↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
位置について  作者: はる
第五章 新たなる希望編
45/53

弾劾の咆哮

()(ひと)。真人、聞こえるか?」

 (あきら)の声を頼りに、真っ暗な視界の中で腕を伸ばした。

 曇った視界が次第に鮮明になり、晃の顔が浮かんだ。

 明かりのつけられた部屋の中、時計の音が聞こえる。

 晃以上に自分も全身がびっしょりと汗をかいていて、何か声を出そうにも呂律が回らない。

「まひちゃん。大丈夫?」

 春枝の声が聞こえた。晃が後ろを振り向いて、いいから、と小さい声を上げた。

「しばらく起きてる。何かあれば言え」

 照夫の低い声も奥で聞こえた。

 今、何時だ。

 あれ? 寝たんじゃなかったっけ?

 そうだ。夜中だ。みんな、どうしてここにいるんだろう。

 ドアが閉まる音と共に、また部屋は静かになった。


──見られてしまった。


 最悪だ。何でだろ。

 桜桃忌は終わったのに。

 毎日、毎日こんなに良くしてもらってるのに、どうして。


「真人、着替え持ってこようか。汗で気持ち悪いだろ」

 晃が背中に回していた腕をゆっくり下ろして眉を下げた。


 気持ち悪いだろ。


 晃の言葉が頭の中で反射して、真人はぎゅっと目を瞑った。

「……いらない」

 真人は枕を抱きしめて、晃に背中を向けた。


 朝の食卓で、晃の口から今日のキャンプの延期が伝えられた。

「……おれが、夜中騒いだから」

 真人が肩を落とすと、晃は苦笑した。

「おれが心配なだけ。気にすんな」

「いつ、行けるかなあ」

「明日の午後は田中先生のとこに行くからなあ……体調が良くなれば、明後日に日帰りで行こうぜ」

「……晃、もう、次の日からお仕事なのに。ほんのちょっとしか、もう一緒に居られないのに」

 真人が絞り出すように訴えると、ハクが真人の隣でくうん、と鳴いた。


 真人は朝食にほとんど手をつけなかった。

 食事を下げた後、晃の部屋に敷いていた布団をずるずると引きずって客間へ戻り、そのまま姿を見せなくなった。

 洗面所で顔を洗う晃に、春枝が声をかけた。

「ねえ、晃。まひちゃん、大丈夫なの。昨晩、あんなに取り乱してたじゃない」

「……びっくりさせて悪かった」

 桜桃忌を終えて、油断していた。

 何も解決したわけじゃないのに、何を浮かれてたんだろう。

「……まひちゃん、何かよほどのことがあったの」

 チューブを何度押しても、歯磨き粉は出てこない。晃は潰れたチューブをゴミ箱に放った。

「そこは、聞かないでくれると助かる。お袋にそこをつつかれるの、真人は一番嫌なんだよ」

「晃は、知ってるの。まひちゃんに何があったか、聞いてあげられてるの?」

「……まだ、全部じゃない」

 春枝は涙を浮かべてエプロンの裾を握りしめていた。

「晃、お仕事戻るんでしょう。まひちゃんはどうするの。まさか、あんな状態で一人暮らしに戻るなんてこと、ないわよね?」

「……今、事務所が真人の新しい家を探してくれてる。セキュリティ対策がちゃんとしてるとこ」

 引き出しを漁りながら淡々と答える晃に、春枝は顔を顰めた。

「何言ってるのよ。セキュリティとか、そういうことじゃないでしょ、まひちゃんに必要なのは」

「……お袋がそう思ってくれてることは有難いけど、どこで生活を立て直すかは、最終的には真人が決めることだから」

「決めることじゃない!」

 歯切れの悪い晃に、春枝は声を張った。

「ねえ、悪いこと言わないから、ここに居させてあげようよ。一人で居るよりはマシでしょ」

「わーってるよ。そんなこと、おれだって」

 晃は頭を掻きむしった。

「今後については、真人とちゃんと話すつもりだから。とにかく、お袋は夜中のことは真人に触れないでやってくれ」

「……わかった」

 春枝は悔しそうに頷いて、エプロンで涙を拭った。


「真人、ちょっといいか」

 何度か部屋をノックしたが、真人の返事はない。

 寝ているのかとゆっくりドアを開けると、布団はもぬけの空。

 慌てて部屋の窓から外を見ると、砂利敷きの庭、ガレージ横のコンクリート階段に真人が腰を下ろしていた。

 スケッチブックを抱え、何かを一生懸命にデッサンしている真人の横で、ハクがお座りして尻尾をパタパタ振っているのが見える。

 呑気な姿に安堵すると同時に、勝手に最悪を想像した自分が少し嫌になった。晃は一階まで下りた。

「なーに描いてんだよ」

 砂利を鳴らしながら晃が真人に声をかけると、真人はそそくさとスケッチブックを閉じてしまった。

 晃が顔を覗き込むと、真人はぷいっと顔を背けてスケッチブックを胸に抱き抱えた。

「けち。前は見せてくれたくせに」

「……これは、見せないで、って言われたから」

「は? 誰に」

 晃が首を傾げると、ハクが牽制するようにワン! と吠えた。

 ふと、ガレージの中に停められているデリカに視線を移すと、晃は眉を顰めた。

「うわ、何だよ。デリカ、思ったより汚れてんな」

 土埃を被ったデリカのボディを人差し指でなぞると、指先があっという間に茶色くなった。

「洗うかな。流石にこれで出かけるのは気が引ける」

 真人が立ち上がって晃の隣に並んだ。

「山吹色なのは、わざと?」

 真人が尋ねると、晃は苦笑して首を振った。

「違う、違う。親父が選んだやつだし」

「じゃあ、そうかもしんないじゃん」

 真人はデリカのボディに手を置いて、中を興味深そうに覗き込んだ。

「洗うの、見ててもいい?」

「……何だ、手伝うって言うのかと」

 真人は目を逸らした。

 晃は追及を諦めて、ガレージのホースを水道に繋いだ。

 水を砂利に撒くと、ハクが嬉しそうに飛び跳ねた。

「何で地面濡らすの」

「埃とか、砂が舞い上がらないように」

「ふーん……」

「真人、そこのバケツ取って」

 晃がデリカのボディに水を撒く間に、真人はラックの真ん中に置かれた緑色のバケツを取り出して、晃に渡した。

 晃は受け取ると地面に置いて、ホースの水を溜めた。

 霧吹きを晃が車体に向けてプッシュすると、泡が貼り付いた。

「スポンジは……あった、あった」

 スポンジに水を含ませて、ルーフを撫でるように洗い始めた。

 デリカが、心なしか笑っているように真人には見えた。

「晃」

 水飛沫の音の中で、真人の鼻声が聞こえた。

「なに?」

「夜、ごめん」

 晃は作業の手を止めずに答えた。

「ああ……いいよ、別に」

「春枝さんと、照夫さんも、居たでしょ」

「……」

「そんなに、うるさかった?」

「……お袋が心配症なだけだよ」

「……ごめん」

 真人は拳を握りしめて、顔を伏せてしまった。

「通報とか、されてないかな」

「そういうんじゃねえ。叫んでたわけじゃねーし」

「そっか……」

 真人は俯いたまま絞り出すように言った。

「そっぽ向いて、ごめん。惨めで、謝れなかった」

「そんなの、別にいい」

 晃は乱暴にホースを掴んで、先端をつまんだ。勢いよく飛び出た水が、ボディの泡を勢いよく流していく。

「真人、ここから居なくならなくていいからな」

「……」

「おれ、仕事に戻るけど。お袋も、親父も、ハクも。真人のこと歓迎してるし、昨日のことだって心配してた」

 真人は鼻を啜った。

「おれも、帰れる日は日野に帰るようにする」

「……そんなの、迷惑すぎる」

 真人は首を振った。

「おれ、ここにいていい理由がないだろ、晃が居なくなったら」

 しゃがみ込む真人の頭に、ハクが鼻先をくっつけてくうん、と鳴いた。

「ここに居るのが気が引けるのか。おれの下北のマンション、来るか」

「そんなの、もっと嫌だ。こんな呪いのアイテムと二人で暮らしたら、晃が可哀想だ」

「……その言い方、やめろよ。面白いこといってるつもりなのかもしんねーけど、不愉快だ」

 晃が蛇口を止めてホースをバケツに突っ込んだ。ハクが名残惜しそうにバケツの波紋を舐める間に、晃は真人の横にしゃがみ込んだ。

 真人は顔を埋めて、消え入りそうな声で訴えた。

「桜桃忌の日、毎年怖くて仕方なかったのに、一昨日は楽しかったんだ」

「……うん」

「ゼミ生のみんなにおかえりって言ってもらえて、子どもたちからも、メッセージもらって。有頂天だった」

「良かったじゃん」

「先生になってもいいのかなって、思った。でも、そんなの間違ってるのかも」

「……なんで」

「晃、おれがチャッピーに送った文章、読んだだろ。あれがすべてだよ」

 晃は首にかけていたタオルで雑に額の汗を拭った。

「読んだよ。読んだ上で、別に真人が普通の生活が送れないなんて、思わねえよ」

「それは晃が、判官贔屓してるだけ」

 真人の声が大きくなった。

「……おれ、自分から薬飲んだ。二回目以降、ずっと」

「……」

 真人は膝に顔を埋めたまま呟いた。

「何の薬かはわかんない。でも、それ飲んだら、怖くなかったから。ぐるぐるしてるうちに、全部終わるから」

「……あいつが勧めてきたのか」

 晃の問いかけに被せるように真人が捲し立てた。

「他にもある。おれ、自分から逃げたわけじゃなかった。あの人に捨てられるまで、ずっと逃げなかった」

「……」

「……それで、もう会えない、って言われて、〝捨てないで〟って言った」

「……」

「だから、あの人のこと、好きだったんだと思う。そんなの、おかしい」

「おかしくねえ」

「だって、電話かかってきたとき、ドキドキした。〝久しぶり会いたい〟〝仲直りしたい〟って言われたら、苦しくなった。そんなの、変だ。まだ、好かれてるんだって思ったら、よくわかんない気持ちになったんだ」

「……」

「……ほら、やっぱり。晃だって、変と思っただろ。おれ、おかしいんだよ。このこと考えると、最後は気持ち悪くなるから、考えるのやめることにしてる。そのせいで、いつまでも気持ちがこんがらがったまんまなんだ」

 真人の声が震えた。

「真人がそこに引っかかってるのはわかった。でも、本題はそこじゃねーだろ。本人の同意なく踏み越えたのは、あっちだろうが」

「違う! なんで晃、わかんないんだよ!」

 真人が顔を上げて、涙目で晃を睨んだ。

「だいたい、そんなに嫌なことされたと思うなら、文句言えば良かったじゃん。それ、悪いことです、って。でも言わなかった。そのせいでこうなった。悪いことって気づかないまま、あの人、今も平気な顔して生きてる。おれのせいだ」

「なんでお前のせいなんだよ」

「おれが被害者振ってるからだよ。おれが騒いでるせいで、みんな迷惑してる。おれさえ落ち込まなきゃ、世界は普通に回るのに、おれが、おれがこんな……パニックとか起こすから、みんな、迷惑してる」

「すんごい喋るじゃん。お前、自分をディスるときばっかり饒舌だよな」

 真人の肩がびくりと震えた。

「わりーけど、真人が悪いって話、ひとつも共感できねえ」

 晃は濡れた手で真人の肩にそっと触れた。

「自分のせいにすんの、やめろよ。ずっと思ってっけど。わりーの、最初から最後まで榊だろ」

 真人の顔がさっと青ざめた。

「だから、やめろって、その名前、呼ぶな!」

 真人は晃のシャツを握りしめて首を振った。

「びびってんじゃん。〝名前を言ってはいけないあの人〟状態じゃん。真人、あいつがこえーんだろ」

「怖いだなんて、怠けてる! おれ、男なんだぞ!」

「男だからどーだっつうんだよ」

 真人は自嘲するように呟いた。

「……男のくせに、一丁前に被害者気取ってる。何されたって、妊娠するわけでもないのに。ネチネチいつまでもいじけて、だっせえの」

「……それは、誰に言われたよ」

 晃の声が低くなった。

「言われてないけど、自分で思うんだよ。男同士で、何が被害だ。何が、苦しいだ」

 真人の目は怒りに満ちていた。

「後出しであーだこーだ言うくらいなら、あのとき、舌噛み切って死ねばよかったんだ!」

 真人の声が、ガレージに響き渡った。

「すごく、狡い。拡大解釈して、晃の気を引こうとしてるところ含めて、惨めで、無様で……本当に気持ち悪い」

「……そういう声が聞こえんのか。お前をいじめて、そうやってずーっと罵声浴びせてんのかよ」

 怒りに真人の目が一瞬揺らいだ。晃は掴み掛けられた真人の腕に手を添えた。

「ふざけんな。そいつ、出せよ。真人のこと、いじめんな。おれが許さねえ。おれがそいつのこと、ぶっ殺してやる」

「うるさい、黙れ!」

 真人の手が晃を振り払い、喉元に這わされた。晃は真人の手を掴んだ。

「……真人を侮辱するな」

 構わず真人が喉元に指を突き立てようとした瞬間、晃が真人の手首を捻り上げると、真人は苦しそうな顔で晃を睨んだ。

「……おれ、言ったよな。真人のこと、仲間外れにすんなって。ウジウジした真人も、世界の仲間に入れてやれよ、って。話、聞いてたかよ?」

「……離せよ」

「なあ、聞いてたのかって聞いてんだよ!」

「ワン、ワン!」

「黙れ! 今、めちゃくちゃ大事な話してんの。入ってくんな!」

 晃の制止を意に介さず、ハクが二人の間に入って、真人を庇うように真人の前に立ちはだかった。

 晃は仕方なくハクを抱き上げ、息を吐いた。

「おれ、間違ってた。真人に酷いことした連中を懲らしめることばっか考えてた」

 晃の懐のハクが真人を向いて、首を傾げた。

「……そんなこと、しなくていい」

「ああ。それよりも、真人の中にいる、真人をいじめてる奴を退治すんのが先だった」

 晃はハクの前脚を掴んで、えい、とパンチした。

「何度でも言ってやる。真人のことをいじめんな。おれの大事な人を、真人が傷つけんな」

「……意味、わかんない」

 真人は言いながらハクをそっと奪い返した。ハクは嬉しそうに真人の懐の中で尻尾を振った。

「……おれ、自分でも自分がよく分かんない。悲しいのか、怒ってるのか、好きだったのか、まだ、わかんない」

「いいよ、それで。自分いじめるより、そっちのほうがずっとまし」

「マシじゃない。全然、マシなんかじゃない。全部、取られた。あんなことさえなかったら、美術部のみんなとも、(かおる)とも、ずっと一緒にいられたかもしれなかった」

「……真人が、それを悔やんでるのはわかった。でも、おれは真人がどんな形であれ、生きててくれて嬉しいよ」

 晃はハクの背中を撫でた。

 真人はぽかんと口を開けた。

……今、何て言った?

「真人?」

 真人はふらりと尻餅をついてしまった。

「おーい、大丈夫か」

「……」

 晃は真人の背中に腕を回して、よっこいせ、と抱き上げた。

「……ねえ。ショートした?」

 目を丸くして固まっている真人にため息をついて、晃は台所の勝手口へと向かった。晃の後ろに続いて、ハクも背中を追いかけた。

 勝手口の通路を通る間に、店舗を流れるビートルズの曲が耳に届く。

 『In My Life』。これ、晃の好きな曲だ。

 ジョン・レノンの語りかけるような歌声が耳に心地よく、真人は次第に目を閉じた。


 ああ、そっか。

 なくしたものも、たくさんあるけど、今、ここには晃がいるもんなあ。


 晃、おれも昔、よく歌ってた曲があるんだ。

 いつか、晃に教えてあげられたら、いいな。


「さっきまで騒いでたくせに。すやすや寝てんじゃねーよ」

 晃は客間と自分の部屋、どちらに真人を下ろすか一瞬迷って、自分の部屋を開けた。

 晃が足で布団を広げて真人を下ろすと、ハクがさっと真人の脇に潜り込み、フンッと鼻を鳴らした。

 よく見れば真人の水色のカーディガンには、ハクの短い毛がたくさん絡まっている。

 晃は頬杖をつきながら、片手で一本ずつ抜いて、真人の寝顔の横に並べた。

 纏めた毛を布団の奥のゴミ箱に捨てようとしたとき、つい手が滑って、真人の上にもう一度落としてしまった。

「……何やってんだか」

 カーディガンの毛を摘むと、真人が僅かにみじろいだ。

「……てんむす」

 平和な夢を見ているらしい。


 ほんと、こいつ、呑気で、間抜けで、ドジで、わがままで、やんなるよな。

 なあ、それ、どんな夢だよ。

 いい夢なのか。夢の中の方が、幸せかよ。


「……死ぬなんて、言うなよバカ」

 言ってしまったが最後、堰を切ったように涙が溢れて止まらなかった。

 溢れた涙が、真人のカーディガンに染み込んで、水玉模様を作っていく。


 これ以上は、触れてはいけない。

 でも、触れていないと何もかもが消えてしまう気がして。


 晃は真人の手首をそっと握り、指先に伝わる拍動を確かめた。


 ねえ、真人。

 おれ、お前に笑っててほしくてさ。

 そんだけなんだよ。


 真人が一日を笑顔で終えられるためなら、何だってするよ。

 だから、あんな顔しないでくれよ、頼むから。


 晃は真人の手の甲にそっと口付けた。それでも、その場を離れることはできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。