追悼のブリット・ポップ
「さかきくんの漢字はどう書くの?」
「難しい字だよ」
「教えて。ここに書くの」
真人は先ほどまで絵を描いていた自由帳を差し出した。
榊は、雑に漢字を一文字書いて、楽屋のテーブルに鉛筆を転がした。
真人は書かれた一文字をしげしげと眺めた。
「ふーん。なんだか神様みたいだ」
「それなら、神谷のほうが神様っぽくねえか?」
「おれ、神谷、って苗字、嫌い。偉そうだもん」
真人はそう言うと、先ほど書かれた榊の一文字を目を凝らして書き写した。
「書けた!」
ニコッと笑って誇らしげな真人は、小学五年生。最近事務所に入ってきた後輩だった。
弟がいたら、こんな感じなのだろうか。
自分には兄しかいない。しかも、その兄とはまるで仲が良くなかった。理由はわからないが、兄はおれのことが気に食わないようで、ときどき、虫の居所が悪いと殴られることもある。
母親は、受験を控えてるのだから、大目に見てあげて、と言うのだ。
何だそれ。おれ、弟なんだけど。普通、大目に見るのって、年上の役目なんじゃねーのか。
おれが真人にやってることのほうがよっぽど、兄貴ってやつだろう。
榊はぼんやりと真人を眺めた。
ひとりっ子で、マイペースな真人。
さっき書けるようになった漢字に目を細めて、ふふっ、と笑ってまた絵を描き始めた。
「ねえ、真人はなんで芸能界来たの?」
「誘われたから」
「誘われたから、じゃねーよ。誘われたらなんでもついてくのか、お前」
「うん。お化け屋敷じゃなかったら、ついてく。だって、母さんおれのこと好きじゃないもん」
「……ええ?」
絵を描きながら、無表情で、爆弾発言。
榊は首を傾げた。
「そんなこと、ある? 気のせいだろ」
「ううん。違うよ。宗教対立。世界中でそれが原因で、戦争起きてるでしょ。それの、家族バージョン。おれ、母さんの言う神様、信じてないから」
物騒な言葉を並べ立て、自由帳に描いているのはおじゃる丸。周りを飛んでいるデンボまで描き終えると、ようやく真人は顔を上げた。
「じいちゃんがね、おれが六歳のときに死んじゃったんだ」
「……はあ」
「大好きだった。世界で一番。でも、ある日急に、死んじゃった」
「へえ」
「死んじゃった日付、覚えてるよ。六月一九日。本当はおじいちゃんの誕生日だった
。プレゼントも準備してたのに、渡せなかった……」
真人はしょんぼりと目を伏せた。
もう何年も前の話だろうに。
「……そんなに好きだったの?」
「うん。大好きだった。世界中の大好きを集めても足りないくらい」
「わかんねえな。おれ、そんなに人を好きになったことないかも」
榊は椅子の背もたれに寄りかかった。
「いいねえ、神谷。お前、浮世離れしてるよ、相当」
「?」
──鷹見さんも、よくこんなの見つけてきたもんだ。
とんでもなく美形の子を、二人見つけた。
一人は、横浜の中学一年生。
一人は、山梨の小学五年生。
他に取られる前に、うちが引き取ろう。
そういう話が事務所の中で駆け巡っていたのだと、入所してしばらくしてから、|マネージャーの瓶子が教えてくれた。
真人の入所がやや遅れたのは、真人の母親がなかなか首を縦に振らなかったかららしい。
もったいねえの。それで受けられなかったオーディション、いっぱいあったのになあ。真人のこと嫌ってるらしいから、それも嫌がらせだったんだろうか。
「榊くんのお父さんは、いつからいないの?」
「最初から。おれが腹ん中から出る前に死んだよ」
「ふーん」
「おい、聞いておいてそのリアクションかよ」
「じゃあ、なんで死んじゃったの?」
真人は絵を描きながら一応質問を続けた。
「心中ってやつ。きもいよな」
鼻で笑う榊に、真人はついと顔を上げた。
「お父さんに、そういう言い方、よくないと思う」
「……はあ?」
「だって、お父さんいたから榊くん生まれたんじゃん。榊くんがきもいなんて言ったら、お父さん可哀想」
ひとり親であることに同情されることはあっても、窘められることなどなかった榊は、返す言葉が見つからなかった。
真人は色鉛筆を取って色を塗り始めた。
「じいちゃんの命日にね、いつも、歌を歌うの」
まだじいちゃんの話してやがる。
榊はうんざりして、天井に顔を向けたまま適当に聞き流すことにした。
「ギター練習してね、コード弾けるようになったから、お仏壇の前でOasisの “Live Forever”を歌うんだ」
「ふーん……」
「榊くんは、Oasis好き?」
「Oasis 知らねえし。そもそも、音楽、好きじゃない」
「何で?」
「何でと言われても。お前が体育嫌いなのと、同じようなもんだろ」
「榊くん、音痴なの?」
「質問ばっかりだな、お前。そんなんだから友達いねーんじゃねーの」
「……」
返事が返ってこなくなり、榊がそっと顔を戻すと、むっとした顔で睨む真人と目が合った。
「てっちゃんがいるもん。てっちゃんは、おれのマブ」
「マブ?」
「超・仲良し、って意味!」
真人は顔を顰めて顔を榊の前に突き出した。威嚇のつもりらしい。全然怖くねえ。
榊は噴き出した。
「そうですかあ。そりゃ、よござんした。六月十九日、ね。お前のじいちゃんの命日。いや、誕生日か。おれも覚えたよ」
真人は榊に顔を近づけたまま、ぱちくりと目を瞬かせた。
「おれもそのじいさんの追悼、付き合ってやるよ。半年後、覚えてたらな」
*
「……真人? 真人!」
真人がはっと瞬きすると、目の前には炊き立てのご飯と、豆腐と小松菜の味噌汁。
自分の肩に置かれた手を目で辿ると、晃が怖い顔をしてこちらを見ていて、真人は思わず肩を震わせた。
「……まひちゃん?」
向かいの席で、春枝が心配そうに声を上げた。
「……あ」
声が、出ない。なぜだ。
真人はふいに首元に手を伸ばしかけたが、そのままスウェットに撫でさすって、床に下ろした。
もう一度、恐る恐る晃へ顔を向けると、晃は苦笑して、息を吐いた。
「食べよう。夕飯」
「……」
「「いただきます」」
春枝も照夫も手を合わせ、目を閉じた。
真人は数秒遅れて、同じように手を合わせた。目は、閉じられなかった。
「ここ、真人の寝床」
真人の布団は、二階の空き部屋に敷いた。
部屋には夕飯前に掃除機をかけ、窓を開けて風を通しておいた。隣は晃の部屋で、洗面所とトイレも近い。
設えられた布団を真人はしばらく無言で眺めた。
「帰る」と言い出すのではないかと晃は気を揉んだが、真人はぺたんと布団にへたり込んでそっとカバーに手を添えた。
六月も半ばで少し蒸し暑かったため、扇風機を回して空気を動かした。クーラーを入れるのは嫌がられたので、窓は網戸のままにしておいた。
「もし暑かったり寝苦しかったりしたら、クーラーつけていいから」
晃が言い終わらないうちに、晃の背中の裾が掴まれた。
「……どうした」
さきほどまでの笑顔はすでに無く、真人は目を伏せて呟いた。
「母さんが……」
「?」
「母さんが、もし、立川に来たら。時間局に、見つかったら……」
真人は細切れに言いながら、息が浅くなった。
晃は裾を掴んでいた真人の手をそっと外し、その肩へ手を置いた。
「なんか、お袋さんから連絡来てんのか?」
真人は首を振った。
「……けんか、した。けんかしたから、黙って、立川来るかも。そしたら……」
真人が眉を下げて狼狽えた。
「大丈夫。落ち着いて、真人。お袋さん、平日は仕事してるんだろ。とりあえずは心配すんな」
「今日って、何曜日?」
晃はため息をついた。
「……日曜日。もう夜。なんか連絡来たらおれにも教えて。ちゃんとおれも対応するから。な?」
晃が言うと、真人は力尽きたように布団にへたり込んだ。晃は畳まれたタオルケットを真人に差し出した。
「疲れただろ。まずはゆっくり休みな」
「……」
「晃、もう寝るの?」
真人が尋ねると、晃は首を振った。
「少し作業してから寝る。真人はもう寝ろ」
何か言いたげな真人の頭にぽんと手を置いて、晃は照明を消した。
「ありがとう、色々と。理由もちゃんと話さないままだったのに、思った以上に真人に良くしてくれて」
晃はそう言って両親に頭を下げた。
こたつテーブルの上には湯呑みが三つ。春枝が淹れて待っていてくれた。
「あの子は芸能人か?」
照夫が徐に尋ねると、晃は首を振った。
「今は普通に暮らしてるんだ。でも、それがうまく行ってなくて……今、家に戻すと危険な状態。とにかく、体調とメンタルがある程度回復するまでは、ここに匿わせてほしい」
晃が改めて頭を深く下げると、春枝がまあ、と顔に手を当てた。
「まひちゃん、ご家族はいらっしゃるの?」
「山梨に、親族がいるとは聞いてる。でも、色々あって、今は連絡が取れない状態」
──母さんが、時間局に見つかったら。
厳密には、連絡が取れないわけではない。
母親の心配はするくせに、なんで自分が心配されるのは嫌がるんだよ、あのバカ。
「……晃?」
はっと我に返って顔を上げると、心配そうな両親の顔があった。
「真人が落ち着いたら、ちゃんと連絡するよう促してみるよ」
晃が言うと、春枝はやや間があってから小さく頷いた。
「……順番が前後したけど、おれ、仕事を一週間くらい休むことになった。ここでしばらく一緒に暮らさせてほしい。おれのマンションより、こっちのほうが生活感があっていいと思ったんだ」
春枝と照夫は顔を見合わせた。
「今日はおふくろに甘えちゃったけど、明日から真人とおれの分のメシはおれが責任持つよ。安心して寝る場所だけ、提供してやって欲しいんだ。あ、あと風呂もか。銭湯はあんまり気が進まないから……」
晃が後半言い淀んでいると、
「お前な……言ってること分かってるのか」
照夫が頭を下げている晃に低い声を落とした。
「こんなプライバシーもへったくれもない家にあの子を住まわせて、存在を無視しろって言うのか? 無理。無理だ、アレは」
「……はい」
「なーにが『おれが責任持つよ』だ。ねー? ママ」
春枝は眉間に皺を寄せ、深く頷いた。
「そうよ。晃が独り占めするなんて許せない」
「……えっと」
「今日ね、私の作ったごはんをおいしい、おいしい、って食べてくれたのよ。お口が小さくて、一度に少ししか食べられないのに、もぐもぐ一生懸命噛んで食べてて、とっても可愛かったわ」
晃が絶句していると、照夫が続けた。
「お前がアイドルになると聞いたときは、大切な人を紹介されることなんて、もうないんだろうと諦めてたよ。こういうことだったんだな」
感慨深い顔でサムズアップしてくる照夫の右手を掴んで、晃は額に青筋を立てながらゆっくりとテーブルに沈めた。
「親父。はっきり言うが、真人はそんなんじゃない。見た目があんな感じとはいえ、勘違いすんな」
「えっ、違うのか。くそっ、心の準備いろいろしてたのに!」
能天気な照夫の訴えに、晃の声が低くなった。
「あと、親父は真人への距離がやたら近い。二メートルは離れろ。わかったか」
二、と指を立てて晃が凄むと、照夫は顔を真っ赤にして怒った。
「おれはあの子にセクハラなんかしてねえぞ!」
「してたわ! 何が新垣結衣だ、バカ親父。そういうノリ、まじでやめろ。そもそも似てねえし。真人はこれまで容姿のこと散々色々言われてきてんの。時代は令和だ、アップデートしてくれ頼む」
晃と照夫がおでこをくっつけんばかりに睨み合っていると、春枝が困ったように首を傾げた。
「まひちゃん、とっても可愛いわよ。可愛いもだめ? 線引きがわからないわ」
「……」
「もう、無視しよ、ママ。晃はあの子を取られるのが嫌なだけだよ」
照夫は内緒話のようなジェスチャーをしつつ、通常ボリュームで春枝に耳打ちした。
「毎晩、まひちゃんダービーを開催したいわ。今日まひちゃんが一番好きだった人は誰? ってドラムロールつけて発表するの。今日の一位はたぶん私ね。ごはん作ってあげたし。うふふ。明日からもおいしいご飯食べさせてぷくぷく太らせよっと」
「いいぞ! やったれ! ママ!」
笑い合う春枝と照夫に、晃は呆れつつもやや安堵して、ありがたく緑茶を啜った。
その後なぜか照夫と喧嘩する羽目になり、晃が二階に戻ったのは日付を跨いだ後だった。
真人の部屋は少しだけドアが開いていた。そっと中の様子を窺うと、暗がりのタオルケットがもそもそと盛り上がった。
「真人、起きてたのか」
「……寒い」
真人はタオルケットにくるまったままそう呟いた。
「寒いのか。タオルケット足すか? 毛布がいい?」
「……」
真人は答えなかった。
「毛布、取ってくるよ」
晃が踵を返して階段奥の納戸に向かうと、起き上がった真人がペタペタと足音を立ててついてきた。晃は納戸の中の収納棚を開けて、春先に仕舞った自分の毛布を取り出した。
「おれが持ってくから。真人は横になんな」
毛布を抱えた晃の横を真人はおぼつかない足取りで歩き、部屋に戻るとぱたんと布団の上にうつ伏せで倒れた。
晃は真人の身体にそっと毛布をかけた。
「おやすみ。もし、何か困ったことがあったら起こして。おれ、隣の部屋で寝てるから」
「……母さん、大丈夫って」
「うん?」
「来ないから大丈夫って、言って」
小さな後頭部のお願いに、晃はため息をついた。
「……来ねぇよ。大丈夫だから」
真人は返事をせず、受け取った毛布を頭まで被ってしまった。
「……おやすみ、真人」
晃はずっと放置していた望月からの不在着信を折り返すことにした。
部屋のデスクにスマホを立てかけ、通話ボタンを押す。
「もっちー。遅くなった」
『晃! もー。大丈夫? 今どこいるの?』
「今実家。さっきはごめんね、電話出られなくて。何かあった?」
『ありまくりだよ。その話していい?』
なんだかもっちーの声が懐かしくて、泣ける。
おれ、ARCに戻れるのかな。
『今さぁ、宗馬と事務所でご飯食べてるんだ! テレビ電話していい?』
そうか。一般社会に居ると就寝しているのが当たり前の時間だが、普段はこの時間に夕飯だって当たり前。何だかメンバーたちの世界が遠く感じられて胸が痛い。
『はい、いいよ。どう?』
『イェーイ!!』
画面いっぱいに、望月と宗馬の変顔ダブルピースが映って、思わず頬が緩んだ。
『実は、昨日の昼にね、芸倫協の会合があったんだけど、そこで、鷹見社長が瓶子と接触できたみたい。帰ってきた鷹見社長、なんかキレてたんだけど、売られた喧嘩は買う、って言ってた』
「はは。さすが」
『でね、実はその会合に合わせて、時限爆弾を仕込んでたんだ。御域プロ所属の俳優の投資詐欺疑惑。晃、ニュースとか見てない?』
「え?」
晃は慌てて画面を切り替え、ネットニュース記事を開いた。
「見てなかった。でも、これってどういうこと。うちの社長がネタを売ったってことか」
『うん。晃のAirTagのこともだし、ここ最近の御域プロの動き、鷹見社長相当頭にきてたみたいでさ。あれから動いてたみたいだよ』
「それで、あの爆弾のスタンプ……いや、わかんねぇよ」
晃は苦笑した。
『おまけに、その投資話を仕切っていた人間の中に、ブレイムの上層部の人間もいたっぽい。つまり、同時多発で大爆破!』
宗馬が望月の後ろでボン! と言いながら首からピンを引き抜くジェスチャーをした。
こいつら、酔ってんな。
「しばらく御域プロも、ブレイムの上層部も、真人どころじゃなくなるってことか」
『たぶんね』
「ありがとう。社長にも伝えてくれ」
『真人くんには会えた?』
宗馬が画面に近づいて首を傾げた。
「ああ。今も一緒にいるよ」
『ええっ!?』
望月と宗馬のあまりの声量に、スマホが音割れした。
『晃ったら、真人くんのこと実家に連れ込んでるの? やば! やること早っ!』
叫ぶ望月の横で、宗馬が顔を顰めた。
『くそー! 予想外れた。絶っ対下北のマンションに連れ込んでると思ったのに! 実家に賭けたやついなくない?』
「……言いたいことはあるけど、一旦置いとく。よく聞いて」
二人が静かになるのを待ってから、晃は続けた。
「昨日の朝、真人の家の前で、関係者の連中を見かけたんだ。二人組だった」
『……マジで? やばいじゃん、大丈夫だったの?』
「……ああ。それで、ひとりにしておくのは危険と判断して実家に移した。今の話だと、爆弾が爆発したのは昼間?」
『そう。昼の十二時。事前連絡なしの、完全なテロ』
──だとすると、昼過ぎに来たあの男は誰だ。
「もっちー、宗馬。瓶子はともかく、御域プロ側には、まだ自由に動けるやつが残ってる可能性がある」
『そうなの? 瓶子とは別で、真人くんに執着してる人間がいるってこと?』
「今日、真人の家に若い男が訪ねてきた。声に聞き覚えがある。所属タレントかもしれない」
『えー! 怖っ! それ、誰か分かりそう?』
「ああ。たぶんな。分かり次第、また連絡するよ」
それに、あの声。
いや、まさかな。
『晃、ファイト!』
宗馬がガッツポーズで答えた。
「映ってないけど、そこに凌也もいるんだろ、どうせ。よろしく言っといて」
『だってー、凌也』
宗馬が奥を振り返ると、画面の奥で、凌也の長い右脚だけが、ぐいと高く上がった。




