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ヴィオレッタがティーポットを両手に持つと、まるでそれを待っていたかのように、ふわりとティーカップが二つとも浮く。
ウォルター様を見てみると、上の空で髭を撫でている。
「ありがとうございます」
「......ああ、いや。これくらいは」
エスコートのために手が差し出され、ヴィオレッタはテーブルへの導きに従った。
両手の塞がったヴィオレッタに無理に手を取らせようとはせず、ポットに添えたヴィオレッタの腕の肘あたりに、優しくウォルターの手が添えられる。
ただ残念ながら、導かれる先の椅子は本でふさがっている。
と、歩きすがらに、トン、とウォルターが一度杖を突くと、座面に置いてあった本は全て空中高くへ上がって静止した。
ウォルターは空いた椅子の背もたれを片手で引いた。
「少しお待ちになって」
中の茶葉を揺らさないよう、コトリ、と両手のティーポットを机に置く。それに合わせるように、音もなくソーサーとティーカップが連なって机上に着いた。
エスコートをこれ以上中断するのも悪いと思って、ヴィオレッタも拙いながらに風の魔法を使い、自分の手荷物を吹き寄せる。
「どうもありがとう」
きちんと腰を据えるまで手を貸すウォルターに礼を言う。
「当たり前のことです。......よろしいかな?」
ちゃんと確認を取ってから、椅子を押される。
それがなかなか、当たり前ではないのですよ。
第二王子であられるレイモンド殿下だって、最近はあまりエスコートしてくださらなくなってしまって。今日だって結局、していただけなかった。
昔は覚えたてのお作法を一生懸命なされて、とても可愛らしかったのだけれど。
反抗期かしらねえ、やっぱり...。
年頃になると、男の子の孫は祖父母なんてお年玉のとき以外どうでもよくなるって、ゲートボール倶楽部でもよく聞いていたものねえ......。
ちなみに、レイモンド・ロジェ・ラコンテ第二王子はヴィオレッタの孫ではない。
ヴィオレッタは、解いた風呂敷包み──スカーフから、紙を一枚取り出して机に滑らせる。
ウォルターも席に着き、杖をテーブルに立て掛け終えたところで、二人は真正面から向き合った。
じっ、とお互いの目を見つめ合う。
長引く沈黙に、お互いに間を埋め合うように微笑み合う。
今回ははっきりと、その微笑みに隠し切れない苦笑が滲んでいることが、ヴィオレッタに見て取れた。眉間に皺の寄った、ほんの少しの困り眉。
あら......これでは本当に、何もご存知でいらっしゃらないようねえ。
ちら、と机上の紙──結婚証明書に目を落としてまたヴィオレッタを見たウォルターに、ヴィオレッタは笑んで手に取るよう促した。目礼して、ウォルターは目を通しだす。
「実を言いますと、わたくしも、この婚姻が締結された場面には居合わせていなくって。数時間前に初めてお話を耳にしたくらいですから、お教えできることはあまりありませんわねえ...お力になれず申し訳ありません」
はたと見上げたスティールグリーンと、ヴィオレッタの目が合う。窓から差し込む光で、今は緑色が強くなっている。
「おお...それは...謝られることなど何もありませんぞ。驚かれましたでしょう」
「うふふ。ええ、お互いにそうでしたわねえ」
「まったくです」
調理台の砂時計を確認したヴィオレッタは、茶葉が開いたポットの中をティースプーンでひと混ぜする。
次に、茶漉し──ティーストレーナー──まあ茶漉しね。茶漉しを片手に持ち、ティーポットからお茶をカップへ注ぐ。
この国南部のお茶特有の、花のような芳醇な香りが湧き立つ。それと同時に、清涼感のある香り、柑橘系のやや苦味ある香り。
ウォルター様の趣味だとしたら、大人なお好みなのねえ。
「...良い香りだ」
「茶葉がよろしいのね」
紙から目を上げたウォルター様は、自分の茶葉だというのに驚いたようなご様子。普段はどのように飲まれていらっしゃるのかしら。
紅茶缶と揃えて置いてあるマグカップを見ると、予想もつくというものだけれど。あれはあれで悪いわけではないわ。楽よねえ、ティーバッグ。
高い位置からお茶を注ぐと、ウォルター様は紙をきちんと置いて背筋を伸ばした。
あら良いお行儀。つまらない淹れ方ですけれど。ウォルター様の茶葉なのだから、粗茶ではないわねえ。
「はい。どうぞ」
「......おお。美味い」
「ふふふ...ええ。美味しいお茶ですね」
また驚かれていらっしゃる。
続いて、残りの二枚の紙もウォルターに差し出した。
「こちらは、婚姻証明書と一緒に受け取ったものです」
「では、拝見させていただく」
ゆっくりと、ウォルターは三枚の書類をテーブルに置いた。婚約破棄の証書、メイユール家からの絶縁状、婚姻証明書の順で、丁寧に重ねていく。
そして、紅茶を一口飲む。
カチ、とカップを置いて、ウォルターは改めてヴィオレッタと向き合った。
「この書類は本日付けとなっておりますが...この婚姻を推し進める必要のあるような、何か、急を要する事情を存じておられますかな? 私は政治には明るくないが...」
ヴィオレッタもカップを置く。
「...いいえ。そのようなお話は伺っておりませんわ」
「なるほど。そして、これは...王家の紋」
「ええ」
「しかし、私の名前が書かれていない」
「ええ。面白い書類ですことねえ。そのご様子では、印を押した覚えもございませんのでしょう?」
「さようですな。いや、年のせいでしたらお恥ずかしい」
そこで二人とも再度カップを上げて、それぞれの考えのための時間を取った。
「......勅命ですかな?」
「勅命でしょうねえ」
たとえどのようなお考えでいらっしゃろうとも。
王家の名前と、紋と、お言葉は揃ってしまっている。
二人そろって、カップを上げた。
婚約破棄に、メイユール家からの絶縁、そして次の縁組。
ここまでの手筈が一日で済んだのだから、ヴィオレッタは聞き及んでいなくても、すでに平民の男性との婚姻の支度は、とうに整えられていたものだと考えていた。
解消するのではなくて、わざわざ事を荒立てるような婚約の破棄を選んだのも、すべての手筈が調っていたからこそ、速い方を選んだのだと。
大々的に破棄を宣言しなければならないような失態を犯していたとしたら、さすがにわたくしも自覚していたでしょうから。王家の婚約者の身でそのような醜聞を起こしては、何よりもまわりが黙っていなかったはず。
絶縁に関しても同じように、平民との婚姻が前提になされたものだと思った。
貴族間の政略を考えれば、メイユール公爵家の娘の地位を剥奪してしまうのは、もったいない気もするけれど。
何らかの理由で平民の妻に宛がうとなれば、ヴィオレッタの身分はあまり関係ない。平民を貴族に引き上げるための婚姻ならばともかくも、求められているのは平民の妻としての立ち位置なのだから。
こういう言い方では自惚れに聞こえるかもしれないが、それでもヴィオレッタは最上の教育を受けてきたのだ。
作法はもちろん、歴史、語学、文化的教養も。王位継承者の婚約者ではないことから、主に外交や国内の社交に焦点を当てて。
あるいはだからこそ、自分の身分以外に、能力で求められることもあるだろうという考えは自然に浮かんだ。相手が特級平民となれば、なおのこと。
だけれど、お相手が何も知らなかったとなると...。
何らかの理由も何も、わたくしを迎え入れる理由がないとなるとねえ。
これでも王家、公爵家ともに一流の教育を施され、第二王子の婚約者として社交界を渡ってきた自覚はあるけれども、この状況に合致する政治的状況が一切わからない。
おかしいわねえ。そもそものお話が成り立たないのではないかしら?
ヴィオレッタは首を傾げて紅茶を飲んだ。
ヴィオレッタと目の前のウォルターは、おそらく同じことを考えている。
勅命だというのに、国への利が見えないのだ。
ヴィオレッタ個人の能力が求められていないとして、結婚の最大の切り札である身分も同様に使えない。メイユール家との繋がりも絶ってしまっている。
はっきり言ってメリットがない。これならまだ、王宮で単に侍女として働く方が国のためになる。
ウォルターの方も、若い身頃ならまだ自分の強大な魔力を後世に伝えるようせっつかれてはいたが、なにせこの年だ。政略結婚しようにも、ヴィオレッタは身分を失った後。
まったく意味がない。それどころか、自分の学園の生徒、しかも元王族の婚約者との婚姻となれば、いたずらに醜聞を振り撒くだけだ。かといって、その醜聞で揺らぐ地位かといえばそうでもなし。
つまり、本当に、意味がない。
二人とも取り繕ってはいる。
でも正直、ヴィオレッタもウォルターもお手上げだった。




