すぐそばの場所
朝の光は、いつもより少し早く強くなっていた。
商店街の通りには、はっきりとした影ができている。風はやわらかいが、どこか夏に近い匂いが混ざっている。
時計屋の石段で、ガブは横になっている。
その隣で、ふわも体を伸ばしている。
少しだけ間をあけて、同じ向きで寝ている。
ふわが目を開ける。
ゆっくりと顔を上げる。
通りを見て、それから石段の下を見る。
今日は、まだ誰もいない。
ふわはそのまま、また目を閉じる。
ガブは動かない。
時間が少し進む。
通りに足音が増える。
喫茶ひだまりの前に、おじいさんがやってくる。
いつもの時間。
いつもの歩き方。
ベンチに座る。
帽子を手に持つ。
今日は、少しだけ外を長く見ている。
石段の上の二匹を見る。
その距離、その形。
何度も見てきた光景。
でも、今日は少し違う。
おじいさんは立ち上がる。
すぐに店に入らない。
猫たちの方へ歩く。
ゆっくり。
近づきすぎないように、いつものところで止まる。
……止まるはずだった。
でも、今日はもう一歩だけ進む。
ほんの一歩。
それだけ。
距離が少し縮まる。
しゃがむ。
膝に手を置く。
猫たちとの距離は、これまでより近い。
手を伸ばせば届くかもしれない。
でも、伸ばさない。
何もしない。
ただ、そこにいる。
ふわが目を開ける。
おじいさんを見る。
少しだけ目を細める。
逃げない。
そのまま。
ガブも目を開ける。
一瞬だけ見る。
それから、また目を閉じる。
耳が、ほんの少しだけ動く。
それだけ。
拒まない。
おじいさんは動かない。
声も出さない。
風が通る。
三つの存在のあいだを、やわらかく抜けていく。
時間がゆっくり流れる。
通りでは、八百屋のおばさんがそれに気づく。
「あら」
小さな声。
魚屋の大将も見る。
「近いな」
それだけ。
子どもたちも通りかかる。
気づく。
でも、立ち止まらない。
今日は少しだけ違うと、なんとなくわかる。
静かに通り過ぎる。
おじいさんはそのまま、しばらくしゃがんでいる。
何もしない時間。
それが、少し長い。
やがて、ふわがゆっくり体の向きを変える。
ほんの少しだけ、おじいさんの方へ。
完全に近づくわけではない。
でも、背中を向けない。
そのまま、また目を閉じる。
ガブも動かない。
三つの呼吸が、同じ場所にある。
それだけ。
やがて、おじいさんはゆっくり立ち上がる。
膝に手をついて、静かに。
「……またな」
小さく言う。
それから、喫茶ひだまりへ向かう。
からん。
扉の音。
店の中に入る。
いつもの席に座る。
コーヒーを受け取る。
窓の外を見る。
石段の上の二匹。
さっきと同じように見える。
でも、少しだけ違う。
距離は元に戻っている。
けれど、空気は変わっている。
午後になると、日差しは強くなる。
二匹は影の方へ移動する。
いつも通り。
何も変わらないように見える。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、少しだけ近くに来た人がいた。
それだけで、距離はまたひとつ、やわらかく縮まった。
言葉はない。
でも、その一歩は、ちゃんと残っている。
商店街は、それを静かに受け取っている。




