セミの抜け殻を見つける朝
朝の商店街には、まだ涼しさが残っていた。
太陽は昇っている。
けれど、昼間のような強い暑さはない。
時計屋の石段では、ガブがゆっくりと目を開けた。
少し離れた木の塀の近くでは、ふわも起き上がっている。
二匹は顔を見合わせることもなく、いつものように歩き始めた。
朝の見回り。
八百屋の前を通り、魚屋の前を通る。
パン屋からは、焼きたてのパンの香り。
喫茶ひだまりからは、コーヒーの香り。
いつもの商店街。
でも、やっぱり少し静かだった。
蝉の声が少ない。
その代わり、朝の風がよく聞こえる。
葉っぱが揺れる音。
風鈴の音。
ちりん。
ふわが顔を上げる。
そのまま、街路樹の下へ歩いていった。
ガブもついていく。
そのときだった。
「ねえ!」
子どもの声が響いた。
夏休みのラジオ体操を終えた子どもたちが、商店街へ走ってくる。
「これ、見て!」
ひとりの子が、木の幹を指さしている。
そこに、小さな茶色いものがくっついていた。
「何これ?」
「セミじゃない?」
「違うよ。動かないよ。」
みんなで近づく。
ひとりがじっと見つめる。
「これ、セミの抜け殻じゃない?」
「あ!」
「ほんとだ!」
子どもたちの顔が一気に明るくなる。
木の幹には、セミが残していった小さな抜け殻があった。
背中が割れている。
細い脚が木にしがみついている。
その姿は、まるでまだそこにセミがいるようだった。
ふわが近づいてくる。
鼻を少し動かす。
子どもたちが笑う。
「ふわも気になるの?」
ふわは抜け殻の匂いを少し確かめる。
それから、首をかしげた。
ガブは少し離れた場所に座っている。
興味があるのか、ないのか。
いつもの顔だった。
「ガブは全然気にしてないね。」
子どもたちが笑う。
ガブのしっぽが、ほんの少し動いた。
八百屋のおばさんも店先からやってきた。
「まあ、見つけたのかい。」
「うん!」
子どもたちは嬉しそうに答える。
「今年もいっぱい鳴いてたもんね。」
おばさんは木を見上げる。
「ここから飛んでいったのかもしれないねえ。」
子どもたちは、もう一度抜け殻を見る。
誰も触らない。
ただ、そこに残された小さな夏の跡を眺めていた。
時計屋のおじいさんもやってくる。
「セミはもう飛んでいったんだな。」
「どこに行ったのかな?」
子どもが聞く。
「どこかで鳴いてるんじゃないか。」
おじいさんは笑う。
みんなで耳を澄ます。
すると、遠くから小さな声が聞こえてきた。
じじじ……。
「あっ!」
子どもたちが顔を上げる。
「まだ鳴いてる!」
「遠いね。」
前よりもずっと遠くなった蝉の声。
でも、確かに聞こえている。
ふわはその音に耳を向ける。
ガブも静かに空を見上げる。
木の葉の間から、青い空が見える。
抜け殻だけを残して、セミはもうどこかへ飛んでいった。
昼になる。
商店街はいつものように暑くなる。
子どもたちは抜け殻を見つけたことを何度も話している。
「明日もあるかな。」
「別の木にもあるかも。」
「探してみよう。」
そんな声が通りに響く。
ガブとふわは日陰で休んでいる。
ふわは少しだけ顔を上げる。
蝉の声が聞こえる。
でも、昨日より遠い。
その代わり、風が少し涼しい。
夏はまだそこにある。
けれど、少しずつ姿を変えている。
夕方。
子どもたちが帰っていく。
木の幹には、セミの抜け殻が残っている。
誰にも持っていかれず、朝と同じ場所にいる。
その横をガブが通る。
ふわも通る。
ふわは一度だけ振り返った。
抜け殻を見つめる。
それから、ガブの後を追う。
夜。
商店街は静かになる。
虫の声が聞こえてくる。
りん。
りん。
蝉の声は、ほとんど聞こえない。
でも、木の幹には今日見つけた抜け殻が残っている。
夏がそこにいた証。
ふわは木の塀の近くで丸くなる。
ガブは時計屋の石段で眠る。
二匹はそれぞれの場所で、静かな夜を迎える。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、子どもたちが見つけた小さな夏の跡を通り過ぎただけだった。
その隣で、ふわは初めて見るセミの抜け殻を、少しだけ覚えていた。
明日になれば、またひとつ夏が進む。
けれど今日の朝、商店街の木に残っていた小さな抜け殻は、
「夏はまだここにいるよ」
と教えてくれているようだった。




