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位置について  作者: はる
第三章 日野の食客編
25/29

TAKE ME HOME,

 念願の志望校に入学してから、二週間。

 入部申込書を握りしめて、()(ひと)は校舎最上階の美術室を目指した。

 体験入部のときにつけてもらったあだ名が妙に嬉しくて、息を切らせながら階段を上った。

 入り口の立て付けの悪いドア。体験のときに一人で開けられなくて、上級生の女の子たちが開けてくれたのが恥ずかしかった。

 今日は二の轍を踏むまいと、真人は両手をドアに引っ掛けて、勢いよく開けた。

 先に集まって、歓迎会の準備をしていた先輩たちの視線がこちらに注がれた。

「美術部に入りたいです。これから、どうぞよろしくお願いします!」

 真人の発言に、誰も返事をしなかった。また何かやらかしてしまったかと、真人の顔が青ざめるのと同時に、真正面の先輩が口を開いた。

「どうしよう……たまちゃん、無茶苦茶イケメンだった」

 机の上に広げられていたポッキーが一本、床にコロンと滑り落ちた。

「……眼鏡どうしたの、たまちゃん」

 名付け親の先輩が、顔を引き攣らせながら真人に尋ねた。

「えっと……先週、コンタクト切らしてたから……」

 真人は申し訳なさそうに答えた。

「えっ。じゃあ、このイケメン状態が普通なの? どうしよう。たまちゃんなんて、頓珍漢なあだ名をつけちゃった」

「どうする? 今からハウルとかに変える?」

 ヒソヒソと話し合う先輩たちに、真人は必死に訴えた。

「や、やめてください! おれ、たまちゃん気に入ってるんで。そのままで。そのままで、お願いします!」

 心臓がバクバクとうるさかった。

 嫌だ。やっと見つけたんだ。ここなら、安心できるかも、って思える場所。

「眼鏡の方が良ければ、明日からまた眼鏡かけてきます」

 真人は顔を真っ赤にしながら俯いた。

「ド近眼で、レンズが分厚いから、普段は家でしか、かけなくて……」

 声がどんどん小さくなって、床に落ちてしまった。それ以上言葉が見つからなくて、そっと顔を上げると、同じように顔を真っ赤にした先輩たちの姿があった。

「……可愛すぎる」

「これは、保護案件」

「他の部活に取られちゃだめだ。治安の悪い運動部の連中から、たまちゃんを守ろう」

「うん、私も賛成」

「今こそコーナン美術部の力を合わせるときよ。みんなで、たまちゃんを守ろう」

 言葉の熱量の割に小声な先輩たちは、いそいそと歓迎会の準備を再開した。

 真人は口をへの字に曲げて、「入ってもいいんでしょうか?」ともう一度尋ねた。


「そんな感じでさ、皆、とってもいい人たちなんだ。美術室にいるとき、すごく落ち着く」

 真人が話し終えると、(かおる)は安心したように頷いた。

「それ聞けて、おれも嬉しい。良かったな、真人」

「……うん」

 真人に誘われ、甲府駅までやってきた薫は、武田信玄公の銅像の前でスマホを構えた。

「仕事に部活に、忙しいんじゃねえの?」

「まあ、ぼちぼち。中学のときは、部活入らなかったのが心残りだったんだ。母さんにはやめときなさいって言われたけど、美術部に入って、ほんとに良かった」

「そっかあ。おれも、勉強もう少し頑張れば良かったかなあー」

 真人は、ここ甲府駅が最寄りの進学校へと進学した。毎日三十分も電車に乗るそうだが、東京での仕事に比べれば大したことないらしい。

 翻って、薫の通う高校は、自宅から最も近い工業高校。

 地元から出られない自分と比べて、東京を行ったり来たりしながら難関高校に通う真人が、眩しかった。

 高校が別れて、また一つ世界が遠ざかった気がした。

 顔もよくて、歌も上手くて、勉強までできる。なのに、真人は自分のことを忘れていなかった。

「美術部の話、薫にしたかったんだ」

 そんなことをまっすぐ言われると、胸の奥がむず痒かった。

「そうかよ。ちゃんと聞いたよ」

 思ったよりそっけない返事になってしまったが、真人は満足そうにくしゃりと笑った。

「ねえ、薫の高校、文化祭でジェットコースター作るんでしょ? 見に行ってもいい?」

 こうして普通に喋るぶんには、ただの高校生なのに。

 真人は、明日からまた東京に行くらしい。中央線に何時間も揺られて。

「……仕事、どうよ?」

(さかき)くんが仲良くしてくれてるよ」

「仲良しとかじゃなくて。って、おまえ、榊(あまね)と仲良いの?」

「うん。言ってなかったっけ?」

「やっぱすげーな、お前。ねえ、榊普って、実物もかっこいい?」

「うーん。よくわかんない。普通に、お兄ちゃんみたいな感じ」

「うわー。おれも言ってみてえ」

 薫の嘆きが甲府駅のコンコースに響いた。

「榊くん、手が、綺麗。ハンドクリーム塗ってるんだって。芸能人、って感じだよねえ」

「お前も芸能人だろ」

「来週、榊くんとケーキ食べる。何ケーキにしようかなあ」

「何? 誕生日?」

 真人はふふっと笑って被りを振った。

「桜桃忌。悲しくて、でも、ちょっと嬉しい日」

「何だよ、それ。よくわかんねえ。相変わらず変なやつー」

 そんなふうに軽口を叩けば、真人のことを普通の友達だと思えるような気がした。

 コンコースをすれ違う人たちが、皆一様に真人の顔を一瞥して、目を見開く。

 そんなに見るなよ、と薫は思う。

 自分だって、久しぶりに会った瞬間、少し言葉を失ったことは棚に上げて。

「ここだ!」

 弾んだ声に、薫は真人の背中を追った。真人の視線の先には、大きなまねきねこの看板。

「いっぱい歌うぞー!」

 嬉しそうな顔で手を上に挙げる真人に続いて、薫も駅ビルの中に吸い込まれて行った。


         *


 水車のカタカタ回る音。カラスが川にかかる橋を低く横切った。

 雨のぱらつく曇天の空の中を、真人はあてもなく歩いた。

 ばれた、ばれた。まずい。

 (あきら)の口から、あの名前が溢れた瞬間、平和だった空間があっという間に真っ黒に染まった。

 とうとう、晃まで汚してしまった。どうしよう。どうしよう。

 全部、なかったことにしたい。

 自分が、最初からいなければ良かったのに。

 なんで助けようとしたんだよ、晃のばか。

 

 (ほく)()には、もう居られなかった。


 とうとう、立川の家も、バレた。


 帰る場所なんか、もう、世界中どこにもない。


 もし、帰れるなら、じいちゃんのいる家に帰りたい。

 それが駄目なら、高校の美術部に、帰りたい。

 でも、無理って知ってる。もう、あそこにはおれの知ってる人は誰もいない。


 でも、でも、諦められない。

 あんなことさえなければ、って。


 あんなことさえ、なかったら。


 ううん。違う。

 あの頃は皆、東京に通うおれから、バイ菌うつされたらって、怖がってた。


「触っちゃダメだよ。今、感染症が流行ってるから」

「先生、呼んでこよう。たまちゃん、先週も東京に行ってたもん」


 文化祭の準備中、床に崩れたおれを囲んで、誰かがそう言った。

 たかだかウイルスで、あの騒ぎようだった。

 本当の話をしたら、どんな顔をしたんだろう。

 ああ、だからって、怒ったふりなんかしなくたって良かったのに。

 

 本当は大好きだったのに。

 なんであんな憎まれ口を叩いて、辞めちゃったんだろ。


 あてもなく歩き続けると、教会の駐車場にたどり着いた。聖母マリアの像が、楓の下で雨に濡れている。

 神様なんて大嫌いだ、と真人は心の中で吐き捨てた。

 じいちゃんを天国に連れて行かない神様なんて、知らない。母さんの言うことなんか、信じない。

 真人は乱暴に涙を拭い、そのままマリア像の前のベンチにふてぶてしく腰掛けた。

 だめだ。頭を休めると、また記憶が蘇ってしまう。

 この時期は本当にきつい。不安定な気圧、生温い気温。遠雷、雨の音。全てがあの日を思い出すトリガーになる。

 619、619。

 刻一刻とあの日が迫っている。

 真人はふりしきる雨の中、マリア像の前で朽ちるのは心が咎めて、フラフラと立ち上がった。


 瓶子さんに晃のことがバレてる。

 あの人にもバレてる。

 隠れなきゃ。晃から見つからないところへ。

 見つからなければ、それでいい。


        *


 深い深い眠りから覚醒し、晃は大きな欠伸をした。

 昼寝ってなんでこんなに気持ちいいんだろう。

 目の前でぐーぐーとイビキをかいているハクを視界に捉えて、晃は首を鳴らした。

 すっかり眠り込んでしまった。畳じわのついたエプロンにげんなりしながら、時計を見ると、もう十六時。

 いかん、洗濯物を取り込まねば。

「うっわ、最悪。雨降ってんじゃん」

 二階のベランダを開けると、小雨がしとしとと降っていた。

 せっかく干した洗濯物はしっとりと雨を吸っていて、晃は重たくなった衣服を一纏めに抱え、畳の部屋に取り込んだ。

「真人ー。ごめん、洗濯物仕分け、手伝ってくれないか。真人?」

 居るはずの部屋から、人の気配がしない。

 晃が恐る恐る、真人? と言いながらドアを開けてみれば、もぬけの殻。

 胸騒ぎがして、晃は洗濯物を乱雑にホールに積み上げてから、二階の部屋を全て開けて真人の姿を探した。

──居ない。

 心臓が警告音を鳴らしている。

 階段を慌てて駆け下り、トイレ、風呂、台所、勝手口。くまなく探してやっと気づいた。靴がない。

 もう一度二階の部屋へ戻ると、真人のスマホは布団の上に放置されたままになっていた。

 雨の中、スマホを置いて出かけた? どこへ。

 いつから居なくなった? おれが寝てる間に出て行ったのか。

「親父。真人、見てないか?」

 晃は真っ青な顔で仕事中の二人に声をかけた。

「あら、晃くん」

 常連の福留さんが髭を泡立てながら手を振ってくれた。会釈する晃の顔は引き攣っている。

「まひちゃん? まひちゃん見てないよ。居ないの?」

「見当たらない。雨……傘持ってったのかな」

 照夫や春枝にも声をかけていかなかったのか。

「大丈夫。気にしないで!」

 晃は店舗のドアを抜け、傘を二つ掴み、走り出した。

「晃くん、何かあったの?」

 福留さんがきょとんとした顔で照夫を見ると、「まあね。青春真っ只中」と腹を揺らして笑った。


 ビニール傘に降りかかる小さな雨粒。短パンから伸びた脚に、泥が跳ねた。

 こんな雨の中の、どこをほっつき歩いてんだよあのバカは。

 まさか、あの男に呼び出されたんじゃねーだろうな。

 その可能性が脳裏を掠めた瞬間、晃の走る速度はぐんと上がった。

 晃は真人、と、何ともいいようのない大きさの声で呟いた。

 水車小屋。ここにいることを期待したが、居ない。どこだ。反対側か?

 家の東、西、北。あちこち探してみるも、真人の姿は見つからない。

 一度家に帰って、戻ってきていないかと勝手口の靴を確認すると、ハクがワン! と吠えた。

「悪い、ハク。今お散歩どころじゃない」

 晃が申し訳無さそうに言うと、ハクはたたっと勝手口を飛び降りて、ハーネスを取りに行ってしまった。

──お散歩。いや、人探し。

 雨の中、老犬のハクを人探しに付き合わせるのは心苦しかったが、ハク本人は尻尾を振りながら戻ってきた。

「ハク、状況わかってるか。真人がいなくなった。一緒に探してくれるか」

 晃が尋ねると、ハクはハッハッと息を吐いて駆け出した。

 晃はテーブルの上に置きっぱなしの真人のスマホを手に取った。

 ロック画面には、パスコード用の数字のボタン。

 流石にダメだろ、という理性は真人の命の前には働かなかった。

 四桁の暗証番号。

 真人なら何にするだろう。

 晃はあるキャラクターの名前を、自分のスマホで検索した。表示された誕生日を見て、0927と震える指で打ち込むと、ロックは呆気なく解除された。

 晃が真人を匿った前日までの着信履歴に、同じ携帯からの電話番号がいくつもあった。そして、先ほど、公衆電話から、一件。

──日没までに見つからなければ、警察に連絡しよう。

 大事になるだろうが、真人が死ぬよりはマシ。


 大袈裟だなあ、財布忘れて頭痛薬買いに行ってただけなのに。


 そう呆れる真人の顔を想像して、晃は目を細めた。

 晃はリードを握り、雨の中をまた走り出した。

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