薫はモゴモゴと口篭った。
「ねえ、薫くんから見て、神谷くんってどんな子なの?」
向かい側で胡座をかいている宗馬が尋ねた。
「えっと、おれも真人もわりもオタクなんすけど、真人ってやたらと現実世界にアニメの概念を持ち込むんですよね」
「へえ。どんなふうに?」
「エヴァのトウジってわかりますか? あれに似てるってよく言われてたんです、おれ」
「神谷くん、あの見た目でオタクなんだ」
「そうなんです。しかも自己認知がめちゃくちゃ歪んでて、自分のことをブチャラティに似てるだの、『魁!!男塾』の剣城桃太郎に似てるだの……あ、宗馬さん、検索しなくていいっす。全く似てないんで。おれからしたら、あいつは『宝石の国』のフォスフォフィライトだし、『カリオストロの城』のクラリスみたいな感じ。本人に言ったときはぷんすかしてましたけど」
「んほほほ! 素晴らしいですわ! 素晴らしいですわ!」
凌也が手を叩いた。
「その感じでどんどん晃の前で喋ってちょうだい! 無自覚マウントで、嫉妬に狂う晃が見れるぞー」
わはは、と立ち上がって高笑いしている凌也は、かなり酔いが回っていた。
宗馬も薫も、よくわからないまま、がはは、とつられて高笑いした。
*
額にそっと置かれる冷たい手の感触に、真人は薄く目を開けた。
もやのかかった視界の奥で、春枝が立ち上がって部屋から出て行くのが見えた。
薄暗い仏間に敷かれた布団。
身体には毛布がかけられて、額にはいつのまにか冷えピタが貼ってある。寝返りを打つと、ひんやりとした枕がガバリと音を立てた。
ああ、そういえば、前もこんな感じで熱を出したんだった。
川に落ちたあと、父さんが引き上げてくれて。
その後二日間くらい、熱が下がらなくて、こんな感じで寝込んでたんだっけな。
あれはたしか、お盆の時期だった。
毎年、清里の正悠の実家に顔を出すのが慣わしだったのに、熱を出してしまったせいで、真人は留守番をすることになった。
雪子は真人の体調を理由に断るつもりだったが、義姉が雪子と話したいと電話口で訴えるので、雪子と正悠が交代で親戚の家に顔を出すことになった。
「母さん、一人で大丈夫かな?」
清里の実家に行くと、おばあさまや叔母さまに気を遣っている雪子を見ているのが、いつも苦しかった。
正悠がいなくて、大丈夫なんだろうか。
そんな心配は、正悠にうまく伝わらなかった。
「大丈夫だよ。雪子も免許取って、何年も経つし」
真人は息を吐いてやり過ごすことにした。
目を閉じて押し黙る真人に、正悠は独り言のように話し始めた。
「おばあさま、真人のことを心配してるみたいだ。学校で、仲良い子はいないのかって」
真人は目を開いた。
「……清里で、そんな話してたの」
真人の不満げな顔に正悠は苦笑した。
「真人には、てっちゃんがいるもんな。ぼくも小さい頃、本当に仲良しの友達はほんのひとりかふたりだったよ。だから、気にしなくていいと思ってる。おばあさまにも、そう言ったんだけどなあ」
真人は布団を首元まで引き上げた。
「父さん、あのね。そういうことは、本人に言わないほうがいいよ。いま、おれ、かなしい」
正悠はあっ、と頭を押さえた。
「ごめん。ぼく、人の気持ち考えて話すの、とっても苦手なんだ」
「知ってるよ、そんなの」
真人は深くため息をついた。
「父さん、何で母さんと結婚したの」
「え?」
「人の気持ち考えるの苦手なのに、なんで母さんと結婚しようと思ったの」
正悠は視線を落とした。
「雪子が、嬉しそうだったからかなあ」
「……母さん、父さんのこと好きだったんだ」
「そうなのかなあ」
「……おれも、母さんから好かれたかったなあ」
涙を見せないように、布団を頭の上まで引っ張った。暗い布団の中に潜ると、このまま、どんどん深く沈んでいくような気がした。
「ごめんね。ぼくも、雪子が本当のところどう思ってるのかは、わからないんだ。どうして雪子は、真人に冷たく当たるんだろう」
「……やめて」
嘘でいいから、そんなことないよって言うんだよ。そういうときは。
真人は嗚咽が漏れないように、必死に唇を噛んだ。
「やっぱり、桂子さんのことなんだろうか。真人は、雪子のお母さんによく似てるから」
「やめてってば!」
布団の中で叫んだせいで、声は曇って正悠にはあまり通じなかったみたいだった。
そんなこと言われたって、どうしようもないじゃん。
おれは、その人じゃないのに。
父さんのバカ。母さんのバカ。
みんな、みんな大嫌いだ!
ハクの顔が近づいて、真人の頬をペロペロと舐めた。
真人は手を伸ばし、ハクの頭をそっと撫でた。ハクがくうん、と鳴いて台所へと走って行くと、入れ替わりに台所からエプロン姿の春枝が顔を出した。
「まひちゃん。起きたのね。気分はどう?」
「……晃は?」
春枝は膝を折って、伏せっている真人の横に座った。
「晃ね、事務所に荷物を取りに行って、まだ帰ってないの。明日から仕事復帰するから、色々必要なのかしらね」
「……そっか」
布団から起き上がると、春枝が体温計を差し出した。
「晃がね、熱がどんどん上がるようだったら念のためお医者さんに行かせてって」
「……大袈裟な」
真人は受け取った体温計を脇に挟んだ。
「川に落ちたの、おれが足を滑らせたからです。すぐ晃が引き上げてくれたから、あれは溺れたうちに入らない」
「もう。そういうことじゃないのよ、まひちゃん」
体温計の音が鳴った。
「37.8かあ。やっぱり熱いわ。ゆっくり休みましょ」
春枝は困った顔で笑った。
「ハクね、ずっとまひちゃんの隣にくっついて離れないのよ。まひちゃんのこと、責任感じてるのかしら」
ハクはいつの間にか真人の隣に戻って寝そべっていた。春枝はハクの背中をぽんぽんと叩いた。
「……春枝さん」
「なあに?」
春枝の柔らかい笑みに、胸が痛い。
言おうか迷った。
でも、今、どうしても春枝に伝えたかった。
「ごめんなさい。晃から、聞いたの。妹さんの話」
春枝の目が大きく見開かれ、ハクを撫でる手が止まった。
「……そうだったの」
「おれ、春枝さんのこと、好き。春枝さんがしてくれたこと、全部全部嬉しかった。ビートルズのことも、聞いた」
春枝の目がみるみる潤んだ。
「ねえ、おれ、春枝さんのこと、嫌いになんかならないよ。おれ、この家が好き」
春枝の頬から、涙が一粒溢れ落ちた。
「本当に我儘なんだけど、本当に勝手なこと言うけど、もう少しだけ、ここに居させてもらえないですか」
春枝は両手で顔を覆ってしまった。
「働きます。お店のお手伝い、します。お皿も洗うし、洗濯物もします。ときどき、迷惑かけることあるかもしれないけど、それでも、ここに居たいんだ。おれ、春枝さんのことも、照夫さんのことも、ハクも、晃も……みんな、大好き」
春枝は両手を解いて、絞り出すように言葉を紡いだ。
「ありがとう、まひちゃん。あなたのそのまっすぐな目を見てるとね、どうしても思い出すのよ。娘のこと」
春枝は涙を乱暴に拭って、声を震わせた。
「本当に、ほんとに可愛い子だったの。笑ったときに涙袋がぷくって出る子だったの。まひちゃんの笑った顔を見るたびに、あの子が帰ってきたみたいで。私、どれだけ嬉しかったか……」
春枝はそれ以上進めなくなってしまった。
背中を丸めて嗚咽を漏らす春枝に、真人はふらふらと起き上がって、春枝の肩に手を添えた。
「ごめんね。ごめんね、まひちゃん。勝手に、思い出して、娘を、重ねてしまって。許してね……そんなのって、ないわよね」
真人は首を何度も振った。
背中をさする間に、冷えピタがはらりと毛布の上に落ちた。
「晃にも、ひどいことした、私。私が落ち込んでばかりだから、あの子だって辛かったのに、泣けなかったのよ。本当に、本当に可哀想なことした。最低の母親だったの」
真人は春枝の背に腕を伸ばした。
「いいよ、いいよ。春枝さん、もう、自分のこと責めないで。おれ、春枝さんのこと好きだから、春枝さんがそうやって自分のこと責めるの悲しいよ……」
ああ、こういうことか。晃が言ってたのは、こういうことか。
「まひちゃん、ごめんね。大好き。大好きよ」
春枝が真人の胸に縋り付いて、真人のシャツを濡らしていく。
真人が腕に力を込めようとしたとき、仏間の襖がスパァン! と勢いよく開いた。
風呂上がりの照夫が、泣き腫らした顔で立っていた。
「おれもまぜろ!!」
照夫は真人ごと春枝をぎゅっと抱きしめて、三人でしゃくり上げて泣いた。
*
「色々とありがとう、もっちー」
「喉、明日からの仕事に響くようだったら困るから、経過観察してね? 受診するようなら早朝に車出すから」
「へいへい」
晃は望月に手を振って、真っ暗な店舗横の勝手口を開けた。
ただいま、と言う声が掠れてしまい、裏口から居間に上がると、ペンダントライトの明かりが一つだけついていた。
そっと仏間の襖を開けて、中の様子を伺う。
真ん中の布団に真人が眠っていて、その両隣を挟むように、春枝と照夫が川の字で寝ていた。
「……おお、帰ったか」
照夫が腰を庇いながら起き上がった。
「……熱は?」
晃が小声で尋ねた。
「さっき測ったのが、37.5。変わらずだ」
「そっか。ありがとう」
晃が暗がりで真人の寝顔を覗き込むと、おでこに冷えピタを貼った真人が、赤い顔ですやすやと眠っていた。
「ただいま、真人」
晃はほっと胸を撫で下ろして、居間に戻った。
先ほどから、右腕が痛い。どこかで擦りむいただろうか。
「おい、ちょっと明かりつけるぞ」
仏間の襖をきっちりと閉めながら、照夫が居間の照明の紐を二回引っ張った。
「あーあー。なんだよ、お前。喧嘩でもしたのか」
照夫が呆れたような顔で晃の腕を掴んだ。
「いっ……」
晃が顰めっ面で不満を訴えるのも無視して、照夫は救急箱の中から消毒液と絆創膏を取り出した。
「人の道に外れることだけはすんなよ。まひ男が悲しむぞ」
「……わーってるよ」
絞り出た晃のダミ声に、照夫が腹を揺らして笑った。




