STAGE9:擬似3Dの地平線へ、にげだせ大作戦
視界を染めていた真っ白な光が収まると、嵐水は奇妙な浮遊感とともに、見渡す限りの『格子模様』が広がる世界に立っていた。
地平線に向かって果てしなく伸びる、青と白のチェック柄の地面。
空は不自然なほど真っ黒で、遠くの景色がものすごいスピードで手前に向かって飛び出してくる。
「ここは……上の領域か? いや、様子がおかしい。景色が……奥から手前に『拡大』しながら迫ってきているのか!?」
ゴゴゴゴゴ……!
不穏な地鳴りとともに、地平線の彼方から巨大なブロックの壁やトゲトゲの柱が、恐ろしい速度で嵐水に向かって突進してきた。
スクロールしているのではない。嵐水自身が、強制的に前へと走らされているのだ。
「おっと、危ねえ!」
嵐水は反射的に真横へとステップを踏み、迫り来るブロックを紙一重でかわす。
あれに1ドットでもカスれば物理的な死が訪れるのは、今までのステージと同じだろう。油断は禁物だ。
だが、息をつく暇もない。背後からは、世界の崩壊がふたたび漆黒の波となって追いかけてきている。立ち止まれば呑まれ、前を見なければ激突する。文字通りの命がけのランニング。
「なるほど、これがこの階層のルールか……! 後ろはバグの壁、前は障害物の嵐。なら、やることは一つだ。この『にげだせ大作戦』、乗ってやるさ!」
嵐水は覚悟を決め、チェック柄の大地を全力で蹴った。
正面から迫り来るのは、もはやただの障害物ではなかった。バグの自動生成機能が放った、カクカクとした巨大な3Dの敵キャラクターたちだ。
本来なら、ふろっぴぃシステムの性能で奥行きのある立体を表現するのは不可能なはず。しかしこの空間は、キャラクターのサイズを高速で拡大・縮小させることで、無理やり《《飛び出してくるような立体感》》を作り出していた。
「だまされるな! これは本物の立体じゃない、ただの拡大表示のトリックだ! 迫ってくる速度とサイズの変化から、正確な距離を割り出せば……!」
嵐水は脳内で、迫り来る敵のドットの拡大率を逆算する。
次の瞬間、目の前に巨大なトゲ付きの障壁が迫った。左右に逃げ場はない。
「ここだ、跳べッ!!」
嵐水は地面を強く踏みしめ、上方へと大ジャンプを敢行した。
身体がふわりと浮き上がり、放物線を描いて障壁を飛び越える。ふろっぴぃシステムのおかげで、ジャンプの軌道計算だけは辛うじて正常に書き換えられていた。それが唯一の救いだ。
しかし、着地した嵐水の前に、さらなる異常事態が発生する。
「うおっ!? 目が、チカチカする……! 輪郭がズレてやがる!」
突如、迫り来る敵や壁の輪郭が、不自然に『赤』と『青』の二重にブレ始めたのだ。世界の解像度が歪み、距離感が完全に狂わされる。これではジャンプのタイミングが測れない。
「くそっ、立体感を強調するためのアナグリフか! 原始的だが、この速度の中でやられると致命的だ……!」
迫り来る赤と青のノイズ。ぶつかれば、今度こそドットの身体はバラバラに砕け散る。
嵐水は走りながら、先ほど砕け散ったファミリィコボルの残骸から、奇跡的に足元へ転がってきた『あるガラクタ』を拾い上げた。
それは、プラスチックで作られた、左右に赤と青のレンズがハメられただけの安っぽいメガネ。
「これだ……これさえあれば、歪んだ世界が正しく結像する!」
嵐水は走りながら、そのメガネを顔に装着した。
その瞬間、視界のブレがピタリと収まる。赤と青の不快な残像が重なり合い、恐ろしいほどの立体感を持った「本物の恐怖」として、目の前に飛び出してきた。
「見えるぞ……! 私にも敵が見える! これが、にげだせ大作戦の真骨頂か!」
こんな玩具のような眼鏡でも世界が別物に見える。8ビットのカクカクな世界だからこその革命的ガジェットなのだ。
世界が立体に見えるということは、敵との正確な『距離』が掴めるということだ。
嵐水は一歩、また一歩と加速していく。地平線から飛び出す火の玉をスレスレでしゃがんでかわし、奈落のように口を開ける床の穴を、ギリギリのステップで飛び越えていく。
背後のバグの波はすぐそこまで迫っているが、今の嵐水の疾走スピードはそれを完全に上回っていた。
そして、ついにその時が訪れる。
はるか奥の地平線、格子模様の終わりを告げる場所に、虹色に明滅する巨大なゲートが見えた。世界の出口だ。
しかし、そのゲートを遮るようにして、地平線からこれまでの障害物とは比較にならないほどの巨大なボスの影が飛び出してきた。
それは、バグのプログラムが形作った、巨大な怪獣の姿。
画面を埋め尽くさんばかりのサイズに急拡大しながら、口から赤と青の巨大な光線を吐き出そうとしている。
まずい。流石にこの大きさでは、ジャンプでは飛び越せないし、横ステップでもかわしきれない。このまま激突して物理的な死を迎えるのか…?だが!
「ゲートは目の前だ……! どんなに巨大に見えようが、ただのデータの塊に過ぎない! 速度は落とさない、このまま一気に突き抜けるッ!」
怪獣が放った光線が、手前に向かって猛烈な勢いで巨大化しながら迫る。
嵐水は赤青メガネの奥の目を鋭く光らせ、光線が最大化する直前の、わずかなドットの隙間を見切った。
「そこだぁぁぁ!」
嵐水はスライディングの体勢に入り、巨獣の股下、そして光線の死角へと滑り込む。
ズガガガガガッ! と背後で世界が激しく爆発する音が響くが、嵐水の身体はすでに、怪獣の向こう側にある虹色のゲートへと飛び込んでいた。
「逃げきって、みせたぞ……!」
光の中に飛び込んだ瞬間、強制的な前進の重力から解放され、嵐水の身体はふわりと宙に浮いた。
背後を振り返れば、彼が駆け抜けた擬似3Dのグリッド世界が、怪獣もろともバグの闇へと完全に呑み込まれ、消滅していくのが見えた。
嵐水は赤青メガネを外して小さく笑い、ふたたび訪れる新たな光の渦へと、身を委ねるのだった。
擬似3Dの地平線を突破し、行き着いたデータの最果て。
世界のバグを全て粉砕する、元研究者のラスト・デバッグ――
奇跡のカーニバル、ついに終幕へ。




