弔いの夕立
クランクアップの声がかかると、現場には安堵のため息と拍手が沸き起こった。
宗馬の前にスタッフが集まり、深紅のアスクレピアスの花束を渡されて、宗馬は何度も頭を下げた。
「宗馬くん、お疲れ様」
スタッフたちがはけたあと、千木良が宗馬に声をかけた。
「ありがとう。千木良さんはまだシーン残ってますよね?」
「うん。明日で終わる予定」
「そっか。あとちょっとですね」
「……こないだは、ごめんね」
千木良は困ったように笑った。宗馬が首を傾げると、ラッピングされたクッキーの袋を差し出した。
「……くれるの?」
「お詫び。飲み会、つまんなかったでしょ」
千木良の曇った顔に、宗馬は外のベンチに目を移した。
「座って話そうよ。どうしたの」
千木良は少し驚いた顔をしたものの、宗馬の提案に頷いて、宗馬の隣でしずしずと腰を下ろした。
貰ったクッキーを早速開けた宗馬が一枚を差し出すと、千木良は受け取って苦笑した。
「……エマとは昔からの知り合いでさ。なんか、大人になってから話が合わなくなっちゃって」
「そうだったんだ」
「自分でもカンジ悪いなって思いながら、我慢できなくてさ」
「榊先輩のことが好きだから?」
千木良はぎょっとして思わずのけ反った。
「いや、見てたらわかるよ。千木良さん、演技のときはもっと上手いもん」
「あはは……やだ。なんでだろ」
千木良はパタパタと手で顔を仰いだ。笑っているのに、瞳には涙が滲んでいた。
「榊くんのことになると、なんかムキになっちゃうんだよね。理不尽だなって頭ではわかってても、榊くんからお願いされたら嬉しくなるし」
「そうなんだ。でも、それ、良くないよ。千木良さんのためにならないよ」
宗馬はずいっと身を乗り出した。
「おれ、榊先輩のこといまだによく知らないけど。でも、千木良さんがこんな風に悩んでるなら、榊先輩だって向き合わなきゃダメだと思う」
「無理だよ。もう、私のことなんかアウトオブ眼中だもん」
千木良は悔しそうにベンチの座面を爪で引っ掻いた。
「この話、恥ずいから内緒にしてくれる?」
千木良が零すと、宗馬は頷いた。
「ありがと。私、嫉妬深くて。好きな人に、自分のこと見てて欲しくなっちゃうの。めんどい女なんだよ」
「……そんなことない。おれだって、好きな人には自分のこと見てて欲しい」
「昔、神谷くんにも意地悪した」
千木良の言葉に、宗馬は目を丸くしたが、そのまま黙って耳を傾けた。
「榊くんが、神谷くんに執着してるのわかってたから」
「……そうだったんだ」
宗馬が視線を落とすと、アスクレピアスの花が膝の上でそよそよと揺れた。
「宗馬くん、がっかりしたでしょ」
千木良がいたずらっぽく笑うと、宗馬は首を振った。
「がっかりしてない。もう、意地悪しない宣言に聞こえて、安心した」
宗馬が口角を上げると、千木良は目を見開いた。
「話してくれてありがとう。もうクランクアップしちゃったけど、千木良さんと最後に少しだけ仲良くなれて、良かった」
じゃあね、と言って立ち上がり、宗馬は手を振って颯爽と走り去っていった。
ひとり残ったベンチで、千木良はしばらく膝の上のクッキーを見つめていた。
*
頬の痛みにそっと目を開けると、見慣れない病室のカーテンがクーラーの風に揺れていた。
……思い出した。
榊普に噛みついて、仕事クビになって、しかも色々割ったもの弁償させられて、無一文で歩いてたらその辺のチンピラに絡まれたんだった。
で、よく通ってたネットカフェのポイント使って、引きこもってたら……あれ、誰かに捕まって……誰だっけ。
警察? ヤクザ? 冥界からのお迎え?
回らない頭で記憶を手繰り寄せていると、カーテンがガラガラと開いた。
「あ、浜野薫、目が覚めたようです」
……思い出した。真希波さんだった。
真希波さんみたいな人にしょっぴかれて、そのまま気が抜けて気絶したんだ。
「浜野薫、聞こえますか。ここ、病院です。栄養剤の点滴受けて、どうです? 体調のほうは」
「おれも、今からエヴァ乗らされるんですか」
「はあ?」
真希波さんが困惑の表情を浮かべていると、横から悪役顔の男がひょこっと顔を出した。
「おっ。起きた起きた。やっぽー。神谷きゅんのお友達くん」
今度は夏油みたいな見た目の青年が、軽快な口調で手を振っている。
ん? 今、神谷って言った?
「うちの事務所、仕事早くて助かるぅ。よく見つけたね、こばちゃん」
「まさか一番初めに入ったネットカフェで見つけられるとは思いませんでした」
敵とも味方とも判別し難い見た目の二人が、和やかに会話している。薫は懸命に口を動かした。
「すみません、あなたたちは一体どこの誰ですか」
薫の問いかけに、夏油みたいな男がニィッと口角を上げた。
「どーも。おれたちは神谷真人に肩入れしている団体です。神谷きゅんを激推ししてる晃も所属してるよ。よろしくね」
「……ARC?」
薫が大きく目を見開くと、小鳩はやれやれと息を吐いた。
「私、一旦社長に報告してきます。凌也さん、ラジオの時間には遅れないでくださいよ」
「へーいへい」
小鳩の退室とともにドアが閉まると、凌也は頬杖をついてベッドテーブルに身を乗り出した。
「ねえねえ、なーんで榊くんと喧嘩しちゃったの」
「……あんまり言いたくないっす」
薫は腫れ上がった頬を隠すように、掛け布団を顔の下半分まで引き上げた。
「ありゃあ。教えてよう。榊崩し、薫くんだってちょっとは願ってるでしょ」
「……真人と、榊の関係を知ってるんですか」
「知らない。憶測してるだけ。完全な憶測だけど、おれは神谷きゅんに全ベットすることにしたんだ」
「……なんで」
「なーんか、絆されちゃった。晃や姉貴に肩入れするうちに、ほっとけなくなっちゃってさ」
凌也は懐から箱を取り出して、ベッドテーブルに置いた。
「ほい。差し入れ。ミスドのポンデリング」
「……」
「神谷きゅんヲタクの姉貴が、神谷きゅんの勝負飯って言ってた。当たってる?」
緊張の糸がぷつんと切れて、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「榊のやつが、真人を侮辱するような物言いをしてきたんで、むかついてジョッキを割っちゃったんです」
薫は三個目のポンデリングに喰らいついて、嗚咽と共に飲み込んだ。
「……真人が、榊に酷いことしたの、何となく聞いてたから」
「ふーん。どんな風に?」
「……LINEのメッセージで。当時、真人から。真人、精神的にやばそうだったのに、おれ、全然相談乗ってやれなくて……」
薫は鼻を啜って、ベッドの上で立てた膝を抱えるように座った。
「見して」
「へ?」
「LINEの文面。残ってないの?」
茶化す様子もなく、凌也は真顔で手を差し出した。
薫はポンデリングをテーブルに置いて、スマホを取り出した。
もう、友だち表示から消してしまっていた真人を復活させて、トーク画面を開くと、ちょうど五年前の自分の見たくもない返信が画面に表示されて、薫はがっくりとうなだれた。
顔を上げられないまま、薫が画面を開いた状態で凌也にスマホを献上すると、凌也は手に取って過去を辿るように上にスクロールした。
しばらくして、凌也が口を開いた。
「うわ、きっつ。この会話が最後なのか」
薫が恐る恐る顔を上げると、凌也が苦笑いを浮かべていた。
「ごめーん。おれ、今薫くんのこと結構嫌いかも」
両手を合わせて首を傾げる凌也に、薫は両手をついてベッドの上で丸まった。
「……返す言葉もございません」
「で、その後神谷きゅんとは没交渉な感じ?」
「……はい」
「ふーん。じゃあ、どうしてこのタイミングで転職したの。榊の行きつけのバーで従業員を始めたのは、たまたま?」
凌也がスマホを返しながら尋ねた。
「春頃、中学の同級生の結婚式が地元であって、帰ったんすよ」
「ああ、イケメン三谷くんの」
「え、なんで知ってるんすか」
「あ、やべっ。今の忘れて」
凌也がぎょっとして顔を引き攣らせた。
凌也が善人であるとか、真っ当な方法で調査をしていたかどうかというのは、もはや薫にとってはどうでも良かった。
薫は目を閉じて、観念したように口を開いた。
「……その三谷が、結婚式の二次会で泥酔して、真人の話をしてたんです。“おれ、当時、ガチでまひちゃんのことが好きだった”って」
「ふーん」
「そしたら、周りが悪ノリし始めて、他にも隠してることがあるなら言え、今なら新婦が許してくれるぞ、って。そしたら、三谷が、“調子に乗って、真人とキスしたことある”って。皆、笑ってた」
凌也の顔から笑みが消えた。薫は大きく息を吐いた。
「おれ、やるせない気持ちになった。榊だけじゃなくて、いろんなやつから真人はずーっと好き勝手に消費されてたのかな、って」
「……にゃるほどね。それで、榊の通ってるバーの話を聞いて、そこに転職したってわけ」
凌也が腕を組んだまま天井を見上げた。
「で、今更榊を論破して、罪滅ぼしでもするつもりだったの?」
「……そこまでは思ってませんでした。むしろ、当時のこと反省してくれてるんじゃないか、ってうっすら期待してました。その姿を見たら、ずっとついて回る罪悪感が少しは薄れると思った」
薫は膝に顔を埋めた。
「でも、そんなことなかった。全然、反省してなかった。何ひとつ、自分のやったことを点検する気なんてあいつにはなかった。同じ言葉を使って、同じことを話してるのに、会話が噛み合わなくて。悔しかった」
「……ふーん」
凌也は足を組み替えて、唇を舐めた。
「で、仕事もクビになるし、チンピラに絡まれるし、踏んだり蹴ったりだったわけだ」
「……はい」
「もう、これで禊は済んだと思う?」
凌也が片眉を上げて尋ねた。
「……そんなことにはならないんじゃないすか」
「じゃ、も少し神谷くんのために働いてみる気はあるかい」
凌也の問いかけに、薫はそっと顔を上げた。
「ちーっと危険なお仕事。必要資格は一つだけ。普通自動車免許、薫くんは取得済み?」
「……持ってますけど」
「お、じゃあやってみない? なかなか運転手が見つからなくてさあ。もっちーが死んだら将軍の後を継げる人が居なくって、代わりの人材探しててね」
凌也はすっとスマホを開いて、通話ボタンをタップした。
「将軍ー。帝国との戦いに使えそうな、ちょうどいいのを見つけましたよ」
『……誰』
「神谷きゅんの元親友で、ブレイムにも恨みがあるみたい。使い勝手が良さそうでしょ?」
凌也が薫を流し見て、ニヤリと笑った。
*
帰宅した晃が持ち帰った桃は、全部で六個。
なぜこれを一人暮らしの真人が切れる前提なのか。真人の母親は、真人の家事スキルを高く見積もりすぎている。
真人が台所で包丁を握りしめている後ろで、晃は指を咥えながら日川白鳳の安否を見守った。
「うわっ」
「ぐっ……」
「いたいっ」
晃が桃の気持ちを代弁していると、真人は包丁を握りしめたままくるっと振り返った。
「静かにして。集中できない」
「だって、見ろよ、この四角い桃。丸い身体が跡形もねーじゃねーか」
「うるさいな。おれ、晃がお姑さんじゃなくてほんっとーに、良かった!」
包丁を握りしめて威嚇する真人は流石におっかなかった。
晃が観念して項垂れていると、着信が鳴った。望月からだった。
晃はゆっくり廊下に出て、仏間の襖を開けた。仄暗い仏間のなかで、おりんとりん棒が鈍く光っている。
『おっつー。今、平気?』
「桃が二体、殉職した」
『は?』
「いや、何でもねえ。何?」
『晃の復帰の日程が決まったよん。週明けの、水曜日。復帰後は鬼スケジュールだから、覚悟しといてね』
水曜日。あと、四日か。
「わーったよ。それで、真人の物件のことは、どうなってる?」
『今小鳩が探してくれてる。契約までは晃んちに居させてもらえそう?』
「……真人が、そう思えてるうちは、そうしたいな」
切れた! とはしゃぐ真人の声が漏れ聞こえて、晃は苦笑した。
*
切り分けられたサイコロ状の日川白鳳とポンデリングを胃の中に収めて、晃は真人を助手席に乗せ、火村の弔問へと出かけた。
真人と晃を出迎えたのは、火村の所有するマンションに暮らす火村の姉の多恵子だった。
二人並んで仏壇のりん棒を鳴らし、骨壷に手を合わせると、窓を開けているわけでもないのに、線香の煙がくるくると渦を巻いて踊った。
火村は、自宅で亡くなっていたそうだ。通院の時間になっても出発する気配のない火村を案じて、隣の部屋に住んでいる多恵子が心配して見に行くと、すでに息がなかった。
穏やかな顔だったらしい。
真人は仏壇に向かって何度も謝っていた。
大好き、大好き、火村さん。
ごめんね、酷いこと言って、ごめんね。
謝るの遅くて、ごめんね、許してね。
泣きじゃくる真人の背中を、多恵子がそっとさすった。
「いいの。あの人、マー坊が来てくれて嬉しいって、喜んでるわ。そんな気がするもの」
多恵子が真人に語りかける後ろの、庭の松の木。風に揺れる葉の間で、晃は本当に火村が笑ったような気がした。
火村への仁義を通すためにも、最後の火村との会話のことは、墓場まで持っていくことにした。
晃は多恵子に深く頭を下げて、火村邸を後にした。
帰宅の途中で徐々に空が曇り始めたかと思うと、あっという間に周囲は雨に包まれた。
窓に打ち付ける大粒の雨をワイパーが拭うたび、雨水がフロントガラスを流れていく。ゲリラ豪雨の連雀通りは視界も悪く、渋滞していてなかなか前に進まない。
「……ねえ、春枝さんさ、何で田中先生のところ通ってたの?」
真人はブランケットに包まって、窓の景色を眺めながら尋ねた。
「こういうこと聞くのって、よくないのかな。でも、ずっと気になってる」
真人は晃の顔色を流し見た。
「真人、人の心配してる余裕あるわけ?」
晃が尋ねると、真人は口を尖らせた。
「おれ、春枝さんのこと大好きだもん。春枝さんが昔、悲しい気持ちだったのが、悲しい」
車は赤信号でスピードを少しずつ落とした。カチカチ、と左のウインカーの音が車内でやたらと響いた。
「……本当はさ。おれ、ひとりっ子じゃないんだよね」
晃の言葉に、助手席の真人の目が大きく見開かれた。
雨がルーフを叩く音が煩い。
……あーあ。こんなことなら、BGMにカーペンターズでもかけとくんだった。
晃は、真人の顔から目を逸らして、雨の五日市街道を眺めた。
信号が変わるのを注視しながら、話を続けた。
「いたんだ、真人と同い年の妹が。でも、今はいないっていう。そういう話」
「それ……」
晃は眉毛を掻いた。
「おふくろには、おれから聞いたってことは伏せといてね。この話、日下家ではタブーなんだよ。それだけ、お願い」
晃はぴしゃりと言うと、アクセルをわずかに踏み、渋滞の列を少しだけ進んだ。
妹? どうして、いないの。
いつから。
春枝さんは、まだ悲しいの?
聞きたいことが頭の中で渦になって、溢れ出そうなのに、目の前の晃の顔が、もうその話は終わりだと真人に訴えていた。
おれは、悲しい気持ちを晃が聞いてくれたことが嬉しかったのにな。
晃はそうじゃないのかな。
それとも、おれなんかに言いたくないだけだろうか。
「ね、おれキャンプ行きたいんだよ、真人と」
晃は先ほどと打って変わって、明るいトーンで話し始めた。
「この仕事用の車じゃなくてさ、ガレージに格納してるデリカ。あれにキャンプ道具積んで、行ってみねえ?」
「……おれと? 二人だけで?」
晃はなぜか一瞬「うっ」と口篭ったが、小さい声で
「……ハク、置いてってもいい」
と付け加えた。
「連れて行ってもいいなら、連れて行こうよ。ハクと一緒に川遊びしたい」
真人が顔を綻ばせると、晃は大袈裟にため息をついた。
「ばか、六月の道志村の水温、まじで舐めんなよ。冷たすぎて無理」
「晃、すぐバカっていうの、よくない。晃のほうが馬鹿じゃん、大体いつも」
「あァ?」
「ねえ、テント張るよね? 星空見えるかなあ。シャボン玉してもいい? マシュマロは持っていくの?」
コロコロ変わる真人の表情にすっかり毒されてしまい、ついつい口喧嘩が過ぎてしまった。
帰宅するなり真人が、晃の失言を春枝に告げ口して、晃はあらゆる罵詈雑言を両親から受ける羽目になった。




