FINAL STAGE:マインドシンカーの覚醒、そして現実へ
擬似3Dの光を突き抜けた先で、嵐水を出迎えたのは、これまでのバグの海やグリッド世界とは打って変わった不気味なほどの静寂だった。
壁も床もない、ただ一面の灰色に染まった空間。
その中央に、ぽつんと一台の古いブラウン管テレビが置かれていた。画面に映し出されているのは、妙にリアルで、それでいて生気のない人間の顔。
『よくぞここまで到達した』
スピーカーから、ざらついた電子音声が響く。
「…なっ!親父!?」
その顔は嵐水の父、嵐山を模していた。ドット絵でも特徴的な角張った頭蓋骨は健在だ。なんて悪趣味なクソコードだ。
『だが、ここが出口ではない。お前が挑む最後の試練……それは超能力の証明だ。今から画面に伏せられる5枚のカード。その正解を、お前の念力ですべて当ててみせよ』
「……は? 超能力だと?」
嵐水は呆然と呟いた。
画面が切り替わり、星や波のマークが描かれた5枚のカードが裏返しで並べられる。
『さあ、当てろ。連続で正解を引き当て、お前の脳波が一定値を超えた時のみ、現実への扉は開かれる。外せば、即座にゲームオーバーだ』
「ふざけるな!」
嵐水はテレビに向かって怒鳴りつけた。
「そんなもの、ただのランダムな無理ゲーじゃないか! どんなに高度な計算式を組もうが、ただの運で全てが決まるなら、プレイヤーの技術も知恵も、何の意味もない!」
そう、これこそがバグの自動生成機能が仕掛けた、最大にして最後の罠だった。
これまでの階層は、どんなに過酷でもプログラムの法則が存在していた。だからこそ嵐水は、知識とコードでそれをねじ伏せてきた。
しかし、この最終階層には法則がない。ただの無慈悲な確率。人間の知性をあざ笑うための、理不尽な運命の部屋。
『さあ、選べ。選べ。選べ――』
この選べという言葉。親父が死んだ時、萬屋を継ぐか大学院を続けるかで自問し続けた過去を思い出させる。
それを親父の顔で言わせるのだから、本当に悪趣味だ。
画面の顔が、歪んだ笑みを浮かべる。
足元から、またしても黒いバグのノイズが這い上がり、嵐水の膝を浸食し始めた。タイムリミットだ。確率の壁を突破できなければ、ここで永遠に迷い込む。
「くそっ……本当に、運に頼るしかないのか……?」
嵐水は絶望に押しつぶされそうになり、ぐっと拳を握りしめた。
その時、彼の脳裏に、これまでに駆け抜けた狂気のデジタル世界がフラッシュバックした。
ファミリィコボルのキーボード、ふろっぴぃシステムの駆動音、にげだせ大作戦の赤青メガネ。
これらはすべて、何だったのか。なぜ自分は、おもちゃのようなレトロハードの力で、世界の法則を書き換えることができたのか?
「……待てよ。そもそも、なんでファミリィコボルなんだ?」
嵐水はハッと目を見開いた。
彼は令和の流体力学研究者だ。バグの異世界に転生したとしても、脳が認識する世界のイメージは、もっと現代的なコードや最新のPCであるはず。
なぜ、わざわざ自分が生まれる前のレトロゲームの姿をして現れたのか。
答えは、一つしかなかった。
「そうか……! 騙されるところだったぜ、クソ親父め!」
嵐水はテレビの画面を指差し、不敵に笑った。
「ここは『上の階層』なんかじゃない。――たちの悪い『サイコ・イリュージョン』だ!」
『……!?』
ブラウン管の画面が一瞬、激しくブレた。図星だった。
8ビット世界の崩壊も、奈落の底も、この超能力試験も、すべては嵐水の脳にバグが直接送り込んできた精神攻撃。
彼自身のレトロゲームへの偏愛を人質に取り、五感をハッキングして見せていた、壮大な悪夢のゲームだったのだ。
「種が割れれば、ただのハッタリだ。超能力で当てろだと? 笑わせるな。俺の武器は、オカルトなんかじゃない」
嵐水はテレビに向かって堂々と歩みを進め、コントローラーを模した灰色のパネルに手をかけた。
「俺は超能力者じゃない。自らの頭でバグの正体を見破る、思考する者――風見嵐水だッ!」
嵐水は一切躊躇せず、直感のままにボタンを連打した。
カードがめくられる。1枚目、正解。2枚目、正解。3枚目、4枚目、5枚目……すべてが「正解」のファンファーレを鳴り響かせる。
確率の超越ではない。バグの幻覚だと見破った瞬間、この世界の正解のデータの配置が、嵐水の脳内に透けて見えたのだ。幻覚の主導権は、すでに嵐水の思考へと移っていた。
『バ、バカナ……確率を……運命を支配したとイうのカ……!』
テレビの音声が、悲鳴のようなノイズへと変わる。
「支配したんじゃない。俺のリアルに還る意志が、お前の見せる幻を上書きしたんだ。――ゲームオーバーだクソゲー、いやクソ親父!」
『マ、待テ、嵐水!お前は、俺ノ!――ウボァー』
嵐水が最後の決定ボタンを強く押し込むと、ブラウン管テレビが内側から大爆発を起こした。
まばゆい光が灰色の空間を完全に消し去り、嵐水の意識は、心地よい重力とともに猛スピードで『上空』へと引き上げられていく。
ドット絵の身体が、滑らかな人間の皮膚へと再構成されていく感覚があった。
「あ……」
次に目を覚ました時、嵐水は、見慣れた萬屋のデスクに突っ伏していた。
窓の外からは、夕方の街の雑踏が聞こえる。
画面を見れば、開発中だったシステムのデバッグ画面が映っており、そこには『エラー修正完了:システムは正常に動作しています』の文字が静かに点滅していた。
「……夢、だったのか?」
嵐水は自分の両手を見つめた。ドットのノイズは、どこにもない。
だが、キーボードに触れた指先には、あの『ファミリィコボル』の、カチカチとしたプラスチックの硬質な感触が、今もかすかに残っていた。
嵐水は自嘲気味に小さく笑うと、すっかりぬるくなったコーヒーカップを手に取り、ふたたびキーボードへと指を走らせた。
――たとえこの先、どんな不条理なバグが俺や幼馴染の陽菜を襲おうとも。人間の思考がある限り、何度でもデバッグして這い上がってみせる。その確かな自信を、胸に秘めながら。
これは、のちに世界を揺るがす大騒動を巻き起こすことになる幼馴染・陽菜と、彼女のせいで世界のバグに挑むはめになる俺の――そのほんのプロローグにあたる、ちょっと意地悪なバグの話。
――だったらしい。
理不尽な仕様を論理でねじ伏せた、デバッグ戦記。
世界のバグをハックする、風見嵐水の不条理無理ゲー攻略――
奇跡のカーニバル、ここに――終幕。
(完)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
前作の完結から地続きで始めてしまったこのスピンオフですが、全10話の短いお祭りを、無事に最後まで駆け抜けることができました。
本編の裏側で、嵐水が一体どれほど不条理な戦いに身を投じていたのか。それを彼らしい「理屈と屁理屈」の16連打で描き切ることが目標でした。
空気抵抗のない放物線、メモリの限界、そして理不尽極まりない当たり判定……。
執筆にあたっては、子供の頃に理不尽な無理ゲーを前にして「こんなのクリアできるか!」とコントローラーを投げ出した、あの懐かしい悔しさを何度も思い出していました。
大人の知恵を使って、あの頃の無理ゲーたちを文字通り「ぶっ壊す」爽快感を、少しでも読者の皆様と共有できたなら幸いです。
前作から引き続き付き合ってくださった方も、このバグだらけの世界から新しく足を踏み入れてくださった方も、嵐水のデバッグ戦記を最後まで見届けていただき、感謝の言葉もありません。
これにて、風見嵐水のデバッグ業務は終了となります。
画面の向こうの騒がしいお祭りは、ここに美しく終幕です。
またいつか、新しい物語の幕が上がるときにお会いしましょう。
本当に、ありがとうございました。
結島真季




