残ったんじゃない
「この縁は、最初からここにあったものですか」
ミラ・フェルナーは勲章を挟んだ細い器具から目を離さずに訊いた。
「軍の受領時には、表面に傷は報告されていません」
「表面のことは訊いてない。中の層の縁」
タキウスが口を閉じると、ミラは満足げに頷いた。魔道具工房で使う検査台を王都遺品整理局へ運ばせたのは、エレナだった。品物の持出しを避けるためである。
先にノエルが、二枚の薄紙を窓辺へ並べた。亡兵の手袋と襟留めについて、局で保存した初回読取記録の写しだ。第三枚目は勲章のもの。比較順を固定するため、裏にそれぞれ封緘番号がある。
「同じ声、では駄目なんでしょう」
「駄目です」
ノエルは即答した。
「声が似ている人もいますし、同じ人だとしても、その人がいつ、どの物に残した断片なのかは別です」
「朝から厳しいな」
「昨日、間違った結論を一枚書いたのは誰ですか」
「まだ提出していない」
「だから厳しくしています」
エレナは会話を遮らず、勲章の封印解除時刻を記入した。
まず確かめるべきは、勲章の来歴だった。勲章の鋳造は兵の死亡後である。軍から届いた地金納入控えだけでは、旧い金属を混ぜた可能性を完全には消せない。ミラは表面を削らず、内部の構造と混在物を調べた。
「これ、後から溶かし直した品ではないね」
ミラは記録板に細い線を引いた。
「同じ鋳造工程の中で固まってる。再利用材があれば必ず見つかるとは言わない。でも、軍の材料控えと重ねれば、古い遺物が芯として入っている筋はかなり薄い」
タキウスは受領目録を添えた。鋳造所の出庫日、軍の授与品管理番号、箱詰めした係、局の受入日。誰がいつ触れたか、少なくとも記録された経路は追える。
「触れた人の残響が後から付いたのでは?」
エレナが尋ねた。反対意見を先に出しておく役は、彼女自身が引き受けている。
「それなら、勲章を触った人の感覚が残るはずです」
ノエルは記録を広げた。
「この勲章の断片には、左掌に食い込む力が先にあり、次に襟元で息が詰まる感覚が続いています。勲章を握ったときの圧力とは方向が違う。しかも途中で、感覚が途切れず別の箇所に移っている」
ミラが顔を上げた。
「普通の残響なら、重なってても層は重なるままだ。ここは削って、向きを合わせたみたいに揃ってる」
「その説明で、人工的だと言える?」
「何かが手を入れているのは確か。でも、何のためかまでは知らない」
台の下で、ミラが工具箱の留め金を二度鳴らした。細い音を聞くたび、タキウスは最初の残響の声を思い出しそうになった。けれど今は、聞こえた声を思い直しても検査結果は増えない。彼は軍の回収担当者が別々に記した番号を指で追った。
勲章の内層には、薄い境目が二か所見つかった。端の厚みが均一ではなく、切り落とした面同士を滑らかにつないだ形をしている。正規の補綴にも似た処置はある。それだけで不正とは言えなかった。
ノエルは、先月学院で見せた補綴教材の写しを取り出した。古い物を読めるように整えた標本で、施術履歴と原記録が付いている。
「正規の補綴でも境界を整えます。ただし、この教材は元の層を示したまま補っています。勲章のほうは、始点と終点の組合せを変えて、別々の断片を一つの動作に見せています」
タキウスは二枚の初回記録を見直した。手袋の記録には、左掌の圧迫と腕を引かれる感覚。襟留めには、口を開く前に首を締める布の抵抗と「先に行け」の言葉が記されている。
勲章では、この二つが滑らかにつながっていた。重みから声へと移る瞬間に、本来の紙では存在しない連続性が作られている。
「でも、二つの品は同じ兵のものです」
タキウスは言った。
「本人が両方を同じ日に身につけていたら、同じ場面の断片が残ってもおかしくはない」
「ええ。だから、断片そのものの出所は断定しません」
ノエルは頷いた。
「ここで見ているのは、断片をつないだ境界です。元の物に自然に残った順序とも、二つの物が隣り合っていたことで生じる重層とも違います」
勲章には、兵士本人と整合する感覚が含まれる。だが、その本人だという説明は状況、来歴、感覚の似かよりを合わせた強い推定でしかない。魔力だけで人物を指す便利な札は存在しない。
検査の途中でミラは器具を止めた。
「これ以上は層が傷む。今日はここまで」
もっと深く読めば、誰が、どういう気持ちで加工したか分かるかもしれない。そう考えたのはタキウスだけではなかった。ノエルの手も検査台へ伸びて、そこで止まった。
エレナは封印を戻した。検査の前後で内層の位置と濃さが変化していないか、保存図と照らして記録する。
「正式鑑定では、どこまで書けますか」
タキウスが尋ねる。
「この勲章には、異なる由来の感覚断片を人為的に接合した痕跡があります。自然な重層だけでは説明できません」
「加工した人は」
「不明です」
「目的も」
「不明です」
答えは短かった。だが、今朝より狭くなった不明があった。
窓の外で、昼の鐘が鳴った。四人とも食事を忘れていた。ミラだけが作業袋から干した果物を取り出し、一つかじってから紙の上へこぼした粉を慌てて払った。エレナは果物そのものではなく、未封緘の資料を避けるように言った。
午後、四人は資料室で報告書を組んだ。夜警の時計、商家の香水瓶、香りの接合境界を示す状態図、名前の欠けた伝声札。別々の事件の紙を机に載せたが、同じ犯人の仕事だと束ねることはしない。
「形は似ています」
ミラが、時計の内部検査の控えを見ながら言った。
「材料まで同じかはまだ分からない」
「瓶は自然な別人への呼びかけを排除できていません」
エレナが続ける。
「伝声札の欠落にも加工疑いはありますが、誰がどの時点で触ったかは不明です」
タキウスは紙を一枚ずつ元の封筒へ戻した。捜査の地図にはならなかった。まだ、地図に書くべき土地さえ知らない。
「勲章だけは違う」
ノエルが、しまいかけた三枚の初回記録を指した。
「この品への接合は、確かに人が行った」
「残っていたものを見つけたんじゃない」
ミラが言った。
「残す形に、誰かが組み替えた」
タキウスは報告書の最初の行へ、いま分かることだけを書いた。
退庁前、母親への回答期限を記した札が机に残っていた。明朝までに説明文を整える必要がある。タキウスは「穏やかな最期を再現した」と書こうとして、やめた。そんな最期だったかどうか、誰も知らない。
報告書には「人為的接合を確認」と書いた。
それでも、窓辺の明るい時間に見た母親の手袋が頭から離れなかった。説明できることは増えた。知らせてよいことが同じだけ増えたわけではなかった。
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次回からは火・木・土曜日の20時10分更新になります。
第一部61話まで執筆済みです。引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。




