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位置について  作者: はる
第二章 マインド・クラッシュ編
12/29

汚部屋へいらっしゃい

 楽しい、楽しい!

 こんなの、久しぶりだ。

 テンション変だな、引かれてないかな。

 さっきから、少し喋りすぎてる気がする。

 いい人だなあ、(あきら)さん。

 この時間がずっと続いたら、いいのになあ。


 アレのことさえなかったら……


「おーい、聞いてるか、()(ひと)

 晃の声ではっと我に返った。

 マルイのビルを背に、信号待ちの列に並んだ真人の隣で、晃が顔を覗き込んだ。

「真人んちって、駅からどんくらい歩くの?」

 幹線道路の走行音と共に、晃のハスキーな声が鼓膜を揺らした。

「……立川からですか? 二十分くらいです」

 心臓がやけに速かった。眉間に皺を寄せる晃の顔に、真人は息が詰まった。

「結構歩くんだな。チャリ使ってねぇの?」

 雪子との口論が過って、真人は口籠った。

「夜とか、一人で歩いて大丈夫なのか?」

「……晃さん」

 おれ、男ですけど。

 真人が呟くと、晃は斜陽の空を仰ぎ見た。

「今日、家まで送るよ。もしくはタクシー代出すから、それで帰りな」

 真人は首を振った。

「心配しすぎです。いつも歩いてるし、全然大丈夫ですよ」

「おれが誘った外出だし。ちゃんと帰宅するのを見届けないと、モヤモヤする」

「えええ……」

 大真面目な晃の視線に真人は苦笑した。

「じゃあ、晃さん、うちでごはん食べて行きませんか?」

「へ?」

「今日の夕飯は炊飯器で炊くポトフなんです。晃さんにはお世話になりっぱなしだし……ポトフがお礼に見合うかはわかりませんが」

 晃の顔色を窺うと、何か言いたげな顔があった。

「……お前さあ」

「……?」

「いや、いい。それじゃ有り難く、いただくよ。途中で何か買う?」

 信号が青に変わった。

 真人は晃にぷいっと顔を背けて、歩き出した。

「……今の晃さん、ちょっと嫌な感じ」

「はい?」

「ひどいなあ。おれ的に心を開いた証だったのに。たいへんに傷つきました」

 後頭部に晃の慌てた声が降ってきた。

「すみません、申し訳ない。光栄です、ありがとうございます。何卒」

「……立川降りたら、野菜と少し果物も買ってもいいですか」

「御意」

 急に恭しくなった晃の態度に真人はくしゃっと笑った。


「真人、カラオケは好き?」

──来た。

「無理です。死ぬほど音痴なので!」

 プラットホームに走り込む電車の音に負けじと、真人は声を張った。眉を下げた晃を見て、真人は少し心が痛んだ。

「晃さんは電車に良く乗るんですか?」

「ああ。あの日のこと?」

 晃は、駅で真人を救助した日のことを話した。

 あの日、神保町で古本を読み耽っていたら、途中でファンの集団にバレてしまい、適当にメトロの階段に逃げたのだそうだ。

「興が削がれて、荻窪のラーメンでも食いに行くかと思ってさ。それで、東西線」

「ラーメン! 晃さん、ラーメンお好きなんですか。おれもです」

「今度、行く? 春木屋。美味いよ」

「わあ、わあ。いいなあ。いいですね。男のメシって感じ」

「じゃあ、次はジブリ美術館とセットで行くか。真人、最近行ってないんだろ?」

「いいんですか? 嬉しい。最後に行ったの、中一の夏です」

「意外だな。大学八王子なんだろ。ちょっと足伸ばせば行けるのに」

「ほんとですよね……なんか大人になってから、気後れしちゃって」

「ぜひ行ってきてください。感想聞かせてくださいね、なんて言わねーぜ、おれは。優しいから」

「……あはははは!」

 ツボに入ってしまって、真人はしばらくお腹を抱えて笑った。

 酒は飲めるのかと聞かれ、真人は全くの下戸だと正直に打ち明けた。

「匂いもダメなんです。酔いやすくて」

「そうなのか」

「すみません、今日飲むつもりでした?」

「いいんだよ、そういうの。無理すんな、とにかく」

 体調が第一だから、と晃に言われて、真人は悔しそうに吊り革を握りしめた。


         *


「あー。帰ってきた、って感じ」

 真人はコンコースに出てうーんと背伸びした。

 モノレールに沿ってまっすぐ伸びる歩行者用の広い道を歩きながら、晃は真人と話を続けた。

「見えないものを見ようとする授業?」

 真人から聞いた教育実習での授業の話に、晃は目を丸くした。

「……天体観測かよ」

「ふふふ。晃さん、その例えはもう小学生には通じないですよ」

 真人は笑いながら、子どもたちがどんな絵を描いてくれたか説明した。

 将来の自分、蜂、透明マント、それから宇宙。その中で、ひとりの女の子が描いた絵について真人は話した。

「不思議な絵でした。羽の生えた人の、後ろ姿。でも、その子からはなんか距離取られちゃってて……皆と平等に仲良く、って難しいもんですね」

「その絵ってさあ……」

 晃はそこまで言ってから、口をつぐんだ。

 自分の口から告げるのは、その子にとって不本意だろう。差し出口を利くような真似はしたくない。

「なに?」

 真人がきょとんとした顔で見上げるので、晃は目を逸らした。

「いや。何でもない。真人は、その子のことがまだ気になってんの?」

 晃の問いに、真人は肩を落とした。

「うん。身体小さくて、すごく大人しい子だったんです。母親も、小さい頃こんな感じだったかもって思ったら、なんかほっとけなくて」

「……」

「でも、実習は失敗ばかりでした。要領悪くて、いつも途方に暮れてます」

 真人は苦笑してそう言った。

「そんなことないよ。真人、ちゃんとやってんじゃん」

「そうかなあ」

「おれだって失敗するよ。歌詞も振り入れも、毎回苦戦してるし」

 うっかり仕事の話をしてしまった。

 晃が真人の顔色を窺うと、真人はにや、と口角を上げた。

「そうだ。おれ、ARCの曲、聞きました」

 晃は思わずえっ、と声を上げた。

「……なんで?」

「なんでって……そりゃ、どんな仕事してるか、気になるじゃないですか。自認天沢聖司の友達が、アイドルやってるんですよ?」

「まじかよ……どうだった?」

 真人の揶揄いには乗れなかった。なぜこんなに動揺しているのか自分でもわからない。

「たしか、VOWS(バウス)って曲です」

「なぁんでそれを最初に聞くんだよ! あれは……かなり特殊なやつ。もっとあったろ、色々と」

 晃が訴えると、真人は申し訳なさそうに、すぐそこのディスクユニオンで試聴したので、それしか聴けなかったのだと謝った。

 てっきり家でYouTubeでも流したのかと思ったら、わざわざディスクユニオンに寄って聴いたのか、と晃は驚いた。

「だって、人の歌を初手YouTubeで済ませるの、感じ悪いじゃないですか」

「そんなことなくない?」

「人の作ったものを、サブスクみたいに消費するの好きじゃないので。ジャケットの雰囲気とか、お店に置かれてる感じとかも気になるし」

 バツが悪そうにそう言う真人の横顔から、晃は目が離せなかった。

 まだデビューする前、持ち歌もほとんどなくて、暗闇の中で踠いていた。そんなときに作ってもらったVOWS。

 あれ聞いたのか。おれ、下手だったろ? 真人はそれを聞いて、どう思った?

 訊きたいことはいっぱいあったのに、晃は、何も口に出せなかった。

「で、結局CDは買いませんでした」

 真人が盛大にオチをつけてくれて、晃は無事ずっこけることができた。

「買えよそこは」と晃が突っ込むと、「すみません」と真人は笑った。


 立ち寄った青果店で買った新玉ねぎのネットと、デラウェアのパックをぶら下げて、ゆるいカーブの生活道路をしばらく進むと、T字路に突き当たった。

「あそこです」

 真人の指差す先には、三階建ての小さなアパート。

 鉄骨の階段を二階まで上がって、真人は暗い玄関の前で鞄の中の鍵を探した。

「晃さんが来ると分かっていればもう少し片付けたんですけど……あった」

 真人が鍵を見つけ、ドアノブに手をかけた。

「一応オートロックです」

「はい。それは何より」

 玄関の暗がりに踏み込んだ真人は、届いたばかりの段ボールにつんのめった。

 真人が転ぶのを何度見ただろう。晃は無言ですぐに真人の腕を引っ張り上げた。

「すみません、実家から届いた荷物がそのままに……」

 遠慮する真人を無視して、晃は重たい段ボールを抱え、奥の部屋へと運んだ。

 真人が明かりをつけると、家の中の散らかりようがありありと目に飛び込んできた。

 取り込まれたまま放置された洗濯物、ちゃぶ台に広げられたスケッチブックとミリペン。床には万年床が敷きっぱなしになっている。

「すげーな、わかりやすく汚部屋」

 晃が言うと、真人はガーンと効果音が聞こえそうな顔で、その場にへたり込んだ。

「うう……そんなに言わなくても。いや、たしかに片付いてはないですけど」

「散らかってる割に、変な匂いはしないね。生ゴミとかはちゃんと処理してるのか」

「やだ、この人。姑みたい! おれのポトフにも塩気が足りないとか小言言いそう」

 真人が顔を赤くして洗濯物をかき集める横で、晃は感心したようにあたりを見渡した後、洗面所借りるね、と言ってユニットバスの蛇腹を開けた。

 洗面台に置かれた固形石鹸を泡立てて、晃は手を洗った。


──テレビ、無かったな。


 バスタブに残る、フローラル系のシャンプーの匂い。思いの外高級そうなシャンプーボトルが置かれていて、晃は目を丸くした。

 洗面台には使い捨てのコンタクトの箱。コップに入っている歯ブラシは一本だけだった。

 洗った手を拭こうとしたら、壁に引っ掛けられたハンドタオルには赤や青の絵の具の染みがついていて、晃は閉口した。

 洗面所から出ると、真人はセットアップの上着を脱ぎ、代わりに生成りのエプロンをかけてシンクに立っていた。手には垂直に立てた包丁が握りしめられている。

「お、お手伝いしましょうか」

 まな板からやたらでかい切断音が響いて、晃は遠慮がちに尋ねるが、真人は背中を向けたまま結構です、と言って辿々しい手つきで人参の皮を剥き始めた。

 晃は真人の横に並んだ。料理に向き合う真人の真剣な横顔に、ちょっかいをかけたくなる。

「ピーラーないのか」

「ピーラーは邪道です」

「そんなこと言ったって、ほぼ芯しか残ってねーぞコレ。ピーラー買えよ」

「うるさいなぁ、晃さんみたいなお姑さん、嫌われますよ?」

 眉間に皺を寄せて釘を刺す真人を見て、つい笑った。真人は拗ねてぷいっと顔を背けてしまった。

 本人のプライドを尊重し、人参の安否は諦めることにする。晃が玉ねぎの皮剥きを引き受けた横で、真人がじゃがいもの目に刃元を思い切り突き刺したとき、晃の口から変な声が出た。

「よし。高速炊飯スタート。あとは炊けるのを待つだけです」

 なぜか達成感に満ちた真人がエプロンを脱ぎ、自炊って難しいなぁ、と肩をトントン叩いた。

「あれ、真人のスケッチブック? 見ていい?」

 晃はちゃぶ台に置かれているスケッチブックを指差した。


 真人から鑑賞の許可をもらい、晃はあぐらの上にスケッチブックを立てた。

 最初のページは、小さな鳥のデッサンだった。

 鶏冠(とさか)のような羽が頭から生えていて、胸元には斑点模様。少し嘴を開けて、鳴いているように見える。左端に4/1と日付が書かれていた。

「これ、何の鳥?」

「ひばりです。実家の庭にいたんです」

「ひばりって、庭に来るんだ」

「来ますよ、たまに。春になると、畑の上とかで鳴いてます」

「見ながら描いたの?」

「はい。鳴き声が聞こえて探してたら、庭の端っこを歩いてました。ちゃんと本人には許可取りしましたよ」

「OK出たのかよ」

 晃はクスクス笑って次のページを捲った。

 すると、先ほどの鉛筆画と同じ作者とは思えない、エッジの効いたイラストが目に飛び込んだ。

 画面中央には、おかっぱ頭の人物が奇妙なポーズを決め、周囲には珍妙な擬音が躍っている。同じ日に描いたらしい。振れ幅がすごい。

「真人、これ、何?」

 晃がくるっとスケッチブックを裏返して真人に見せると、コップに麦茶を入れている真人が振り返って、それは漫画のキャラです、と言った。

「晃さんはジョジョ知らないんですね」

 ああ、聞いたことあるな。しかしなぜ鳥のデッサンの次が漫画なのか。

 晃は困惑しながら次のページをめくった。

 今度は打って変わって繊細なパステルの風景画が現れた。夜明けの空だろうか。光の粒子が溶け出すような色使い。どこでスケッチしたのだろうか。

「いい絵だな、これ」

 左端の日付に、晃は目を細めた。

「夜明けのやつですか? それ、引越しの荷台で描いたんです」

「荷台ぃ?」

 晃は唖然とした。聞けば、山梨の実家から立川まで、家財道具と一緒に荷台に揺られてやってきたのだと言う。

 嘘だろう、と晃は驚いた。四月上旬、甲州街道の夜風は凍死するほど寒かったと真人は笑っていた。

 無茶するやつだとは思っていたが、ここまでとは。

「晃さん、麦茶どうぞ」

「ありがと。そこ置いといて」

 晃は複雑な気持ちで次のページを捲った。花畑の世界。

「これはどういうテーマ?」

「GWに行った、昭和記念公園のブーケガーデンです。その場でスケッチブックを出せなくて。家に帰ってから、思い出して描きました」

「……」

 真人の説明を聞きながら、晃はもう一度その絵を見直した。

 記憶の映像だけで、これほど細部まで描けるものだろうか。

 透ける花弁の色、葉脈の形、伸びる茎のライン。そこにどのくらいの虚構があるのかはわからない。ただ、その緻密な描線に、晃は引き込まれた。

「記憶だけで描いたのか。しかも、虫の目線で」

「まさに、そうなんです。蜂とか蝶々とか、バッタとかたくさん居ました。お花もたくさんの種類があったんですよ」

「すごい、すごいよ、真人。おれ、こんなの描けない……」

 描けない、というか、捉えられない。昆虫の視点でものを捉えようなんて、思いもつかない。

 真人の目から見えている世界は、自分と全然違うのかもしれない。

 晃はスケッチブックの絵から目が離せなかった。

「金子みすゞの、『蜂と神さま』って詩、知ってますか? そのイメージなんです。このミックスガーデンが、小さな宇宙」

「宇宙?」

 真人はこくんと頷いた。

「おれ、こういういろんな種類が混ざった風景が好きなんです。教育実習してたら、なんか、学校みたいだなって思って」

 真人はひとつひとつの花を指差した。

「背の高い子、低い子、足の速い子、遅い子。お互いが助け合って、ひとつの小さな宇宙をつくってる、そんな感じ」

 真人ははにかんだように笑った。

「本当は、引越しもやけっぱちでした。親には、自立のため、って言ったけど。なんか……一年後、自分が生きてるって、思えなくて」

「……」

「晃さん?」

 無言の晃に真人は首を傾げた。晃は真剣な表情のまま、真人から目を逸さなかった。

「続けて」

「……実習してたら、楽しくなっちゃいました。なんか、人生悪くないかも、って。先生になるの、楽しいかもって」

「……うん」

「ひとりぼっち、って寂しいじゃないですか。だから、そういう子を作りたくない。みんなに光が当たる教室……そういうの、できたらいいな」

「……できるよ、真人なら」

 晃は穴が開くほどそのページを見つめてから、もう一度スケッチブックを折り返して、漫画のキャラクターのイラストに視線を戻した。やはり、落差が激しすぎる。

「これ、どんなキャラなの? なんでジッパーから出てきてんの?」

「晃さん、ジョジョ知らないんでしょう? 説明しづらいな。とにかく、このキャラはおれのお気に入りなんです。能力もかっこいいし、生き様もかっこいい。それに、なんか見た目、おれと近いものを感じる」

「え、このキャラが?」

 スーツからはだけた筋肉、ぱっつん前髪、分厚い唇。

「悪いけど、全然似てねえ……」

「えっ。そうですか? 小さい頃、こんな髪型だったんですよ。ものすごく鍛えたら、こうなる可能性もなくはないはずです」

 いや、そんなことはない、眉毛の形は似てる、という問答でやり合ったあと、晃は再び夜明けのスケッチに目を落とした。

 この一枚を譲ってほしいと言ったら、真人はどんな顔をするだろうか。 

「ポトフ……そろそろ食べません?」

 真人の声に弾かれたように顔を上げると、いつの間にか目の前に湯気の立つ皿が置かれていた。

「……ごめん、見入ってた」

 晃は名残惜しそうにスケッチブックを閉じ、床に置いた。

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