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位置について  作者: はる
第四章 桜桃忌編
35/53

クズの匂い

「汚部屋片付けたら、怒られた。理不尽だと思わねえ?」

 (あきら)は鼻を鳴らして、抱えた膝に顔を埋めた。

 (りょう)()は適当に頷いて、晃にノンアルビールを注いだ。なぜか酔っている晃は、鼻をかんでゴミ箱に投げ捨てた。

「そういや風邪ダイジョブなの」

「どっか行ったよ。ったく」

 晃と熱い抱擁を交わしていた(そう)()は、望月に引っ張られ、ドラマの撮影へと出て行った。

 残された凌也が、クダを巻く晃の相手をしている。

「あいつさ、運動会で子どもの心配してるくせに、自分は熱中症になってんの」

「ああ、それが馴れ初めってわけ」

「人のことには気を使うくせに、自分のこと大切にしねーんだよ、あいつ」

 知らんけど。

 晃の惚気はさておき、先ほど晃から聞いた紙袋の件の顛末が、凌也の頭の中を占めていた。

 真人はどうやって紙袋が手元に戻ったのか、覚えていなかったらしい。

 晃が神楽坂駅で駅員に聞き込むと、急病人救助の件が奏功したのか、紙袋を引き取りに来た人物の風貌を教えてくれた。

 駅側も、中身を言い当てられない相手に遺失物を渡すことはない。だが、その若い女は、紙袋に書類とプレゼントが入っていることを知っていた。

「もしかして、こんな人でしたか」

 晃がスマホで千木良いのりのアー写を見せると、駅員は、目を泳がせて小さく頷いたそうだ。

 何故、あの女が。

 しかも、いのりは宗馬とドラマで共演する予定だ。晃の機嫌は最悪だった。

……止めなかったら、ドラマの現場まで突っ込んでくつもりだったんだろうか。

 何にせよ、ここで愚痴ってる分には無害なもんだ。おれのライフは削れるけど。

 凌也は晃と同じように膝を抱えて、コーラを喉に流し込んだ。

「親父とお袋を味方につけてるのも腹立つ。なんでおれ、家庭内ヒエラルキー最下層になってんの」

「ぶほっ。神谷きゅん、やるじゃん。尻に敷かれてるわけ、晃」

「……オタク用語が通じる前提でオタクギャグ連発するとこもむかつく。明名書房って実在するのかと思ったじゃねーか」

「それはよくわかんない」

「だろ? ブチャラティの誕生日会、ひとりでしてるって聞いたときはいたたまれなかったぜ。オタク趣味の発散の仕方がおかしい」

「はあはあ。ネット上にも友達いないタイプなのね、神谷きゅん」

「あと、時間局ってなにー!」

 晃は頭を抱えて絶叫した。

「こっちは決死の奪還だったんですけど? 御域のスタッフだよなぁ?! とっきどき現実がメルヘン化するの何なんだよ、一体。着いていけねーよ!」

「落ち着けよ。一人舞台みたいになってるよ」

 凌也が横槍を入れると、晃はハッとして崩れ落ち、そのまま床に手をついて項垂れた。

「……おれのピスタチオアイス」

 まだあんのかよ。

「おれのピスタチオアイスは一口勝手に食うくせに、自分の分はくれなかった。おれのも食べる? って聞くだろ普通」

「晃が聞けばいーじゃん」

「そういうことじゃねえ!」

 晃はごろん、と床に倒れ込んだ。

「いつも充電ギリギリ。あんなの虐待だろ、iPhoneの」

 相槌にもやや飽きて、凌也は空の500ミリをゴミ箱にシュートした。

「……凌也は、榊と共演したことある?」

「ないよ」

「おれ、あいつと話したことあんだよ。雑誌で対談したことあってさ」

 晃は床に寝そべったまま、壁に向かって話し続けた。

「正直、印象は良かったんだ。だから、余計にショックだ。人を見る目、あるんだと思ってた」

 晃は深く息を吐いた。

「……いいやつでも、そういうことするってことよ。誰もがいい面ばっかじゃないってこと」

 柄にもなく説教臭いことを言ってしまったと思った。凌也は咳払いをして、晃の頭をポンポンと撫でた。

「良かったよ、あんたが榊のところに凸する前に、こっち来てくれて」

「……凸しちゃ、だめか」

「だめ。案件が案件だけに、事務所同士の抗争になるから。戦争は将軍に任せましょ」

 晃の結ばれた口が小さく震えていた。

「……晃の考えてること、当ててあげよっか」

 凌也は晃の寝そべった背中に指を立てた。

「榊くんに“あなたにされたことで、神谷きゅんが苦しんでるよ”って言ったら、反省してくれるんじゃないかって思ってんでしょ」

「……」

 昔から、図星のときは口籠る。

 凌也は構わず続けた。

「反省して、あわよくば、神谷きゅんに謝ってくれるかも、って思ってんでしょ。心から謝ってくれたら、幾分か神谷きゅんの心も浮かばれるって」

「……」

 晃の目から面白いくらい涙が溢れ出た。嗚咽を堪える晃に、凌也はその辺のフェイスタオルを放り投げ、その上から晃の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「まあ、そうなればいいけどさ。そうならなかったとき、晃、我慢できないでしょ。殴っちゃうし、今度はあんたが傷つくでしょ。だからやめときな。神谷きゅん、あなたがここでギャン泣きしてること自体、知ったらかなり傷つくよ」

「……泣いて悪りーかよ」

「んや。悪くない。でも、バレないようにしなきゃ。善行は見えないところでね。これも先代の教えでしょ」

 いよいよしゃくり上げて泣き出す晃が不憫で、凌也は笑ってしまった。

「嫌いだ! 榊のこと、大っ嫌い! おれ、世界で一番あいつが嫌い!」

 ジタバタと足をばたつかせて訴える晃を肴に、凌也は差し入れのフレンチクルーラーを一人で平らげた。


         *


 来店する客たちが、しきりに雨の話をしている。雨足が強くなっているらしい。

 窓がない地下のラウンジで仕事をしていると、天気はおろか昼なのか夜なのかもよくわからなくなる。

 (かおる)は濡れた手をタオルで拭いた。

 強くこすりすぎて、指の関節が赤くなっている。

 昨日は、酔っ払ったどこぞの社長から詰られた。そんなのは別に、大したことじゃない。それとは関係なく、薫はずっと苛立っていた。

 インカムから指示が入った。二名来店。芸能人。一旦、カウンターに案内。

 薫は短く返事をして、視線を入り口へと滑らせた。

 先に入ってきたのは女。銀に近い金髪が首元で綺麗に切り揃えられ、白いジャケットの下に細い肩を覗かせていた。

 女は店内の暗さに少しも怯まず、まっすぐカウンターのほうへ歩いてきた。

——モデルの、白石エマじゃん。

 芸能人に疎い薫でも、顔は見たことがあった。

「ねぇ、(あまね)

 女が後ろを振り返ってそう声をかけた。

 薫の手が止まった。

 聞き間違いだろうか。いや、違う。

 エマの視線の先に、知った男がいた。

 喉が震えて、「いらっしゃいませ」が出てこない。情けない。おれは、別に何かされたわけじゃないのに。

 焦りが顔に出ていただろうか。榊は、立ちすくんでいる薫に「どうも?」と声をかけて、顔を覗き込んだ。

「……すみません、ちょっと、オーラがすごくてびっくりしちゃいました」

 薫が取り繕うと、エマが吹き出した。

「正直だね、君。いくつ?」

「……二十三です」

「ふーん。なら、まあ許してあげようよ、ねえ、普?」

 カウンターに腰掛けたエマが肘をついて、隣に座る榊を見上げた。

 薫は二人の前にコースターを置いた。

「お足元の悪い中、ありがとうございます」

「タクシーで店の前までつけてもらったから、全然濡れなかったよ。君、ここのお店でどのくらい働いてるの」

「まだ新人です。先月入店しました」

「へえ。それまでは何してたのー?」

「……ホストしてました」

「ホストぉ? うけるんだけど。売れてた?」

「いえ、全然」

 エマの笑い声がカウンターに響いた。

 そろそろインカムからお叱りが入るかもしれない。基本的には客に絡むな、絡まれるなと言われている。

「お飲み物はいかがいたしますか」

「おれ、ハイボール。エマは?」

「シャンパンがいい。開いてるのでいいよ」

 二人は恋人だろうか。それとも遊びの付き合いだろうか。

 どちらにせよ、今の自分にとっては世界で一番嫌いな組み合わせであることに違いない。

 苛立ちを隠すように、薫はグラスを手に取った。

「バーテンダーの資格あるの?」

「ないです。カクテルはあっちのバーテンダーが作ります。シャンパンでしたら、自分がお注ぎしますよ」

 まだ顔を見られるエマのほうに視線を合わせて、薫は作り笑いを浮かべた。

「……あれ?」

 榊が声を漏らした。

 ボトルを持つ薫の手が、わずかに震えた。

「お兄さんの顔、見覚えある。おれ、昔会ったことありませんか?」

「えっ。まじ?」

 エマが二人の顔を見比べて笑った。

 薫は観念して、ようやく榊の顔に視線を合わせた。

 長めの前髪の奥に、切れ長の二重瞼と三白眼。薫は唾をごくりと飲み込んだ。

「はは。まさか、芸能人様側から、そんなふうに言っていただけるとは」

 霜降り明星の粗品に似てるとよく言われます。せいやにも。

 一人霜降り明星、ってキャッチコピーでやらせてもらってます。

 ホスト時代のつかみトークだ。

 粗品と間違えてますよ、お兄さん。

 そう言って誤魔化そうとしたときだった。

「思い出した。真人の友達でしょ」

 思いっきりボトルを揺らしてしまい、シャンパンをカウンター内にこぼしてしまった。

 榊は構わず続けた。

「薫くん、だっけ。おれ、写真見たから覚えてるんだ」

 おい。

 それ、お前から言うのか。

 なんで、お前のほうからその話を持ち出せるんだよ。

 薫は零れたシャンパンを慌てて拭いて、出来上がったグラスをエマに差し出した。

「真人、最近元気?」

 榊は作業を続ける薫に話しかけた。

「連絡とってないんです。すみません」

 薫は淡々と返事をした。

「え、なんで。親友でしょ?」

「……」

「おれもさ、真人が仕事やめる少し前あたりから距離取られてて。もう連絡取れてなくてさあ」

「待ってよ、普。どういうこと? この人と知り合いなの?」

 エマが苦笑いを浮かべて二人を見比べた。

「神谷真人。昔、ブレイムから御域に移った子がいてさ。おれの後輩だったんだよ」

「あ、なんか名前聞いたことあるかも。その子と知り合いなんですか?」

 エマが身を乗り出して薫に尋ねた。

「……真人には、謝ったんすか」

「は?」

 止められなかった。キャストにバレたら、間違いなくバックヤードに連行される。

「いや、なんか……榊さんから、ちょっと嫌なことされたっぽい相談、受けてたから」

 言ったあと、しまった、と思った。

これでは告げ口ではないのか。

 違う、おれはそんなことがしたいわけじゃない。

 案の定、榊の顔が曇った。

「真人がそんなこと言ったの? うわ、ひっでぇの。何だよそれ……きつー」

「……」

「なんて言ってた? おれのこと」

「……すいません。すいません。真人、めちゃくちゃ体調悪くて、調子崩してたんです。言ってることも支離滅裂で、ちゃんと当時聞いてあげられなかったから。それを悔やんでるんです」

 薫は視線を下げた。

「そーなんだ。まあ、おれもだよ。時期悪かったよね。みんなパンデミックに怯えてたし。ワクチンやっと出回り始めた頃だったよね」

「……」

「薫くんの誤解、解きたーい。おれ、ただでさえいじめっ子の濡れ衣着せられてんだぜ、キャスティングのせいで。好感度上げるために日々徳を積んでるのにさ。

真人の虚言で将来のファンがひとり減らされたら、困る」

 榊はわざとらしく拗ねた声で腕を組んだ。

「いいじゃん、もう。昔辞めた子でしょ? 気にしない方がいいよ、普」

 エマは言いながらグラスを揺らして、薫に視線をやった。

 早く、ハイボールも入れなければ。

「真人は、嘘つきじゃない」

「は?」

「……いえ。おれの言い方が悪かっただけですけど、その、今、そういう流れになってたから。でも、違います……真人、嘘つきじゃない」

 インカムからお叱りが入った。

 いつまで喋ってんだ。早くオーダーを通せ、と。

「何。じゃ、目の前の客の、大昔の個人的な喧嘩に文句言うってわけ?」

 榊が表情を変えないまま首を傾げた。

 薫は握り拳を固く結んだ。

 中学時代の真人が過った。

 授業中、消しゴムを落としたとき、拾ってくれた真人の、はにかんだ顔が浮かんだ。

「そ、そうです。真人、かなり弱ってました。あのとき……相当、参ってました。なんか、その後、真人に謝ったりとか、しませんでしたか」

 榊の顔が険しくなった。

「……なんだよこいつ。山梨に住んでるやつってみんなこうなの? 根暗でねちっこいのばっかりじゃん」

「ねー。いい大人が二人して揉めるほどの話なの、それって。神谷真人、俄然気になるかも。検索しよっと」

 エマがスマホを取り出した。

「……最近、ARCのメンバーが地下鉄で助けた子だよ」

「え。まじ? たまたま?」

「だもんで、晃くんにいちお挨拶したいんだけどな。現場で会う機会なくて、なかなかね」

「……?」

 榊の話す内容の意味が飲み込めず固まっていると、榊が馬鹿にしたように笑った。

「薫くん、知らないのか。まじで没交渉なんだ」

「ARCが、真人を助けた? 何の話。真人、何かあったんですか」

「ねえ、もう良くない? 楽しくお酒飲みに来てるんだよ? 何なの、こいつ」

「えーま。やめなって。みんなに優しくしよーよ」

 榊が女の肩をぐっと引き寄せた。

「真人、どうしてんだろーね。今は晃くんに色仕掛けでもしてんのかな。見境ないもんね、真人って」

「何ー? BLなの、その子」

「うん、ちょっと。でもツラはかなりイイから、いけるよ全然」

 薫は持っていたジョッキを床に叩きつけた。

 ガラスの割れる音。静かな店内に小さな悲鳴。

 インカムから何か聞こえる。もう、どうでもいい。

「……何キレてんの」

「間違えたからです。全部、間違えたからです」

 他のスタッフが集まってきた。

「真人は、自分のこと責めてた。そうじゃない、って言わなきゃいけなかった、おれが。なのに、逃げた。逃げて、真人が傷ついたことを、なかったことにしようとした」

 薫は震える指で榊の顔を指差した。

「お前もだ。お前は嘘つきだ。自分が、嘘つきだから、真人を嘘つき呼ばわりして、なかったことにしようとしてんだろ」

 とうとう薫は取り押さえられた。

 肩を押さえられながら、視線だけは榊から逸らさずに、声を張った。

「おれ、クズだから、わかんだよ。クズの匂いが。お前、クズの匂いがプンプンする」

 榊は、もう薫を見ていなかった。割れたガラスを一瞥して、近くのキャストに小さく声をかけた。

「……こいつ、クビにしてください。客のおれに突っかかってきました」


         *


 宗馬はその日、テレビ番組の収録だった。

 いつものように明るく元気に演者やスタッフに挨拶して回る宗馬であるが、今日ばかりはいつもよりやや表情が固かった。

 共演者の中に、千木良(ちぎら)いのりの名前があるからだった。

「宗馬くん。やっほー」

 はい、話しかけられた。

 セット転換の休憩中。宗馬は表情に出さないようにしながら、元気に、こんにちは、と挨拶した。

「私たち、業界歴長かったのに、共演経験なかったねぇ」

「あ、そうっすね。ARCの他の二人ともないですか?」

「ううん。晃くんとはあるよー。晃くん、たぶん私のこと嫌いだと思う。話しかけても塩対応だったし」

 ばれてるぞ、晃。

「あいつ、ムッツリなんですよ。千木良さん、可愛いからたぶん話しかけられてテンパっただけです」

 ここで、ひと呼吸。

「そうだ、もし良かったら、他のメンバーと一緒に飲みません?」

 凌也、本当にありがとう。全部予習通り。

 もしこの会話を将軍が聞いていたらブチギレそうだな。

 宗馬がいのりの顔を見ると、いのりはにっこりと笑った。

「いいよ。いつ?」

「マネージャー帯同で良ければ、明日の収録終わりでも」

 その後、スケジュール表に飲み会の日程が急遽登録された。六本木にて、若手俳優数名と、晃を除いたARCメンバーによる楽しい合同飲み会が企画されることとなった。

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