39 春色の雪
気まずい空気のまま、食事は静かに進んでいく。
ハンバーグを切り、口に運び、ピラフを掬って口に入れる。野菜スープを咀嚼するように飲む。その繰り返し。会話は無い。
どんなに「普通の家庭」になろうとしても、しょせん自分達家族は破綻しているのだと、桜一朗はそう言われているような気すらした。
しかし、破綻していたとしても。
自分の言葉を聞き入れて貰える確率がどんなに低かったとしても。
言わなければ――。
「……あのさ、今日、話したいと思ってた事……聞いて欲しい」
桜一朗はフォークとナイフを置き、息を詰まらせながら告げる。
「俺……薫野に残りたいんだ」
息子の言葉に、両親二人は息を飲む。
「一人で、という事か?」
「うん。一人でもいいから」
父の言葉に桜一朗が頷くと、母が不安げに眉を顰めた。
「そんな……高校生で一人暮らしなんて。私達も花菜も傍にいないのよ? 本当にやっていけるの?」
「俺も同意見だ。それに、この前は実家に戻ると言っていたじゃないか。……そんなに、うちに戻るのが嫌か?」
不安げな顔で尋ねる両親の顔を見て、桜一朗は目を伏せる。
(やっぱり……すんなり認めて貰える訳ないよな。分かってた)
膝の上で、拳を握りしめる。
(否定されるのは、怖い。怒られるのも怖い。でも……逃げちゃ駄目なんだ。変わらないと駄目なんだ)
桜一朗は覚悟を決めて、乾いた口で自分の気持ちを伝えていく。
「うちに帰るのが嫌な訳じゃない。それに、一人で暮らしていかせるのが不安だって言うのも、分かる……だけど、それでも薫野に残りたいと思うのは、大切な人達の笑顔の傍にいたいからなんだ」
声を震わせながら、体を強張らせながら……どうにか、言葉を紡いでいく。
「傍にいたい人がいるから……俺は、薫野に残りたいんだ。周りに流されてばかりで、諦めてばかりな自分と決別して、俺は……」
桜一朗は前を向き、勇気を出して両親の瞳を射抜いた。
「自分の人生を、自分の力で生きていきたい……!」
桜一朗が言い放ったのを最後に、食卓に静寂が訪れる。
父も母も、二の句が継げなかったのだ。
何と答えるのが正解なのか、二人には分からないのだろう。桜一朗には、それがすぐに分かった。
お互い、満足に愛情を注いでこられなかった親子だ。自分の気持ちを伝えることも、子どもを応援する事も、優しく導くことも、何もかもした事が無かった。
黙り込んでしまった両親を見て、花菜が口を開く。
「私、子どもができてから分かった事があるんだ」
花菜は胸に手を当てながら、ハッキリと告げる。
「子どもって、小さくて弱くて、守ってあげなきゃって思いがちだけど……知らないうちに成長してるものなんだよ。私も、桜一朗も、もう二人にコントロールされてた時とは違う。自分の人生を、自分で歩いて行けるだけ、強くなったの」
花菜の言葉に、両親は目を見開いた。
驚いた顔の二人を見て、花菜はぎこちなく、でもしっかりと笑いながら告げる。
「親の仕事は、心配した分、子どもを信じる事。私はそう思ってる」
「花菜……」
父はグッと息を詰まらせ、少しずつ俯いていく。
「二人とも……いつの間にか、大人になってしまったんだな……」
弱々しく笑いながら、父は小さな声で続ける。
「俺達がどんなに駄目な親でも、置かれた場所できちんと咲いてくれたんだな」
父の言葉に、母も口に手を当てながら目を潤ませていた。
明るい食卓には、ならなかった。
でも、両親も子ども達も、小さく前に進む事ができたのだろう。
これが今の春馬家の形なのだ。
「分かった。桜一朗の事を、信じてみるよ」
「ええ、私も……でも、何かあったらいつでも相談してね」
「ああ、そうだな。……遠く離れていても、家族は家族なんだ。今度は、何があっても、きちんとお前を守りたい。桜一朗だけじゃない。花菜もだ」
父の頬に、涙が伝う。
「元に戻れなくてもいいから……少しずつ、親として二人を支えさせて欲しい。小さい頃に嫌いだった壊れた家庭から、いつか……この場を、温かな家庭にできるように」
父の言葉に、桜一朗は目を潤ませながら頷いた。
「うん……いつか、きっと」
今は、そう言うのが精いっぱいだった。
――欠けてしまったものは、元には戻せない。でも、形を変えて、欠けている事に良さを見出しながら生きることはできる。
欠けた心でなければ、欠けた部分を補う事の幸せすら知らないままだった。
大切な人の愛情も、小雪への恋心も、知らずに生きていたはずだ。
だから、このままでいいのだ。
このままの自分で、生きていていいのだ――。
桜一朗は涙を拭って、二人に小さな声で、でもしっかりと告げるのだった。
「父さん、母さん、ありがと……」
冷めてしまった料理とは反対に、桜一朗の心は、芯の辺りからじわじわと温かくなっていったのだった。
* * *
薫野高校での日々が、少しずつ進んでいく。
いつの間にか、今日は終業式。明日からは夏休みだ。
小雪は毎日学校に来ていたが、桜一朗は一度も登校してこなかった。
(まだ、ご実家にいるのかな……)
一学期最後のホームルームを聞きながらも、小雪の胸は不安でいっぱいだった。
(帰ってくるよね……?)
担任の「連絡事項は以上だ。では、いい夏休みにしろよ」という声の後、号令係の号令に合わせて挨拶をする。
「さようならー」
チャイムが鳴って、教室が一気に賑わい始めた。
小雪はスマホを確認するが、彼からメッセージは来ていない。
会いたい。会いたいけど……どうすればいいのか分からなかった。
「小雪ちゃん」
可憐と苑香が、小雪の席にやってきた。
「春馬君から、連絡は来た?」
苑香が不安げな顔で尋ねる。
小雪は二人に気遣って笑顔を作りながら、首を横に振った。
「まだ……もしかしたら、忙しいのかも。久しぶりの実家だし」
「連絡してみてもいいんじゃない?」
今度は可憐がそう言った。
「もう一週間以上経つよ?」
「でも……勇気が、出なくて」
「小雪ちゃん……」
二人は顔を見合わせて、困った顔になってしまった。
そんな三人の様子を見た友部が、優しい笑顔を作りながら歩いてくる。
「一原さん」
「友部君?」
「春馬から連絡来ないんだって?」
「うん……まだ、来なくて」
小雪が眉を下げながら頷くと、友部は穏やかな声で告げるのだ。
「色々と理由はあるかもしれないけどさ、一原さんから連絡貰えたら、春馬は喜ぶんじゃないかな」
「……そうかな」
「うん。話し合いの結果がどうであれ、あいつは……君の顔を一番に見たいと思う。声とか言葉も、君が最初だと嬉しいんじゃないかな」
友部の言葉が、小雪の胸にストンと落ちて、温もりを帯びていった。
「そっか……」
小雪は胸に手を当てて、微笑む。
「私、連絡してみる」
小雪の答えを聞いて、三人は安心した顔で笑い合った。
小雪は迷いながらもスマホを開き、メッセージを打ち込んでいく。
――久しぶり。いつ薫野に帰ってくる? 会いたいな。
しばらくして、既読がつき返信が来た。
――今、薫野行の電車に乗ってる。あと少しで薫野中央駅だよ。
そのメッセージを見て、小雪は慌てて立ち上がった。
「もうすぐ帰ってくるって」
「おー! マジで! よかったじゃん!」
「うん。私……迎えに行ってくる!」
小雪は明るい笑顔でそう言いながら、鞄をしっかりと背負った。
「行っておいで!」
「最高の笑顔、見せてあげな!」
「うん……!」
友達の声に背中を押されながら、小雪は教室を走り出た。
彼女が笑顔で走っていくのを見かけた桔梗は、驚いた顔をしていたが、やがて表情を和らげて見送った。
(やっと明るく笑えるようになったんだな)
小雪は学校を飛び出して、薫野中央駅への住宅街を走っていった。
昼と夕方の間の空。この空の色を見ているうちに、色々な記憶が蘇ってきた。
桜一朗と初めて会った時の事。
春になりたての湖で親友になった事。
クラスに溶け込むための作戦会議。
聴かせてくれたギターの音。
風邪で休んだ自分に会いに来てくれた事。
一緒に遊んだ遊園地。
差し出してくれた思い出の本。
抱きしめてくれた夜の事。
それから、それから――。
思い出を振り返る度に、胸が熱くなって涙が出そうになる。
心が満たされて、欠けた部分なんて初めから無かったんだと錯覚してしまう。それだけ、彼は小雪の心を埋めてくれた。
どの記憶も、どの思い出も、かけがえがない宝物だ。
今日までずっと。そして、これからの人生でも、ずっと――。
薫野中央駅が見えてきた。
入口の自動ドアから中に入り、エスカレーターを歩いて上りながら改札の手前まで来る。
そして……キャリーケースを片手に改札を抜けてくる桜一朗の姿を見つけた。
「桜一朗……!」
桜一朗も小雪の声に気づいて、目を丸くする。
「小雪……」
始めは驚いた顔をしていた彼も、少しずつ表情を和らげながら歩いてきてくれた。
やがて、小雪の前まで来て、桜一朗は柔らかい王子様の笑顔で告げるのだ。
「ただいま」
大好きな笑顔と共に発してくれた言葉。
たった一言だ。でも小雪は、その言葉が何よりも嬉しかった――。
「おかえり」
小雪は優しく目を細めて、ありのままの微笑みを彼に向ける。
「おかえりなさい」
彼の手を握り、もう一度、噛みしめるように伝えた。
「うん。……ただいま。もう君から離れない。ずっと一緒にいる。だから……」
桜一朗は小雪の手を握り返して微笑む。
「これからも、おかえりとただいまを言い合おうね」
彼の言葉と手の温もり、そして愛情……何もかもを感じられる今の自分でいられることが、小雪は、ただ幸せだった。
彼のお陰で、自分の世界に春が訪れたのだ。
温かく優しい、幸せの風が吹いたのだ──。
「うん。……ふふ、なんだかプロポーズみたい」
ふにゃりと笑う小雪に向かって、桜一朗は吹き出すように笑って告げる。
「ふは、大人になったらちゃんとしてあげるから。焦らない焦らない」
「そっか……うん、待ってあげる」
「うん、待ってて。これからもずっと、俺の一番近くで待ってて」
二人で笑い合う、改札前の広場。
駅の音と、賑やかな声。友達や家族と笑い合う、ありふれた幸せの声が溢れている世界。その中にようやっと、二人一緒に溶け込むことができた。
幸せに弾かれても、過去が重たくても、心が欠けていても……きっとそのまま生きていける。
ありのままの自分と、雪のような彼女と過ごした青春が、それを教えてくれた。
雪に閉ざされた冷たい世界に幸せの春風が吹き、また新しい季節へと移り変わっていく。
過ぎていく季節を、また彼女と共に歩いて行って、いつまでもその笑顔を見つめていられますように。
春色の雪のような、彼女の笑顔を──。
桜一朗は頬を桜色に染めて笑う彼女を見て、幸せな気持ちで微笑んだのだった。
『春色の雪』をお読みいただきありがとうございました。作者の月島です。
こちらの作品は、「欠けてる二人がお互いを救い合う話が書きたいな」という気持ちから書き始めました。
なので、作品を通してのテーマは「そのままの君で大丈夫」です。
本編の主人公である小雪と桜一朗は、どちらも心に傷を負って生きていました。
二人とも家庭環境が複雑で、そのせいで生きづらさを抱えている。二人の抱える問題は根深くて、どんなに頑張っても解決できないものだったり、はたまた解決までに物凄く時間を要したり。
作品を書いていて、作者としても幸せってこんなに儚いんだなと分からせられました。
でも、案外それが現実なのかもしれません。
簡単に壊れてしまうものだからこそ、かけがえのないものなのだなと、そう思います。
生きていると、自分を曲げなければいけない場面がどうしても出てきてしまいます。
自分の駄目な部分に目がいって苦しくなることも、私は少なくないです。
でも、そんな自分でも大切にしてくれる人はどこかにきっといるんだと思います。
だから、自分を否定ばかりしないで、そういう人を見つけるために生きたっていいはず。
そういう人のために生きたっていいはず。
そのうえで桜一朗のように「変わりたい」「勇気を出したい」と思うのなら、それだって悪い事じゃない。素敵な事です。
自分のままで生きていていい。別の誰かになろうとしなくていい。自分の人生の舵を取るのは自分自身。そういう気持ちで書いたので、読んでくださった方の心に何かしら残ってくれたら嬉しいです。
長々と書いてしまいましたが、改めまして、最後までお読みいただきありがとうございました。
また何かの作品でお会いできたら嬉しいです。
2026.4.16
月島




