風の散歩道
宗馬にはああ言ったけど、可愛いっちゃ可愛い。
というか、すごい可愛い。
真人が、一口ごとに「おいしい、おいしい」と言いながら、串に刺さった焼鳥をぱくぱく頬張っている。その無邪気な様子を見ているだけで、晃は胸がいっぱいになる。
「晃さん、食べないんですか?」
真人は問いかけながらも、自分がおいしいものを食べることに夢中で、晃がほとんど串に手をつけていないことには全く気づいていない。
真人のことは車で迎えに行くつもりだったが、散歩を楽しみたいので電車集合がいいという旨の返事が来て、真人の希望に沿うことにした。
前回、サイゼリヤから電車へ乗って帰る真人の後ろ姿を見送っていると、先日倒れたときの姿がリフレインしてしまい、今日もひとりで電車に乗せるのが心配だった。
日野の実家に用事で寄ったと適当に嘘をついて、真人の最寄り駅の立川駅まで迎えに行った。
改札を抜けて駆け寄る真人が残高不足で弾かれる姿に、晃はやれやれと肩を落とした。
井の頭公園駅を降りてすぐの吉村昭書斎から始まった今日の冒険は、そのまま駅名を冠した公園までの散歩へと続いた。
176センチの晃が真人の横に並んで歩くと、少し見下ろした位置に、初夏の風にゆらゆらと揺れる柔らかそうな髪と、ミュシャを彷彿とさせる曲線の横顔があった。華奢ではあるが、思っていたほど背丈に差はない。
現在は吉祥寺駅の近くまで歩き、道路沿いの焼き鳥屋で遅めの昼食を摂っている。色気のない選択だなと思いながらも、真人がここがいい、と目を輝かせるので、晃は誘われるがまま焼き鳥屋へ吸い込まれて行った。
「今日、ありがとな。付き合ってくれて」
「そんなことないです。とっても勉強になりました。ああいうところに一緒に行ける人って貴重です」
「そうかい」
「吉祥寺、三鷹といえば、文学作家の街ですよね。吉村昭、井伏鱒二……それに、山本有三。玉川上水沿いに太宰治の入水スポットもあるそうです。この後行ってみますか?」
「なにが悲しくてそんなとこ見に行くんだよ」
「なんだー。せっかく調べたのに」
「……他には何調べたんだよ」
炭火の煙が充満する中では、せっかくつけてきた香水も意味をなさなかった。前回、真人に日野の土の匂いがすると言われたことが晃にとってはショックだった。好意的な文脈での発言だとわかってはいるが、こちとら一応芸能人である。
万人受けしそうなウッド系の香りをいつもより多めに纏って繰り出した自分の健気さをひそかに悼みつつ、晃はようやく焼き鳥の串を手に取った。
「おれ、本当は吉祥寺にも住んでみたいなって思ってたんです。公園あるし、ジブリ美術館あるし」
「真人は公園がある駅が好きなのか?」
「はい! 公園と中央線、この二つは外せません」
「中央線、ねえ」
自分ではハキハキ喋っているつもりの猫、って感じ。迫力がねえな。可愛い。
思わず笑いそうになる口元を誤魔化すように、晃はハツをぱくりと頬張った。
「晃さん、焼き鳥を食べたら、池の反対側の道も一周しませんか。弁財天のあるほうも、探検したいです」
こんな風にお願いされて、嫌だという人間がいるのだろうか。
晃は、はいはい、と水を口に運んで、周囲の目線をちらりと見渡した。
日野では守られていたものが、この場所まで来ると、少しだけ無防備に晒されている気配があった。
帽子とマスクで軽い変装をしているとはいえ、芸能人の自分よりも真人はたくさんの周囲の視線を惹きつけていた。
道中ですれ違う老若男女問わず、皆、真人の顔を見てあっと目を見開く。
通り過ぎたあと、ひそひそと話す声も何度か耳に届いた。
もう、本人は慣れっこなのだろうか。
不用意な質問で機嫌を損ねたくないので、晃は別の話題を振る。
「真人ってひとりっ子?」
「はい! そんな感じしました?」
「しました。とても」
「晃さんは兄弟いるんですか?」
「真人と同じです」
「そうなんですか? 意外です。天沢聖司ムーブを持て余してるのではないですか」
真人が揶揄うようにくしゃっと笑ったが、口元にタレをつけていてはなんの攻撃力も持たない。
真人の今日の服装は、ゆったりとしたフォルムのセットアップで、淡く滲む水彩のような色合いをしていた。駅で会ったときと同じボディバッグを胸に留め、半袖の上着の中に、長袖のハイネックを着込んでいる。運動会のジャージ姿を見たときも思ったが、暑くないのだろうか。
丸みを帯びたフォルムの服から覗く真人のすっきりとした首。何より、抱き抱えたときのあまりの軽さを、晃は覚えていた。
真人を柔らかく包むこれらの服の中身は、おそらくほとんどが空気で、本体はもっともっと細い。どこまでが真人で、どこまでが真人でないのか──その答えを知りたい気もするが、今日ばかりは確かめようもない。さすがに三連続お姫様抱っこは勘弁だ。
真人のリクエストに応え、おかわり井の頭公園までの階段を降りる途中、スターバックスがあった。さっきあれだけたらふく食べたくせに、真人はそわそわ興味ありげに店内を見つめている。「エスプレッソ買ってこうかな」と晃が言うと、真人は嬉しそうについてきた。店内に入ると、ボディバッグを握りしめながら、ガラスケースのチョコスコーンを凝視している。「散歩するなら飲み物のほうが良くない?」と晃が突っ込むと、飲み物なら買ってもいいの? と目を輝かせ、見えない尻尾をはちきれんばかりに振っていた。
「甘いの好きなんだ?」
「はい。甘党です」
真人はグランデサイズの抹茶クリームフラペチーノを美味しそうに啜った。
そんなに細いのに、よく入るな。今日お前の飲み食いした総量が、本体の体重より重そうだぞ。
「晃さんは甘党ではないですね? こないだもコーヒー飲まれてましたね」
「はい。甘いものはあまり得意ではないですね。コーヒーはストレート派です」
「わかりました。次回サイゼではミルク足さないようにします」
「ははは」
階段を降りて行くと、公園のシンボルである大きな池が見えてきた。
晴れていて良かった。雨だったら、飲み物を持ちながらこんな風にゆっくり話すのも難しかっただろう。真人は、太陽の光をキラキラと跳ね返す水面を見つめながら、綺麗だなぁ、と呟いた。
「ボート、空いてますね」
「そうだね、平日だから余計に空いてるのかも」
「……」
「え、乗りたいの?」
晃が遠慮がちに訊くと、真人がはっ、と焦ったように顔を上げた。
「いや、いいよ。否定したいわけじゃなくてさ。でもあれ、漕ぐの多分大変だよ? どうせ真人が乗りたいのって、手漕ぎじゃなくて、アヒルのやつだろ」
「……なんでわかるんですか」
「なんとなくだよ! いいよ、乗る? ちゃんと漕げよ。途中から疲れておれに任せる未来が見えるぞ」
「真面目に漕ぎます、やらせてください! ダブルエントリーの高いシンクロ率で、操縦性を高めましょう!」
真人がよくわからないオタク用語とともに敬礼するので、晃は脱力してしまった。
アヒルには買ったばかりのフラペチーノをきちんと味わってから搭乗することにして、二人は吉村昭書斎から歩いてきたルートとは反対側の池のまわりを歩き始めた。
風が吹いていて気持ちいい。木の葉の擦れる音と、カイツブリが水面に潜る音が聞こえた。
公園内は大型犬を散歩させている人が多く、犬も真人に何か特別なものを感じるのか、正面から照準を合わせて駆け寄ってくる。真人も満更でもなさそうに手を振っていた。
「真人、子どもだけじゃなく、犬にも好かれるんだな」
「晃さんは犬好きですか?」
「実家に居る。雑種だけど」
「すみません」
ふいに、背中に声をかけられた。
真人より先に晃がさっと振り返ると、大学生くらいの腰の低そうな青年が一眼レフを携えて頭を下げた。
「今、カメラを勉強してて。お兄さんたち、とってもカッコいいので、一枚撮らせてもらえませんか?」
晃はその男性が、晃よりも真人に視線をやって話していることに気づいた。
真人はフラペチーノを握りしめたまま、青年の手元の一眼レフを見て固まっている。
「すみません。メディアの仕事をしてるので……申し訳ないです」
晃がつとめて明るく返した。
「あ、そうなんですね。いえいえ、こちらこそ申し訳ありません」
青年は大きく頭を下げて退散した。
「大丈夫?」
晃が尋ねると、真人は小さく頷いた。
「ラベンダーの匂い、しませんでした?」
真人が遠慮がちに晃に尋ねた。
「ラベンダー? わからなかった。あの人のこと?」
「うん。写真撮られるの苦手なのと、ラベンダーも苦手で……」
──危なかった。ラベンダーの香水をつけてたらどうなっていたんだろう。
「……ありがとうございます。おれ、ああいうとき、脳内処理が追いつかなくて。晃さんが断ってくれてホッとしてました」
「そっか」
真人はちゅー、とフラペチーノをちまちま吸う。たぶん、今味してないんだろうな、と晃は思った。
「……晃さんって」
「うん?」
「男性から告白されたこと、ありますか?」
その質問に、晃ははたと立ち止まった。今度は晃の脳内処理が追いつかなくなり、真人の顔を見つめたまま動けなくなった。
真人の顔は曇ったままだった。
──落ち着こう。まずは質問に答えよう。
「男からは、ないかな」
「そうなんだ……」
真人はまた、ちゅー、と味を確かめるかのようにフラペチーノを吸う。
「おれ、中学二年生のときに、一回、あって」
真人はそう言うと、押し黙った。思考の行き詰まり。顔は俯き、先ほどの笑顔はどこへやら。手元のフラペチーノを両手で包み、肩を落としている。
「……座って話す?」
晃は近くの丸太ベンチへと真人を促した。真人はしずしずと座った。
「晃さん、聞いてて大丈夫ですか? 気分悪くなってませんか」
「なるわけない」
晃が語気を強めて言うと、真人の瞳が少し揺れた。
「……続き、聞いていいの?」
晃は真人の顔を覗き込んで尋ねる。真人はこくん、と頷いた。
「クラスメイトの、男子。スポーツできて、性格も明るくて、皆の人気者。女の子からもモテてた」
「……」
「おれ、こんな感じだから、休み時間とかもあんまり外で皆と遊ばなくて。その子とはほとんど接点なかったんです。でも、あるとき……」
──まひちゃんのこと、好きだ!
男だけど、まひちゃんのことが好き。可愛い、って思う。大好き。
そう言われた。
顔は真っ赤で、溢れる気持ちを抑えきれないのが、真人にもありありと伝わってきた。
──そうなんだ、ありがとう。
真人はそれ以外、なんと答えればいいのかわからなかった。
でも、その告白は一度には収まらず、“まひちゃん”、“好き”、と、縋るような目で何度も告白された。
家族にも、友達にも言わなかった。
「まひちゃんのこと好きなことは、皆には内緒にしててほしい」と彼から頼まれていたからだ。
「それで……三月のあたりだったかな。その人が結婚するっていう話を聞いたんです」
「そうだったんだ。まあ、二十四の学年なら、早い人はそうだよな」
「結婚のお祝いムービーをみんなで撮ろう、って誘われて。でも、断りました。結構悩んだけど」
「そっか」
普通に断っていいよ、それは。
晃はつい口をついてそう言いそうになったが、やめた。本人が悩んだ上で出した結論だったからだ。
「こないだ、母親と電話してるときに、そうそう、中学校のとき〇〇くんっていたでしょう。近所のチャペルで結婚式挙げたのよ、って言ってて」
「へえ……」
「でも、なんか……安心した、っていうか。ほっとしたんですよね。自分との出来事が、その人の人生の中で、ただの思い出に浄化されたっていうか……なんて言えばいいのかな」
「いや、だいぶ伝わってるよ」
晃がそう言うと、真人がちら、と晃を見上げて、少し笑った。
「なんでこんな話してんだおれ。こんなこと誰にも話したことないのに」
真人は口元を手の甲で押さえてクスクス笑った。
「真人のこと知れてよかった。今日だけで結構、解像度上がった気がする」
「ほんとですか? おれもです。晃さん、独り言めちゃ多い」
「えっ、自覚ない。おれ、何か言ってた?」
「吉村昭書斎で、本のタイトル繰り返してました。『戦艦武蔵』『熊嵐』って。『めっちゃ医者 伝』のところで、めっちゃ、めっちゃ、てぶつぶつ言ってたの、ウケました」
真人が思い出しながらくしゃっと笑った。馬鹿にされているのは納得いかないが、もうこの際どうでもいい。真人が今日を笑って終えてくれるなら、何でもいい。
ボートに乗った後は、出入り口正面の水生植物園に真人が惹き込まれてしまって、気づけば入園料を払ってしまった。
本物のアヒルだ、可愛い。アユ、今が旬のアユですよ、晃さん。わあ、噛みつきガメだ、こんなのが池に? と、小規模な水辺の動物展示ひとつひとつに、真人は律儀に心を揺らす。
道路を渡った先に大きめの分園があるとわかると、真人の笑顔を奪いたくなくて、締めの彫刻館まで付き合ってしまった。
敷地の奥で、ミニ遊園地のようなレトロな乗り物を見つけたとき、晃は恐る恐る真人の横顔を盗み見た。真人は「晃さん、ここは僕が奢ります」と決意を固めた顔で回転遊具を指差していた。
サイズの割に回転が速く、きゃっきゃと笑う真人の向かいに座った晃は、あっという間に目を回してしまった。




