夕方の水音
昼間の暑さは、まだ商店街に残っていた。
石畳は太陽の熱を抱えたまま。
店の壁も、屋根も、ゆっくりと熱を持っている。
でも、空の色は少しずつ変わり始めていた。
強い白い光から、やわらかな夕方の色へ。
時計屋の石段で休んでいたガブは、ゆっくり目を開けた。
隣では、ふわも顔を上げる。
昼寝のあと。
少しぼんやりした表情。
風が変わっている。
昼間の熱い風ではない。
夕方の風。
少しだけ涼しい。
二匹はゆっくり立ち上がる。
いつものように歩き出す。
でも、今日は商店街のあちこちから違う音が聞こえていた。
しゃあ。
しゃあ。
水の音。
八百屋のおばさんが、店先に水をまいている。
熱くなった地面に水が落ちる。
小さな水たまりができる。
その瞬間、ふわが立ち止まる。
昨日の大きな水たまりを思い出したのかもしれない。
けれど、今日の水はすぐに地面へ消えていく。
暑かった石畳が、少しだけ色を変える。
「涼しくなるよ」
八百屋のおばさんが笑う。
ふわは濡れた場所を少しだけ歩く。
ひんやりしている。
ガブもその横を通る。
魚屋の前でも、同じように水がまかれていた。
大将がホースを持っている。
しゃあ。
水が広がる。
「夕方はこれだな」
大将が言う。
昼間は暑さで動くのもゆっくりだった商店街が、少しずつ戻ってくる。
買い物をする人。
店先で話す人。
自転車の音。
夕方の時間。
ガブとふわは、水の道を避けながら歩く。
でも、濡れた地面から上がる匂いが気になる。
夏の夕方の匂い。
乾いた地面が、水を受けた匂い。
どこか落ち着く匂いだった。
子どもたちもやってくる。
「打ち水してる!」
「涼しい!」
走ってきて、急に足を止める。
水をかけられないように。
「猫たちも来てる」
ひとりが言う。
ガブとふわは、喫茶ひだまりの前の影に座っていた。
昼よりも近い距離。
夕方の風を待っている。
女性が店の前を掃除しながら笑う。
「今日は少し過ごしやすいですね」
「うん」
子どもたちが答える。
その声を聞きながら、ふわは目を細める。
風が通る。
打ち水のおかげか、さっきより少し涼しい。
ガブが横になる。
ふわもその隣へ。
商店街の音が、ゆっくり小さくなっていく。
夕方は、昼と夜の間の時間。
まだ明るい。
でも、もう一日の終わりが近い。
八百屋のおばさんが最後にもう一度水をまく。
しゃあ。
その音が通りに響く。
子どもたちはその音を聞きながら言う。
「夏っていいね」
誰かが返す。
「暑いけどね」
笑い声。
ガブは目を閉じる。
ふわも目を閉じる。
水の匂い。
涼しい風。
遠くで鳴き始めた虫の声。
夏の夕方は、静かに夜へ向かっていた。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、涼しくなった商店街で休んでいただけだ。
その隣で、ふわも同じ風を感じている。
しゃあ、という水の音は、夏の夕方の合図のように、しばらく商店街に残っていた。




