風鈴の音が響く日
朝から、風がよく吹いていた。
強い風ではない。
商店街をゆっくり歩くような、やさしい風だった。
その風が通るたび、どこからか小さな音が聞こえてくる。
ちりん。
りーん。
からん。
夏になると、商店街には風鈴が増える。
八百屋の軒先。
魚屋の店先。
喫茶ひだまりの窓辺。
古い時計屋の入り口にも、小さなガラスの風鈴がひとつ下がっていた。
時計屋のおじいさんが、何年も前から夏になると飾っているものだった。
ガブは時計屋の石段で目を覚ます。
隣では、ふわもゆっくりと体を起こした。
風が吹く。
ちりん。
時計屋の風鈴が、小さく鳴った。
ふわの耳がぴくりと動く。
音のする方を見る。
もう一度。
りん。
ふわは首をかしげる。
ガブは一度だけ風鈴を見上げると、いつものように石段を下りた。
朝の見回りが始まる。
八百屋の前を通る。
軒先の風鈴が鳴る。
からん。
おばさんが笑う。
「今日はよく鳴るねえ」
ちょうど店先へ出てきた魚屋の大将も空を見上げる。
「風があるからな」
「昨日より過ごしやすいね」
そんな会話が、風と一緒に流れていく。
ふわは歩きながら、ときどき立ち止まる。
風鈴が鳴るたびに耳を動かす。
まるで音を探しているようだった。
喫茶ひだまりの前まで来ると、窓辺にも青いガラスの風鈴が揺れていた。
ちりん。
澄んだ音が響く。
女性が窓を開ける。
「今日は気持ちのいい風ですね」
店の中にも風が通り抜ける。
カウンターに置かれた花が、小さく揺れた。
ガブは店の前の日陰へ座る。
ふわも隣へ座る。
また風が吹く。
ちりん。
ふわは目を閉じたまま耳だけを動かす。
もう音に驚かない。
その音が、この商店街の夏の音なのだと、少しずつ覚えてきたようだった。
昼になると、子どもたちがやって来た。
「今日は風鈴がいっぱい鳴ってる!」
見上げると、あちこちでガラスが光っている。
赤い風鈴。
青い風鈴。
透明な風鈴。
それぞれ少しずつ違う音だった。
「こっちは高い音。」
「こっちは低いね。」
子どもたちは聞き比べを始める。
ガブは日陰で目を細める。
ふわは風が吹くたびに耳をぴくりと動かす。
その様子を見て、子どもたちが笑う。
「ふわも聞いてる。」
「お気に入りの音があるのかな。」
ふわは答えない。
ただ、静かに風を感じている。
午後になると、おじいさんが時計屋の前へ出てきた。
風鈴を見上げる。
「今年も元気に鳴いとるな」
小さくつぶやく。
ガラスの風鈴は、毎年同じ場所で夏を迎えていた。
その下には、今年もガブがいる。
そして、その隣にはふわもいる。
去年はいなかった小さな灰色の猫。
おじいさんは、そのことが少しうれしかった。
夕方。
風が少しだけ強くなる。
商店街のあちこちから音が重なる。
ちりん。
からん。
りーん。
まるで商店街全体が静かな音楽を奏でているようだった。
八百屋のおばさんが店じまいをしながら空を見上げる。
「今日は一日、よく鳴ったねえ。」
魚屋の大将が笑う。
「風鈴も忙しかったな。」
二人の笑い声が、また風に乗る。
ガブはゆっくり立ち上がる。
ふわも続く。
二匹は並んで歩き始める。
風が背中をなでる。
ちりん。
最後に時計屋の風鈴が鳴った。
ふわが一度だけ振り返る。
その澄んだ音を胸いっぱいに聞くように。
それから、ガブの後を追いかけた。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、風の吹く商店街を歩いただけだ。
その隣で、ふわはまたひとつ、この町の夏の音を覚えた。
風が吹けば鳴る、小さなガラスの音。
その音は今年の夏も、商店街のみんなをやさしく包んでいた。




