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子どもたちが学校へ戻った朝

朝の商店街は、妙に静かだった。


いつもの時間。


いつもの空。


いつものように、東の空から差し込んだ朝の光が、まだ半分ほど閉まっている店のシャッターを照らしている。


ガラガラガラ。


最初に八百屋のシャッターが開いた。


「よいしょっと」


八百屋のおばさんが店の中から出てくる。


続いて、時計屋。


少し遅れて魚屋。


そして、喫茶ひだまりの扉が開いた。


昨日までと、何も変わらない朝だった。


ただ一つ。


子どもたちの声がしなかった。


夏休みのあいだなら、そろそろ聞こえてくる。


「ガブー!」


「ふわー!」


そんな声が、商店街のどこかから響いてくるはずだった。


けれど今日は聞こえない。


代わりに聞こえてきたのは、遠くから鳴く蝉の声だった。


ミーン、ミーン。


けれど、その声も夏の盛りほど力強くない。


少し遠くで鳴いているように聞こえる。


商店街の隅に置かれた段ボールの家。


その中で、ふわが目を覚ました。


顔を上げる。


そして、隣を見る。


ガブはすでに起きていた。


いつものように前足をそろえて座り、外を眺めている。


ふわは大きく伸びをした。


前足をぐっと前へ。


背中を伸ばし、最後に尻尾をふるりと揺らす。


それから段ボールの家を出た。


ガブも立ち上がった。


朝の見回りの時間だった。


二匹は並んで歩き始める。


最初は八百屋。


「おはよう、ガブ。ふわ」


おばさんが声をかけた。


ふわは顔を上げる。


ガブはそのまま歩く。


「今日もいつも通りだねえ」


おばさんは笑った。


けれど、二匹が通り過ぎたあと、ふと商店街の入り口を見る。


誰も走ってこない。


「ああ、そうか」


おばさんは思い出した。


「今日から学校だったね」


その声を聞いたのか、ふわが少しだけ振り返った。


ガブは振り返らない。


二匹は時計屋へ向かう。


時計屋のおじいさんは、店先をほうきで掃いていた。


シャッ、シャッ。


ほうきが地面を擦る音が、静かな商店街によく響く。


「おはようさん」


ガブとふわに声をかける。


二匹が通り過ぎる。


おじいさんも、ふと手を止めた。


「……静かだな」


夏休みのあいだは、この時間になると子どもたちがやってきた。


何をするわけでもない。


ガブを追いかけたり。


ふわに話しかけたり。


店先で立ち止まったり。


ときには八百屋のおばさんに注意されたり。


それだけだった。


けれど、その声がないだけで、商店街はずいぶん広く感じた。


ガブとふわは魚屋の前を通る。


魚屋のおじさんが箱を運んでいた。


「おっ、二匹だけか」


ガブが止まる。


魚の匂いがしたからだった。


「今日は子分たちはいないぞ」


ふわが魚屋のおじさんを見る。


「学校だ、学校」


当然、ふわには分からない。


それでも、いつもなら自分たちの後ろについてくる子どもたちがいないことには気づいているようだった。


ふわは一度、後ろを見た。


誰もいない。


ガブは魚屋の前から離れた。


ふわも追いかける。


次は喫茶ひだまり。


店の前には、いつもの水入れが置かれていた。


新しい水が入っている。


ガブが飲む。


ふわも隣に並んだ。


ぺろ。


ぺろ。


水面に二匹の顔が揺れる。


喫茶ひだまりの店主が窓越しに二匹を見ていた。


「今日は静かね」


店内には、いつものおじいさんが座っていた。


毎朝やって来る、あのおじいさんだ。


コーヒーカップを持ちながら、窓の外を見る。


「学校が始まったんだろう」


「そうみたい」


「猫には関係ないがな」


店主が笑う。


「そうかしら」


「ん?」


「ふわちゃん、さっきから何回も後ろ見てるわよ」


おじいさんが窓を見る。


確かに。


水を飲み終わったふわが、商店街の入り口を見ていた。


いつもなら。


あそこから子どもたちがやってくる。


「ふわー!」


そう呼ばれる。


しゃがみ込んだ子どものところへ行き、指先の匂いを嗅ぐ。


けれど今日は誰も来ない。


ふわはしばらく待った。


ガブはもう歩き始めていた。


数歩進んだところで。


ガブが止まった。


振り返る。


ふわはまだ商店街の入り口を見ている。


ガブは何も言わない。


もちろん呼びもしない。


ただ、待っていた。


しばらくして。


ふわがガブに気づいた。


小走りで近づく。


そして、二匹はまた並んで歩き始めた。


窓の向こうで、おじいさんが少し笑った。


「待つようになったな」


「ガブが?」


「ああ」


以前のガブなら。


誰かがついて来ようが、来まいが。


たぶん、そのまま歩いていただろう。


けれど今は違う。


ふわが来なければ、少し待つ。


ふわもまた、ガブが歩けばついていく。


それはいつから始まったのか。


誰にも分からない。


気づけば、それが当たり前になっていた。


朝の見回りを終えると、二匹はいつもの日陰へ戻った。


ガブが座る。


ふわも隣に座る。


商店街は、まだ静かだった。


「なんだか寂しいねえ」


八百屋のおばさんが言った。


時計屋のおじいさんが答える。


「昼過ぎになりゃ、またうるさくなるさ」


「うるさいって言いながら、待ってるんじゃないの?」


「誰が」


「おじいさんが」


「待っとらん」


そう言いながら。


時計屋のおじいさんも、ときどき通りの向こうを見ていた。


ガブは眠り始めた。


ふわはまだ起きている。


人が通るたびに、少しだけ顔を上げる。


自転車が通る。


違う。


買い物袋を持った人が通る。


違う。


配達の車が止まる。


それも違う。


やがて、ふわも諦めたように丸くなった。


ガブのすぐそば。


体が少し触れるくらいの距離だった。


昼になった。


まだ暑い。


昨日、少しだけ秋の気配を感じたとはいえ、太陽は夏の力を残している。


蝉も鳴いていた。


けれど商店街には、夏休みとは違う時間が流れていた。


子どもたちがいないだけで。


こんなにも違う。


午後になった。


ガブが目を覚ました。


ふわも起きる。


二匹は場所を変えるため、ゆっくり歩き出した。


そのときだった。


遠くから。


カラン。


カラン。


何か小さな金属がぶつかるような音。


そして。


「また明日ー!」


子どもの声。


ふわの耳が立った。


ガブも顔を上げる。


しばらくすると、商店街の入り口に小さな人影が現れた。


ランドセルを背負っている。


一人。


その後ろにもう一人。


さらにもう一人。


三人の子どもたちだった。


「あっ!」


一人が二匹を見つける。


「いた!」


次の瞬間。


「ガブー!」


「ふわー!」


朝には聞こえなかった声が、商店街いっぱいに響いた。


ふわが立ち上がる。


尻尾がぴんと上がった。


そして。


タタタッ。


子どもたちのほうへ走っていく。


「ふわー!」


子どもがしゃがむ。


ふわはその前まで行くと、足元をくるりと回った。


「会いたかった?」


「絶対会いたかったよ!」


「朝いなかったもんね!」


子どもたちは大騒ぎだ。


ガブは少し離れたところに座っている。


「ガブも!」


一人がガブのところへ走る。


「ただいま!」


ガブは逃げない。


ただ、その子を見る。


「学校行ってきたよ」


ガブの耳が、ぴくっと動いた。


「ねえ、ガブ寂しかった?」


ガブは答えない。


「絶対寂しかったって」


「ガブは寝てたと思う」


「いや、ちょっとは寂しかったよ」


「どうかなあ」


八百屋のおばさんが笑った。


「ふわは朝から何回もあんたたちが来るほうを見てたよ」


「ほんと!?」


三人が一斉にふわを見る。


ふわは何も知らない顔で座っている。


「ふわー!」


また囲まれる。


「寂しかったんだ!」


「明日も学校だけど、ちゃんと帰ってくるからね!」


ふわは子どもの指先を嗅いだ。


その様子を見ながら、時計屋のおじいさんが店先から言った。


「朝は静かでよかったのになあ」


「えー!」


「絶対嘘!」


「おじいちゃん寂しかったでしょ!」


「誰が寂しいか」


「じゃあ明日来ない!」


「それは困る」


言ってしまった。


一瞬、静かになる。


それから。


みんなが笑った。


時計屋のおじいさんは少し困った顔をして、店の中へ戻っていった。


夕方。


子どもたちはランドセルを家に置いて、また戻ってきた。


結局、いつもの商店街になった。


ガブが歩く。


ふわがその横を歩く。


子どもたちが後ろについていく。


八百屋のおばさんがいる。


時計屋のおじいさんがいる。


魚屋のおじさんがいる。


喫茶ひだまりからコーヒーの匂いがする。


ただ一つ違うのは。


もう、朝から子どもたちがいるわけではないということ。


夏休みは終わった。


これからは。


朝はガブとふわの時間。


昼を過ぎれば、子どもたちが戻ってくる。


新しい毎日が始まる。


夕方の風が吹いた。


少し涼しい。


ふわの毛が揺れる。


ガブのひげも揺れる。


遠くから虫の声が聞こえてきた。


一人の子どもが空を見上げた。


「なんか、夏終わっちゃった感じする」


もう一人が言う。


「まだ暑いけどね」


「明日も暑いよ、たぶん」


「じゃあ、まだ夏じゃん」


三人が笑う。


ガブは前を歩いていた。


ふわも、その横を歩いている。


季節が変わっても。


学校が始まっても。


商店街の毎日は続いていく。


そして明日の朝も。


ガブは起きる。


ふわも起きる。


二匹で商店街を歩くだろう。


子どもたちはいない。


でも午後になれば、きっとまた。


「ガブー!」


「ふわー!」


そんな声が聞こえてくる。


野良猫ガブは、今日も何もしない。


ただ、少し静かになった朝の商店街を、ふわと一緒に歩いていただけだった。


そして夕方。


いつもの声が戻ってきた商店街で、またいつものように歩いていた。


夏休みは終わった。


けれど。


ガブとふわと、商店街のみんなの毎日は。


まだまだ続いていくのだった。

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