バラガキの謀反
「何、話って」
望月に付き添われ社長室へと通された晃は、一枚の写真を鷹見社長の机に差し出した。
「これ、AirTagの写真です。シリアル番号はこれ」
望月は晃と社長の顔をオロオロ見比べた。
何が始まるの? おれ怒られる系?
怯える目で晃にそう訴える望月を無視して、晃は徐に口を開いた。
「ストーカーの可能性があります。警察に相談して、持ち主を調べてもらえませんか」
晃がスマホのスクショ画面を鷹見に差し出した。
「NFCに入っていたのが、この電話番号です。調べた結果、御域の千木良いのりという女優のものでした」
「……」
鷹見社長は晃を睨んだ。
「何に入ってた。うち、管理厳しいから、荷物の中に紛れ込ませるの難しいと思うけどな」
「先日、御域プロのスタッフの方からいただいた差し入れの中に入っていました」
「えー! 御域のスタッフから貰ったの?! 晃。だめじゃん! だめって言ったじゃん、おれ!」
おれ、こいつに言ったよ? おれ、悪くないよ? と、望月が晃の肩に両手をかけてへっぴり腰で鷹見に訴える。
「これ、写真だけど、本体は? 晃が持ってるの?」
「はい。重要な証拠なので、ボタン電池を抜いた上で厳重に管理しています」
「重要な証拠なら、私の前に持ってくるのがスジだと思うけど」
「鷹見社長が動いてくださらなかった場合に備えました。その場合は、おれが個人で警察に相談します」
「……」
「ねー、鷹見社長。何であの事務所、そんなに晃に執着してるの? おかしいよね? もー! やだ、やだ! 社長、被害届出しましょうよ。おれもあの人怖いし、晃がこれ以上巻き込まれたら……」
「喚くな望月。ちょっと黙ってろ」
鷹見社長がそう言うと、望月はもう何も言わなかった。鷹見社長が椅子から立ち上がり、晃と目線を揃える。
「晃、お前嘘ついてないか?」
「社長こそ、何かおれに隠してるでしょう」
晃が怯まなかった。
「社長が避けている御域周辺と、神谷真人。それと、このAirTagが全くの無関係だとはおれは思っていません」
鷹見ははっと目を見開いて、しばらく黙った。
睨み合う両者に挟まれて、望月が首を右へ左へ動かしている。
「……わかった。調べてやる。でも、それは私なりの方法でね。晃は少し休みなさい。今下手に活動するとまた御域から接触があるかもしれない」
「活動自粛、ってことですか」
「そうだね。一週間。長くて十日。復帰までに私が落とし所をつけてやる。それでいい?」
「わかりました。よろしくお願いします」
社長室を出ると、望月が「怖かったよぅ」と半ベソで騒いだ。
「晃も迂闊だよ。御域から目をつけられてるのわかってたでしょ? ちなみに何貰ったの?」
社長室から生還し、緊張を解いた笑顔の望月を、晃の一言が再び地獄に突き落とした。
「もっちー、ごめん。あれ、全部嘘」
望月は数秒、口を開けたまま固まった。
「はああああ?!」
想像以上の大絶叫に晃は思わず耳を塞いだ。
「何で嘘ついたんだよ、バカ!」
「……ごめんって」
「どういうこと!? おれわっかんない! 最初からちゃんと説明して?」
ここまで真っ直ぐに来られると、さすがにバツが悪かった。
晃は観念して正直に打ち明けた。
自分の持ち物に紛れていたというのは完全なハッタリで、あれは神谷真人の自宅から出てきたもの。
本人には仕込まれた自覚はないが、ある一定の期間監視されていたことは明らかだった。
晃がそう説明する間、望月は目をしぱしぱさせて口を曲げた。
「神谷真人って……じゃ、晃、神谷真人と繋がってたの?」
「不可抗力なんだけど、そうなってる。もっちーを裏切った形になってごめん。でも、これ以上もっちーを騙すようなことはしたくなくて」
「もー! 晃ぁ!」
望月は地団駄を踏んだ。
「でも、おそらく犯人は御域の関係者だ」
早朝からのぶっ通しの収録行脚の中で、運良く御域のスタッフとすれ違うことに成功した。事務所の紙袋が落ちてました、とカマをかけたら、ありがとうと言って真人の家にあったものをそのまま受け取って行った。
これで、あの紙袋が御域の関係者の手から出たものだという見当はついた。
真人の話してる内容から考えても、あの駅でのトラブルの前に御域の関係者と会っていた可能性が高いと晃は確信した。
「すごい、晃。名探偵じゃん。え、じゃあ、バックに瓶子いるの? やだー。全然怖いじゃん。真人くん、今大丈夫なの?」
晃は肩をすくめる。
「おれ、いつから休みになりそう? 休みになる前に、メンバーとメシ行きたい」
*
雨の降りしきる国立の街角。
老舗喫茶ロージナの木製の扉を、雨粒が小さく叩いていた。
コーヒーの香りと、少し湿った木の匂いが混ざる店内で、火村修司は真人の到着を待っていた。
学生時代から通っているその喫茶店では、ここしばらく表舞台から退いている火村がふらりと訪れても、店員は特に騒がず、奥の席へ案内した。
火村は窓際の席に座り、ウインナーコーヒーを啜りながら、雨の通りを眺めていた。
窓ガラスに映る白髪まじりの髪がずいぶん薄くなったことに気づいて、火村は苦笑した。
「……火村さん」
懐かしい鼻にかかった声。耳の遠くなった火村にも、青年の声は澄んで聞こえた。
「よう、マー坊」
雨に濡れたコートのフードを深くかぶった青年が、息を切らせていた。コートはずぶ濡れで、頬にぺたりと前髪が張り付いている。
青年はフードを外すと、軽く前髪を掻き上げた。愁を帯びたその眼差しに、火村は息を呑んだ。
「遅れてすみません……」
真人は手で少し髪を拭いながら、はあ、と息を吐いた。
「雨の中、よく来たな。寒くなかったか?」
「いや、大丈夫です。電車で来ましたから」
「そうか、じゃあ座れ。コートはそこの椅子にかけろ」
真人は小さく頷き、コートを脱ぎながら席に腰を下ろした。
椅子にかけようとする真人を遮って、火村が学生のウェイターにハンガーを頼むと、学生は真人を見て固まってしまった。火村は肩を落として、学生の手からハンガーを取り、真人に渡した。
「……いつぶりだ? おれ、マーの高校入学祝いに寿司連れてったよな」
「それ以来です。お世話になったのに……どんどん会えなくなってしまって、すみませんでした」
「いや、いいって。マー坊、あのとき相当仕事に追い込まれてたろ」
言いながら、火村は視線を逸らした。
痩せたな。
それに、その姿。まるで生気を感じない。
髪からぽたりと滴り落ちる雫すら、まるでそういうシーンを演出するために存在するのではないかと錯覚させた。
これで一般人。火村は嘆息した。
「……マー、食いもん何にする? 昼食ってないだろ、まだ」
「大丈夫です。お腹、あんまり空いてなくて」
「いーから食えよ。お前、細すぎ。寿司二十カン食っておれの財布枯らしたろうが。がっかりさせんな」
真人にピシャリと言って、学生のウェイターに、おれとこいつにいつもの、と火村はオーダーした。
「マー、今何してんの」
「学生です。まだ。二浪してて」
「へー、大学通ってんのか。マー、成績良かったもんな」
「そんな、火村さんに比べたら全然……通ってるのは、美大です」
「美大。芸術家でも目指すのか?」
「まさか。教職取ってるんです。教採受けてみようかなって」
火村は興味深そうに頷く。
「そうか……お前も新しい道を歩き始めてんだな」
火村の言葉に、真人の目がゆらゆらと揺らいだ。
もう、何だよお前、そんな顔するなよ。
数年前であれば、そう言って頭をぐしゃぐしゃに撫でることもできたかもしれない。
しかし、今の真人にそれは憚られた。
記憶の中のあどけない真人はもうそこに居ない。目の前の青年は、ぞっとするような艶めかしさを瞳に宿して、火村を見上げている。
「……学校の先生ってのは、芸能活動と両立できるもんなのか?」
真人の顔が強張った。
「いや、いいんだよ。マーがもう芸能界に未練がないなら、それで。ただ……本当にいいのか」
「……おれを、引き留めにきたんですか?」
真人が目を逸らした。火村は観念して、椅子に深く座り直した。
「鷹見んとこのガキが、駅で人命救助したって話。相手がマーだったってのを、とある筋から聞いた」
火村の言葉に、真人の肩がわかりやすく跳ねた。
「おれ、知ってんだよ、鷹見んとこのヘッポコ三人衆。生意気だけど、気骨あってさ。で、倒れたお前の近況が知りたくて、連絡した」
火村は腕を胸の前で組んだまま、ずい、と身を乗り出して真人に尋ねた。
「マー、お前、まだ体調悪いのか」
「いえ、そんなことは……」
体型を隠すためなのか、やたらにオーバーサイズの服。見ない間にいったい何がどうなっているのかと、火村はコーヒーカップを乱暴に置いた。
学生がおどおどしながら、ビーフストロガノフを二皿運んできた。
温かそうな湯気に、火村はほんの少し頬が緩む。
これこれ、と火村はスプーンを手に取って真人にも口をつけるよう促しながら、話を切り出した。
「マー、おれは、お前が幸せに暮らしてくれてれば、それでいいと思ってるよ。マーには演技も歌も才能あると思ってる。でも、だからって芸能界に居続ける必要もないと思ってる」
「……」
「ま、鷹見のことは腹立ってるけどな。あいつ、今回のことで、お前に連絡ひとつでも寄越したか? 寄越してねーだろ。そういうところがまだまだなんだよ、あのタマは」
真人はスプーンを宙に浮かせたまま、火村に尋ねた。
「……この話って、この後晃さんには話すんですか」
カチャ、と音を立てて、スプーンが皿に落ちた。
「おれが、芸能界にいたことって、晃さんにもうバレてるんでしょうか」
真人の声は潤んでいた。
「普通……普通の、友達でいたいんです、晃さんとは。気が合うし、話してて楽しいし。でも、おれのこと助けたせいで晃さんが何か嫌なことに巻き込まれるんだとしたら……晃さんに、迷惑かかっちゃう……」
声を震わせて真人は火村に訴えた。
「……真人が倒れたのも、あのガキが助けたのも、偶然なんだろ。人助けに立場なんて関係あるか」
火村は言いながら乱暴にスプーンを掻き込んだ。
「マー、おせっかいを焼くようだが、御域とは、もう完全に切れてんのか。先生になるんなら、なおのこと体調に波があるようじゃ、苦労するぞ。業界に、だれか相談できるやつはいねーのかよ」
真人は肩を震わせながら、絞り出すように声を上げた。
「……お願いです。このことは、晃さんには言わないでください。晃さんを巻き込みたくないんです」
縋るような目で訴える真人から、火村は目を逸らした。
「マー、ひとりで抱え込むな。ガキのことは置いといて、お前はどうなんだ」
火村は咳払いをして続けた。
「復帰する気は一ミリでもあるのか。ないなら、それでこの話は終いだ」
「……復帰なんか、無理です」
「……」
「ただでさえ、他の人ができて当たり前のこともちゃんとできないし」
「マー、お前……本当にどうしちまったんだ。歌、やめちまったのか」
真人は唇を噛んだ。
「まさかジャックレコードとのことが、トラウマなのか?」
「違う、そうじゃない……違う」
真人は顔を覆ってしまった。
火村は白髪の頭を乱暴に掻いた。
「マー、一旦実家に戻ったらどうだ。引越しはストレスかかるし、今回はタイミングが悪かった。心を落ち着かせられる場所に戻ってから、いくらでも仕切り直せばいいだろう」
「実家には、帰りません」
俯いたまま、真人は嫌にはっきりと言いきった。
「実家には帰りません。ここで帰ったら負けだと思ってます」
「落ち着けよ。負けって、何のことだ」
「とにかく、晃さんには何も言わないでください。お願いします」
孫のように思ってきた相手に、反抗的な眼差しを向けられるのは堪えた。火村は肩を落とした。
「……悪かった。急に呼び出して、問い詰めるようなことして、悪かったよ。マー」
「……」
「とにかく体調を最優先にしろ。復帰なんか、しないよな。不安がすぎて、先走りしすぎた」
「火村さんのことは好きです。でも、火村さんに迷惑かけたくないです」
「迷惑なんて思ってねーよ」
「これは、おれの問題なので。もう、おじいちゃんになっちゃった火村さんにまで甘えられないです」
「年寄り扱いしてからに……」
「ビーフストロガノフ、残しちゃってすみません。おれ、大学戻ります」
かけていたレインコートを取って、真人は火村に頭を下げた。
「忙しいなか、おれなんかのために時間作ってもらってありがとうございました。火村さんもお元気で。会えて嬉しかったです」
真人は財布から千円札を取り出して机に置いた。火村は要らねえよ、と言ったが、真人はもう成人してるので、と譲らなかった。
「車、出そうか?」
「大丈夫です。失礼します」
真人はコートを羽織って踵を返した。
真人の細い背中に、火村は声をかけた。
「マー、おれより先に死ぬなよ」
真人は振り返って、大袈裟な、と顔を歪めた。




