夜の声
昼の熱は、夜になっても少し残っていた。
けれど、商店街を通る風は、昼よりやわらかい。
空は深い青色になり、店の明かりがぽつぽつと灯っている。
昼間あれだけ響いていたセミの声は、もう遠い。
代わりに、細く静かな虫の声が聞こえていた。
りん、りりり。
どこから鳴いているのかわからない。
でも、夜の空気の中にずっと混ざっている。
時計屋の石段で、ガブは丸くなっていた。
その隣で、ふわも丸くなっている。
昼間より距離は近い。
暑さが少し引いたぶん、自然と寄っている。
風が吹くたび、ふわの毛がゆっくり揺れる。
通りには、まだ少し人がいる。
喫茶ひだまりの灯りもついていた。
窓の向こうでは、子どもたちが宿題を広げている。
「まだ終わんない」
「先に計算やれば?」
そんな声が、ときどき外まで聞こえてくる。
女性が麦茶を運ぶ。
氷の音が、小さく鳴る。
からん。
扉が開くたび、涼しい空気が少し外へ流れる。
ガブは目を細めたまま。
ふわは虫の声のする方へ耳を動かしている。
夜の音は、昼より小さい。
だから、よく聞こえる。
遠くを走る車。
風鈴の音。
どこかのテレビ。
虫の声。
その全部が、静かに重なっている。
八百屋のおばさんが店を閉める。
「暑かったねえ、今日も」
魚屋の大将がうなずく。
「明日もだな」
シャッターの音が、夜に長く響く。
ふわが少しだけ顔を上げる。
でも、逃げたりはしない。
もう慣れている音だった。
おじいさんが喫茶ひだまりから出てくる。
今日は少し遅い。
店の前で立ち止まり、夜風を受ける。
「虫が鳴いてるな」
小さく言う。
女性も外へ出てくる。
「夏ですねえ」
二人で少し空を見上げる。
星はあまり見えない。
でも、空気はもうすっかり夏の夜だった。
おじいさんはベンチへ座る。
猫たちを見る。
ガブとふわは並んでいる。
街灯の光の下で、影がひとつにつながって見える。
虫の声が続く。
りりり。
りん。
風がまた通る。
今度は少しだけ涼しい。
ふわが体勢を変える。
ガブのすぐ近くへ寄る。
肩が触れる。
ガブは少しだけ耳を動かす。
でも、そのまま。
ふわも目を閉じる。
夜の空気に、少し安心したようだった。
喫茶ひだまりの灯りが消える。
通りが少し暗くなる。
街灯だけの商店街。
昼のにぎやかさが、遠いものみたいに感じられる。
おじいさんはゆっくり立ち上がる。
猫たちを見る。
「おやすみ」
小さな声。
ふわの耳が、また少しだけ動く。
おじいさんは帰っていく。
その足音も、夜にはやさしく響く。
虫の声は、まだ続いていた。
静かな夜。
でも、音が消えたわけではない。
夏の夜には、夏の声がある。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、夜風の中で眠っていただけだ。
その隣で、ふわも同じ音を聞いていた。
商店街の夜は、ゆっくりと深くなっていく。




