空の落ちた場所
その日の夕立ちは、短かった。
けれど、とても強かった。
屋根を叩く雨音が商店街いっぱいに響き、通りの石畳をあっという間に濡らしていった。
そして、来たときと同じように、雨は急に去っていった。
残ったのは、涼しくなった空気と、たくさんの水たまりだった。
翌朝。
ガブとふわは、いつものように時計屋の石段を下りる。
夜の間に少し風が吹いたらしく、小さな水たまりはほとんど消えていた。
けれど、一つだけ残っている。
商店街の真ん中近く。
少しくぼんだ場所にできた、大きな水たまりだった。
空を映すほど大きな水たまり。
ふわは最初にそれを見つけた。
立ち止まる。
耳をぴんと立てる。
目の前に、青空がある。
でも、それは地面の上だ。
ふわは慎重に近づく。
水面をのぞき込む。
そこには灰色の猫がいた。
同じように首を伸ばしている。
ふわは首をかしげる。
水の中の猫も首をかしげる。
ふわはもう少し近づく。
すると、鼻先が水面に触れた。
ぱしゃ。
空が揺れる。
灰色の猫も消える。
ふわはびっくりして一歩下がった。
その様子を、少し離れた場所からガブが見ている。
ガブは近づいてきた。
水たまりを見る。
それから普通に横を通り過ぎようとする。
ふわはまだ気になっている。
またのぞき込む。
今度はガブも映っている。
空の中に、二匹の猫。
ふわはしばらく見つめる。
ガブは少しだけ立ち止まり、水面を見る。
そして何事もなかったように歩き出した。
ふわも慌ててあとを追う。
午前中になると、子どもたちがやって来た。
ラジオ体操帰りの子もいる。
「うわ、大きい!」
最初に水たまりを見つけた子が声を上げる。
みんな集まる。
水面には夏の空が映っている。
白い雲も映っている。
「あっ、猫がいる」
ひとりが言う。
ちょうど通りかかったガブとふわが映り込んでいた。
「ほんとだ」
「逆さ猫だ」
子どもたちは笑う。
風が吹く。
水面が揺れる。
空が波になる。
雲も崩れる。
猫たちもゆらゆら揺れる。
「なんか不思議だね」
誰かが言う。
本当にその通りだった。
空が地面にあるようだった。
昼が近づくと、水たまりは少しずつ小さくなる。
太陽が高くなる。
光が強くなる。
子どもたちは何度ものぞき込む。
そのたびに空の形が変わる。
ふわも何度か見に来た。
通るたびに立ち止まる。
まだ少し気になっているらしい。
ガブは相変わらずだった。
避けて歩く。
それだけ。
午後になると、水たまりは半分ほどになった。
映る空も小さくなる。
夕方には、もうほとんど残っていない。
最後に残った小さな水の中に、夕焼けの色が映る。
オレンジ色の空。
その前をガブが通る。
ふわも通る。
小さな夕焼けが揺れる。
そして、静かに消えていった。
翌朝には、水たまりはなくなっていた。
そこにはいつもの石畳があるだけだった。
けれど、ふわは少しだけその場所を見た。
何かを探すように。
もちろん、空はなかった。
ただの道だった。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、いつもの道を歩いていただけだ。
その隣で、ふわは一日だけ現れた空の落ちた場所を、少しだけ覚えているようだった。
商店街の夏は、そんな小さな出来事を残しながら、ゆっくりと続いていく。




