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位置について  作者: はる
第二章 マインド・クラッシュ編
20/23

非常線突破

 ここは、どこだ。

 かつて読んだ『()(しょう)(もん)』。その楼上ではなかったか。

──いや、ここは、休日の住宅街。

 曇天の低い空。

 立川市の黄色い指定袋が道路のど真ん中に転がり、カラスに突かれていた。

 前方を歩く()(ひと)は、カラスの食卓を避けることなく、ゴミ袋をぐしゃりと踏んで突っ切った。

 りんごの皮を踏み越えていく真人の背中を、カラスの鋭い双眸が目で追う。

 羽ばたいて威嚇するカラスを警戒しながら、(あきら)はゆっくりと真人の後ろをついて行った。

 たまにすれ違う住民は、やや怪訝な顔を向けるものの、まさか活動自粛中のアイドルだとは誰も気づいていないようだった。


 細い。絶対こいつ、飯食ってない。


 最後に会ってから一週間くらい。あのときの溌剌とした笑顔は見る影もない。

 あと、その眼鏡はどうした。

 近くの調剤薬局の前までやってくると、真人はプッシュハンドルに手を伸ばした。

 体重をかけてどうにかドアを開けようとする真人の後ろから、晃がさっと手を伸ばしてドアを引いた。無言の真人に続いて、晃も薬局の中に入った。

 もう少し大きなドラッグストアに行けばいくらでも選べるだろうに。

 か細い背中を丸めた真人は薬剤師に「頭痛薬、ありますか」と小さな声で聞いていた。

 お痛みはどんな感じですか? と女性の薬剤師が尋ねるが、真人の説明はおぼつかない様子だった。

 晃はソファに座って、その様子を見守った。薬局のテレビ画面が切り替わり、俳優の訃報が流れていた。


──嘘だろ。


 往年の俳優、火村修司さんが、東京都小金井市の自宅で亡くなりました。七十五歳でした。

 関係者によりますと、火村さんは昨年、進行性のがんが見つかり、公表せずに闘病を続けていましたが、先月から体調が悪化していたということです。


 頬杖をついたまま、晃はテレビ画面を見つめた。

 おれと電話したのが二日前。

 あれは……いや、嘘だ。そんなはずない。


 マーのこと頼む。

 じゃあな。


 これじゃ、遺言じゃねぇか。

 ふざけんな。こんな状態の真人を置いて逝くってのかよ。

 晃は再び真人に視線を戻した。真人はテレビ画面に背を向けて、薬剤師と話している。

『続いてはお天気ニュースです』

 テレビの画面がぱっと明るくなり、関東の天気図が表示されると、晃は息を吐いた。

「あらぁ……それはしんどいですね。ロキソニン飲まれたことはありますか?」

 真人は薬剤師の問いかけにこくんと頷いて、Suicaを取り出した。

 あっ、と晃が言うのと同時に、残高不足の表示。

 薬剤師が話しかけても、真人は無言で突っ立ったままだった。

「すみません、これで」

 晃がスマホをかざすと、薬剤師はほっとした顔で真人にロキソニンの箱を差し出した。

「ここで飲まれますか? お水出しますよ」

「……」

「飲みなよ。早く効いたほうがいいだろ」

「どうされます? 今出して良いですか?」

 薬剤師の問いかけに、真人は小さく「お願いします」と返事した。

 薬剤師がシートから押し出した一錠を掌に乗せ、反対の手で紙コップを受け取る。

 ソファに沈む真人の横に、晃は腰を下ろした。

「……変装しなくていいんですか」

「帽子、車に忘れた。焦ってた」

「活休中に、立川の薬局で油売ってたのバレたら、まずいんじゃないですか」

「……早く飲めば」

 真人はちらっと晃を睨んだ。

「おれがいると視線が気になるのか。外出て待ってるよ」

 晃がそう言って席を立とうとしたとき、真人は広げた掌をばっと口に当てた。すぐさま一口水を流し込んだものの、そのまままた右手で口元を押さえている。

 肩が小刻みに上下していて、浅い息遣いが聞こえた。

 晃は咄嗟にリュックの外ポケットからスポーツタオルを取り出して、真人の口元へと寄せた。

「ミスった? 一回出す?」

 紙コップの水面が揺れる。

 晃の問いかけに、イヤイヤと首を振って耐えているものの、いつまでたっても嚥下の音が聞こえない。

 どのくらいのあいだ、真人の口元にタオルを添えていただろう。

 昼の帯番組のオープニングとともに、「ごくん」の音が聞こえて、晃はほっと胸を撫で下ろした。


         *


 同じ頃、晃の代打を押しつけられた凌也は、巨大な絶叫コースターの搭乗口にいた。

 晃の活動自粛期間は八日間。音楽番組への欠席は避けた上で、他の仕事は事務所の他の人間が代演できるよう、スケジュールを調整した結果の日数らしい。

 その日の朝一番の仕事は、よみうりランドからの中継。

 無表情で最前列に乗り込む凌也のことを、望月が心配そうに見つめていた。


 この仕事を振られたとき、凌也は初めて文句を言った。

「何で、おれなんだよ!」

「宗馬はドラマの撮影が入っていて、こんな仕事を他の俳優に頼むわけにもいかないだろう」

 鷹見はせせら笑い、「行け」と机を指で弾いた。


「凌也……笑顔、笑顔!」

 望月が胸にハートマークを作って凌也にサインを送ると、凌也は口元を引き攣らせながら、カメラに視線を合わせた。

「おはようございまーす! 今日はなんと、朝からARCの凌也くんが来てくれていまーす!」

 ふざけんな。なにがアイドル。こんな思いのために生まれたんじゃねーぞ、おれは。

「行ってらっしゃーい!」

 車体がカタカタと音を立てながらゴンドラよりも高く登っていくのを、望月が手を組んで見守った。

 位置エネルギーが高まる。フォースが集まっている。

 これは暴力だ。著しい、人権侵害だ。

「絶対、許さねえ」

 凌也はそれ以降、その日は一言も喋らなかった。


         *


「おれが、可哀想に見えましたか」

 真人は振り向かないまま呟いた。

 このカーブの道を突き当たりまで進めば、もう真人のアパートが見える。

 ここでケリをつけようと言わんばかりに、真人は立ち止まった。

「……違う」

「違わない。晃さんはいい人だから、困ってる人を見捨てられない人だから、おれのことをほっとけないんでしょ」

 古いコインランドリーの入り口から出てきた股引きの老人が、真人と晃の間をヨロヨロと通り過ぎた。

「いいです、大丈夫。おれ、ここまでどうにかやってきたので」

「大丈夫じゃない。お前、自分の状態わかってねーだろ。お前、ほっとくと死にそう──」

「だから、そうやって、そうやって助けて、助けた相手が全然思ってたのと違ったら、どうするんですか!」

 真人は泣き顔もかまわず、振り向いて晃を見上げた。

 背中は丸まり、肩はふるふると震えている。晃を睨みつける目だけが、死んでいなかった。

「おれは、晃さんが思ってるような人間じゃない。勘違いしてる。そのうち晃さんだって思う、こんなやつだったのかよ、お前って」

「……よっぽど自分の第一印象に自信があるんだな。それ、おれがお前のこと大好き、って前提で話してるように聞こえるけど」

 真人は虚を衝かれた顔で固まった。

──落ち着け、神谷真人。LINEじゃどうか知らんが、現実世界のおれにレスバで勝てると思うか。

 そう答えながらも、晃の鼓動は速い。握った拳には汗が滲む。

 真人は俯いた。

「……漫画の連載と一緒です。読んでて途中で嫌になるやつ。急に変な過去編と自分語りが始まって、本編が全く進まなくてダルいタイプの。本当は読むのやめたいけど、キャラに情が湧いてるせいで惰性で読んで。途中で展開に耐えきれなくなって、集めてた単行本全部捨てるパターン」

「お前、ワンピースに何か恨みでもあんのか」

 真人はわなわなと握り拳を震わせた。

「違う、晃さん、なんでわかんないんだよ。こんだけオブラートに包んでんだから、察しろよ、バカ!」

 目を瞑った真人の目尻から涙がひと粒溢れた。晃はゆっくりと歩みを進めて、組み手の間合いで立ち止まった。

「それは、中学のイケメンくんに告白されたことを言ってるのか。それとも、お前が芸能活動をしてたことをおれに黙ってることか」

 真人の目が見開かれた。

「……いつから知ってたんですか」

 もう怒りの色は消えていた。怯えと疑いを剥き出しにした視線が、晃に向けられた。

 晃は肩をすくめた。

「いや、普通に……気になってる子がいたら名前くらい、検索するだろ、今の時代」


 気になってる子、検索、時代。


 三つのワードが処理しきれず、真人の頭の上でぐるぐる回っていた。

 涙目で固まっている真人の様子が面白くて、晃は少し笑いそうになった。

「……ついでにいいか。今、業界荒れてる。お前も危ない。辞めたって言っても、縁が切れてないだろうが。ボンビーだってついてきただろ」

 ボンビー、という言葉に真人の目つきが鋭くなった。

「うるさい、ついてくんな、バカ、あほ、まぬけ、タコ!」

 ここまでくると、もはやレスバも意味がない。

 思いつく限りの悪口を必死に並べ立てる真人の顔を眺めていると、視界の奥に人影が映った。

「……誰だ、あいつら」

 真人のアパートの方向に、二人のスーツ姿の男たちが向かうのが見えた。

 いまだにハゲだのイモだの言ってる真人の前に手を翳し、男たちの視線から遮る。

「……ここに隠れてろ」

 晃は横のコインランドリーを指差した。

「?」

「今、怪しいやつらが真人のアパートに向かってった」

 晃はそう言うと、真人をコインランドリーに突っ込んで、小走りに突き当たりまでの道を進んだ。

 こちらには気づくことなく、男たちはアパートの奥の階段へと上り始めた。

「おい、無視すんな」

「なんっで付いてくるんだよ! 大人しくしてろ」

「ここ、おれんち。通報するぞ不審者」

 真人と押し問答をしている暇はない。

 晃は男たちに見つからないよう、入り口脇の植え込みに背中を預け、真人の部屋に続く階段をそっと覗いた。

 やはり、男たちは真人の部屋の前で立ち止まった。インターホンの音が、かすかに聞こえた。

「やべ、こっち来た」

 晃は壁際のドウダンツツジの植え込みに、真人を押し込んだ。

 晃は真人に覆い被さって、アパートのコンクリート壁に手をついた。男たちの足音が階段に響くたび、胸が押しつぶされそうになる。

 数秒か、十数秒か。足音が遠ざかるまで、晃は息を止めていた。

「真人、今の誰かわかるか……真人?」

 真人は返事をしなかった。

 呆然と目を見開いたまま、浅い息を繰り返す真人の唇が震えている。

「真人、深呼吸。息、吐け」

「……時間局の、人たちだ」

「時間局?」

「……もう、おしまいだ。何もかも」

 真人は震える膝を抱えて蹲ってしまった。

「……抱えていいか」

 晃が耳元で囁いた。

「一旦逃げる。車乗れ。話は後だ」

 返事を待っている猶予はなかった。

 晃はそのままひょいと真人を抱え上げた。

 札束抱えた銀行強盗って、こんな気持ちなんだろうな。

「舌、噛むなよ」

 晃は一目散に愛車のMAZDA3へと走った。

 後部座席に真人を寝かせ、ブランケットをかけた。助手席に置きっぱなしだったキャップ帽を取り、真人の顔に被せた。

「たぶん二十分くらいで着く。その体勢で居ろよ」

 晃はエンジンをかけて、カーナビを行き先候補1に設定し直した。

 シートベルトを締め、バックミラーの角度を変える。

 キャップのつばに半分隠れた真人の顔が、ミラー越しに見えた。


 こいつを助ける、絶対に。


 神谷真人は、おれが死なせない。

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