制約と宣約
「蟻のように働いて、キリギリスのようにくたばる。その覚悟があるやつ以外、いますぐ帰れ」
候補生が何人か残っている夜のスタジオの中で、社長の声が静かに響いた。
あの夜、膝を抱えて泣きじゃくっていた金髪の子どもが、宗馬。
顔色ひとつ変えず、後ろ手をついたまま鼻をほじっていたのが凌也。
振り付けを全く覚えられず、全身汗だくで酸欠になっていたのが晃だった。
社長はたまにスタジオに顔を出して、失敗ばかりのズッコケ三人組にとうとうと説教をした。
「意味わかんないっすー。具体的にどういうイメージですか?」
凌也がヘラヘラ笑いながら社長にくってかかった。宗馬はそれを見ただけで半泣きだった。
「リョーさあ、スター・ウォーズはわかるかい」
「わかりませーん」
「君たち、全員帰ったら観なさい。一般教養だよ、あれは。いいね」
社長は杖を三人それぞれに差し向けて、鋭い眼光でそう言った。
「ボクのことはマスター・ヨーダと思ってくれて構わない。そして、君たちはパダワン。フォースの使い方も、なっちゃいない」
「……フォースを、大衆に捧げよってことですか」
晃が徐ろに口を開くと、社長はパン、と手を叩いた。
「そうだよ、君。良いこと言う」
晃はまだ自分だけ名前を覚えられていないことに薄々勘付いていた。
「自分を削って作品を生み出すのがアーティスト。大衆の欲望を満たすのがアイドル。だから中身はカラッポでないとダメなんだ」
「思想を持つな、欲を持つな、ってこと?」
凌也が尋ねると、社長が両手を上げた。
「決めた! センターは泣き顔の可愛いソーちゃんにしよう。いいね。君たちはソーちゃんを守りなさい。社長命令!」
凌也も晃もぽかんと口を開けた。宗馬は急に指名されて、はたと泣くのをやめた。
あれがもう、十年も昔の話。
*
その日は、晃が休養に入る前のメンバー飲み会が望月の家で開催されることになっていた。
煮立った土鍋に、それぞれが思い思いに具材を追加していく。凌也が初っ端から肉ばかり入れるので、望月特製のあごだしスープはすぐ濁った色になった。
「すっげー。あの将軍とタイマン張ったんだ、晃」
望月が経緯を話し終えると、宗馬が目を輝かせて晃を見た。
「宗馬まで知らなくても良かったのに。ごめんな、宗馬」
「いいよ、全然。それより、やるじゃん晃。これで変なこと画策してる連中が皆やっつけられたら、最高じゃね?」
「そんなにうまくは行かないと思う。それに、将軍はオレがハッタリかましてることにも勘づいてそう」
晃は缶チューハイを膝に乗せて項垂れた。
「まぁ、あの人のことだし」
凌也は言いながら煮えた肉を盗んでいく。
「どこまで本当かはわからんが、そこまで啖呵きるならやってやる、って感じじゃね。そんな気がする」
「そうかもな」
晃はチューハイを机に置き、正座し直した。
「何にせよ、すまん。しばらく休みます。ご迷惑をおかけします」
頭を下げる晃に、望月が申し訳なさそうに口を開いた。
「神谷くん、大丈夫なの? こうしてる間も、神谷くんて一人でいるんでしょ?」
そうじゃん、と宗馬が正座している晃に訴える。
「LINEやり取りしてる分には元気そうなんだけど……どこまで本当なのか、わかんねーや。最近、返信遅いんだよな」
晃はスマホを取り出した。
「次に行くときは、防犯カメラ設置する」
「防犯カメラ?」
「ああ。もう立川のビックカメラに取り置きしてる。あいつ、機械音痴だから、おれが次に行ったときにつけるつもり」
画面をスクロールしながら淡々と話す晃に、三人は顔を見合わせた。
「やばいな。入れ込み具合が」
「むっつり100%って渾名だもんな」
真人にAirTagを仕込んだのが千木良本人かはともかく、御域が一枚噛んでいるのは間違いないだろう。しかし、それにしてはやり方が杜撰すぎる。
長時間あの状態が成立していたのは、真人がズボラで機械音痴だったから。
もし警察に届けられればApple IDと紐付けられる。紐付けられたところで揉み消す自信があったのだろうか。晃には犯人の意図がよくわからない。
真人を追跡して、一体何をするつもりだったのか。
「ね、神谷くんってどんな子? おれ、もう十年目だけど、神谷真人って名前は聞いたことなかったな」
宗馬が胡座を組み替えて、晃に尋ねた。
「おれも今回のことがあるまで知らなかった。一応、同じ時期に芸能界には居たんだけどな」
「神谷真人、知ってたよー」
凌也が口をもぐもぐさせながら続けた。
「鷹見社長がスカウトした子でしょ」
凌也は言いながら新しい缶ビールを開けた。
え? と動揺する望月と宗馬の間で、晃の目が鋭くなった。
「凌也、それって」
「ハイ、すみません。これ、言ったらやばかった? うちの将軍が、元々ブレイムに居たって知ってる人、手挙げて」
凌也が促すと、晃と宗馬がそっと手を挙げた。
「えええ!! まじで?! そうなの?!」
望月が大慌てしている横で、晃と宗馬はお互いそうだったんですか、と手をついてお辞儀した。
「知ってるんだよーん。将軍さ、ブレイムと相当揉めたらしいじゃん? それで、辞めるときに何人か引き抜くつもりが、妨害されて失敗。そのうちのひとりが神谷真人」
「凌也、なんでそんな内部情報知ってるんだよ」
晃の問いかけに、凌也は人差し指を立てて口角を上げた。
「内緒。情報の出所含めてリスク管理が大事なので」
望月がいつになくしょんぼりと視線を落とした。
「……まじか。こんなに近くにいたのに、なーんも知らなかった」
「仕方ないよ。もっちーはおれらより業界歴浅いし、将軍本人がそれをタブー扱いしてるんだから。事務所のスタッフも知らない人は結構いると思う」
「社長、なんで黙ってたんだろう。おれのこと信用してないのかな」
「もっちーには知られたくなかったんじゃない? 表面上はとくに対立とかなく向こうとも穏便にやってるしさ。もっちー、事務所のムードメーカーだし、癒し枠だし。そういう人に自分のキツい話知られたくない気持ちわかるよ」
「……そうかなあ」
望月はため息をついた。
「だとしたら、鷹見社長だって今回のこと黙ってないでしょ。神谷くんのこと引き入れたのが社長なんだとしたら、この話ってかなり根深くない?」
「だね。神谷真人を人柱にした、事務所同士の抗争になりかねない」
ぐつ、ぐつ、という鍋の音。
晃は凌也と宗馬の顔を見た。
おれらを巻き込むな、という顔をしていたら、この話を終わらせようと思ったが、宗馬は心底心配そうな顔をしているし、凌也はなんならニヤニヤしている。
晃は口を開いた。
「真人、手紙でも、直接会ってるときも、過去の芸能活動のことには一切触れたことなくて。だからおれも、本人の意思に沿って接してきたけど、そうも言ってられなさそうだ。ただ、おれは真人の過去に何があったかを暴きたいわけじゃない」
晃は続けた。
「問題は、今まさに真人の周りをうろついてるやつら。御域プロダクションとその周辺。そいつらが妙な動きをして真人を追い詰めるようなことがないか、それを一番警戒してる」
「千木良いのり、そういや今度、宗馬が共演するんじゃない? なんか台本もらってなかった?」
凌也が話を振ると、
「うん、もらってる! どうしたらいい? 神谷くんいじめるな! って怒ればいいの?」
大真面目な顔で宗馬が尋ねた。
「違う。全然違う。宗馬、おれが台本考えてやるから、下手なこと言うな」
「おれが考えるぅ。おれ、pixiv読む人間だから、創作なら任せて」
三人の甲論乙駁の様子を目で追いながら、望月は肩をガックリ落とした。
「……今回、最初に瓶子社長が晃に絡んできた時点で社長はかなり警戒してた。もし、晃の一件をきっかけにうちと懇意になるつもりだったんだとしたら、神谷くんも晃も危ないよ」
「もっちー、気持ちは嬉しいけど、もうやめとこ。おれらに話したことがバレたら、今度はもっちーが将軍に怒られるぞ」
晃が言うと、望月は
「だってえ!」
と叫んだ。望月は本当に声がでかい。こういう内緒話に本当に向かない。
「神谷くん、可哀想じゃん! なーんも悪くないじゃん? 悪いの、大人でしょ? 当時の神谷くんなんて、未成年じゃんさ。大人が守らなきゃ案件でしょ?」
望月の騒がしい主張に、ふいに晃は鼻がツンとなった。
「神谷くん、先生になるってお手紙に書いてたじゃん。もう、そっとしておいてあげてよ、って感じ。あの子はあの子で違う場所で幸せになったって、いいじゃんね?」
「もっちー、おれも! おれもそう思う! そう思うよ晃。こんなとこに関わる必要ない。おれだって、こんな鬼の墓場みたいな世界じゃなくて、普通に生きて暮らしてみたいって、たまに思う。あ、ほんとたまにね。メンバーのことは好きだけど」
「もうやめて……泣く」
晃は顔を拭った。凌也はニヤニヤしながら徐に口を開いた。
「こいつ、さっき現場の楽屋で寝てたとき、なんて言ってたと思う? まひとぉ……って悶えてたんだけど。こんな顔で」
晃がギョッとして顔を上げると、不細工な顔で凌也がくねくねしていた。
「んなわけねーだろ! 適当こくな」
「言ってたんだなー。初犯てことで動画を撮らなかったおれに感謝すべき」
くっくっ、と笑う凌也に、宗馬の顔がみるみる動揺し始めた。
「え、え、まって? これ、そういう文脈だったの? あ、そういう……? 禁断のやつ?」
「違う、断じて! やめろ宗馬、お前まで凌也のプロパガンダに染まるな!」
「宗馬。こいつ、自分のこと頭いいと思ってるタイプの単純バカだから。お前みたいな正統派バカよりタチ悪いよな」
「何だと!」
「こーゆーやつはね、もう自覚したらアウト。身体が先に反応するタイプ。プライド高いから認められないだけで、馬鹿正直に一目惚れしてるだけなんだな」
「はあ? ちげーし!」
晃が顔を真っ赤にして反論すると、宗馬は正座して「ハイ!」と手を挙げた。
「オレは? 正統派バカはどんなタイプですか?」
「正統派バカは、強引な女に既成事実作られる危険がありまーす。気をつけてくださーい」
「はい! わかりました! 気をつけます」
宗馬が敬礼した。
「見ろ、晃。これが正しいバカのあり方だ」
「いい加減にしろ凌也。宗馬もペースに乗せられるな!」
「いーからさっさと告って押し倒すなり何なり、スッキリしてこい。自粛期間中に色々済ませてくれればこちらとしては安心だわ」
むかつく。普段はともかく、本当に凌也とはこういう話が噛み合わない。
「凌也。冗談でもそういう文脈で真人を語るな」
晃の低くなった声に、三人の動きがぴたりと止まった。
「子供の頃から芸能界で削られて、今も勝手に執着されて苦しんでんだぞ。そこにおれが割り込んで妙な真似してみろよ。裏切りもいいところだろうが。おれは、そんな不義理なことはしねえ」
本当にー? という顔の凌也と、眉を顰めて真剣に聞いている宗馬。それぞれを見据えて、晃は続けた。
「おれは、目の前で困ってる人がいるから助けた、それだけ。今もあいつが困ってるから、それを助けたい、それだけ。何より、そんな個人的な感情にメンバーや会社を巻き込むつもりなんてない。これは、おれの倫理の問題だ」
「ほう」
凌也の口角が上がった。
「教育実習生・神谷真人を、元の世界に安全に返す。これは、この業界で生きる人間の責務だ。それができなくて、何がアイドルだ。おれは、そういう気持ちでこれをやってる」
「へえへえ。さいですか。まあ、好きにやんな」
凌也は観念したように両手を上げた。
「晃、頑張って! 途中から何言ってるかよくわかんなかったけど、おれは晃の味方だ!」
宗馬がガッツポーズした。
「もー! これだからあんたらのこと嫌いになれないんだわー! ばかー!!」
望月が三人まとめて思いっきり抱きしめた。
本当に酒臭かった。




