↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
69/77

夕方、風が少し涼しくなる日

午後の商店街は、まだ夏の暑さを残していた。


アスファルトは昼間の太陽をたっぷり吸い込んでいて、歩いていると足元からじんわりと熱が上がってくる。


八百屋のおばさんは、店先の日よけを少しだけ下げた。


「今日も暑いねえ」


そう言いながら、並べた野菜に霧吹きで水をかける。


細かな水滴が葉の上に乗り、光を受けて小さく輝いた。


その少し離れたところで、ガブは日陰に座っていた。


前足をそろえ、目を細めている。


暑い日は、無理に動かない。


それが、ガブの夏の過ごし方だった。


隣では、ふわが丸くなっている。


ときどき顔を上げては、通りを眺める。


子どもたちの声。


自転車のブレーキの音。


遠くを走る車の音。


いつもの商店街の音が、ゆっくりと流れていた。


やがて、午後が少しずつ夕方へ向かい始めた。


太陽の位置が変わる。


建物の影が伸びていく。


つい先日までは、夕方になると長く伸びていた影が、今日はさらに細く、そして濃くなっていた。


ふわが立ち上がった。


伸びをする。


背中を大きく丸め、それからゆっくりと体を戻す。


ガブも顔を上げた。


ふわが歩き出す。


ガブは少し遅れて、その後ろをついていった。


二匹はいつものように、商店街の端へ向かう。


ところが、その途中だった。


ふわが突然、足を止めた。


耳がぴくっと動く。


ガブも止まった。


風だった。


ほんの少しだけ。


昼間とは違う風が、通りを抜けていった。


熱を含んだ風ではない。


頬を撫でるような、軽い風だった。


ふわが鼻を少し上げる。


風の匂いを確かめるように、じっとしている。


ガブも動かない。


風は二匹の毛をほんの少し揺らして、そのまま商店街の奥へ流れていった。


「……あれ?」


時計屋のおじいさんが店先から顔を出した。


「今、ちょっと涼しくなかったか?」


誰に言うでもなく、そう呟く。


八百屋のおばさんも手を止めた。


「ほんとだねえ」


もう一度、風が吹いた。


今度は少し長かった。


店先ののれんが、ふわっと膨らむ。


吊るしてある小さな飾りが、かすかに揺れる。


喫茶ひだまりの入り口では、風鈴が小さな音を立てた。


チリン。


その音は、夏の盛りの風鈴とは少し違って聞こえた。


同じ音なのに、どこか遠く感じる。


ふわが風鈴の音に顔を向けた。


ガブはその隣で、静かに座っている。


喫茶ひだまりから、店主が出てきた。


「夕方になると、少し違うね」


そう言って、空を見上げる。


まだ夏の空だった。


けれど、昼間とは違う色になっている。


青が少しずつ薄くなり、建物の向こう側から淡い橙色が混ざり始めていた。


子どもたちも気づいた。


「なんか、涼しい!」


一人がそう言うと、もう一人が両手を広げた。


「ほんとだ!」


二人とも、風を受けるようにして通りを歩く。


夏休みの夕方。


昼間なら、まだ暑くて外に出るのをためらう時間だった。


けれど今日は、少しだけ違う。


ほんの少し。


それだけだった。


ガブとふわは、いつもの場所まで歩いた。


そこには夕方の影が長く伸びている。


ふわが影の上を歩く。


一歩。


また一歩。


そのたびに、白っぽい足先が影の中から出たり入ったりする。


ガブはその後ろをゆっくり歩いた。


やがて、商店街の端にある低い塀のところで、二匹は並んで座った。


風がまた吹いた。


今度は、少し涼しかった。


ガブの耳が揺れる。


ふわの毛も、ふわりと揺れる。


二匹は何もせず、ただ風を受けていた。


その姿を、少し離れたところから時計屋のおじいさんが見ていた。


「もうすぐ秋かねえ」


そう呟いてから、少し笑った。


まだ秋ではない。


蝉も鳴いている。


朝顔も咲いている。


昼間の暑さだって、まだ十分に夏だった。


けれど季節は、いつも突然変わるわけではない。


こうして風が少し変わる。


夕方の影が少し長くなる。


蝉の声が少し遠くなる。


そんな小さな変化が重なって、いつの間にか次の季節になっていく。


ふわがガブのほうを見た。


ガブもふわを見る。


そして、何事もなかったように、また前を向いた。


商店街には夕方の風が流れている。


八百屋のおばさんは店先を片付け始めた。


時計屋のおじいさんは、店の前に出していた小さな看板をしまった。


喫茶ひだまりでは、夕方の明かりが灯った。


風鈴がもう一度鳴った。


チリン。


その音を聞きながら、ガブは目を細めた。


ふわは隣で、気持ちよさそうに座っている。


夏はまだ終わっていない。


けれど、少しだけ先の季節が、風の中から顔を出したような夕方だった。


日が沈むにつれて、通りの暑さもゆっくりと薄れていった。


子どもたちが帰っていく。


店の明かりが一つ、また一つと増えていく。


ガブとふわも、そろそろいつもの場所へ戻る時間だった。


二匹は立ち上がる。


そして、並んで歩き始めた。


今日も特別なことはなかった。


ただ、夕方の風が少し涼しくなった。


それだけだった。


けれど商店街の人たちは、その小さな変化をちゃんと感じていた。


ガブも、ふわも。


何も言わずに、同じ風を感じていた。


野良猫ガブは、今日も何もしない。


ただ、少し涼しくなった夕方の風の中を、ふわと一緒に歩いていただけだった。


その後ろから、夏の終わりを知らせるように、風鈴が小さく鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。