STAGE6:放物線軌道の呪縛と、エントロピーの逆転
「……おい、この世界は『アイスクレーマー』か!?」
嵐水は、手にした巨大なハンマーのドット絵を睨みつけ、本日何度目か分からないクレームを脳内で怒鳴り散らした。
足元の床は、一面が淡い水色の氷ブロック。
一歩動こうとするだけで、摩擦係数が極限まで削除された床の上を、身体がズザザザッと不自然に滑っていく。
「静止摩擦係数も動摩擦係数もほぼゼロ! 慣性を相殺するための制動が全く利かない! だが、本当の地獄はそこじゃない……」
上空から、カクカクとしたピンク色の『怪鳥(NPC)』が、不気味な直線軌道で急降下してくる。
このままでは滑って止まれず、敵か壁に突っ込む事になるが、嵐水は咄嗟に氷を蹴って上方へと退避した。
ガッ。
跳躍した瞬間、嵐水は身体を襲う絶望的な不自由さに身を硬くした。
空中に入った瞬間、左右への方向転換が、1ドットたりとも受け付けられなくなったのだ。
「空中での軌道制御が、一切利かないだと……!? どんな弾道学だ!」
20世紀のゲームにありがちな、一度ジャンプしたら着地するまで完全な固定放物線を描くという、一度飛んだら祈るしかない悪魔の仕様。
現代のアクションゲームのように空中でブレーキをかけるなどという高等な物理計算は、この世界には存在しない。
「ジャンプの踏み切り速度と角度だけで、未来の着地座標が完全に確定される……! 計算を一つでも誤れば、自ら敵の懐や、下の階層の奈落へ飛び込むことになる!…いやこれはむしろリアルなのか?」
迫り来る怪鳥に対し、嵐水は空中でハンマーを大きく振り回した。
ブンッ! と雑な風切り音とともに、ハンマーの攻撃当たり判定が、急降下してきた怪鳥のドットに接触する。
鳥はギャオと電子音を立てて画面外へと弾け飛んだ。
「ふぅ……。まずは上の階層の床を破壊し、最上階を目指す!」
嵐水は着地と同時に、頭上のレンガの床へ向けてハンマーを突き上げた。
ガガァン! という音とともに、頭上の床がパッと消滅し、上の階層へ登るための『1マス分の隙間』が生まれる。
「よし、これで上に――」
移動しようとした嵐水の目が、驚愕に引きつった。
開けたばかりの穴の向こう。上の階層から、小さな、しかし妙にリアルな足音を響かせて、1匹の『アザラシ(NPC)』がトコトコと走ってきたのだ。
アザラシは、嵐水が開けた床の隙間に到達すると、懐から小さな氷の塊を取り出し、事も無げに穴へとハメ込んだ。
パッ、と床が元通りに修復される。
「おい、待てッ!! 破壊した物質が、なぜ氷を入れただけで再構築されるんだ! エントロピーの増大則を逆行させるな!!」
嵐水がどれだけハンマーで穴を開けても、上層にいるアザラシどもが、信じられないルーチンワークで片端から床を『修理』して回る。
登るためには、アザラシの移動周期を計算し、奴らが穴を塞ぎに来る前に、あの『空中制御不能の放物線ジャンプ』を完璧な座標で叩き込むしかない。
「滑る氷の床での加速距離、跳躍の初期ベクトル、そしてアザラシの歩行速度……すべてを同調させる!」
嵐水の脳細胞が、極寒の空間で熱を帯びる。
ズザザッと氷の上を滑りながら、完璧なタイミングで踏み切った。
「そこだァッ!」
アザラシが穴に到達するわずか数フレーム前、嵐水の身体は放物線を描いて、ギリギリの隙間をすり抜けて上の階層へと滑り込んだ。
そのままの勢いで、ステージの最上階へと一気に駆け上がる。そこは、氷山の文字通りの『頂上』だった。
上空を、一羽の『巨大なコンドル』が、左右にのんびりと往復飛行している。
「あのコンドルの足を掴めば、このステージは完全クリアのはず……!」
嵐水は、最後の力を振り絞って氷の床を蹴った。
空中制御の利かない、決死のラストクライム。
彼の伸ばしたドットの手が、ゆっくりと往復するコンドルの足の座標へと、吸い込まれるように接触した。
ピロリロリン、ピロリロリン……!
世界を祝福する、最大級のファンファーレ。嵐水の身体がコンドルにぶら下がったまま、画面の上方へと強制スクロールで消えていく。
「……終わった……。今度こそ、ソースコードの外へ戻れるのか……!」
一瞬の静寂。
しかし、相変わらずの強制万歳三唱ポーズの中で、白濁していく視界の先に待っていたのは、見慣れた萬屋の天井ではなかった。
耳を劈くのは、およそ現代の音響工学では再現不可能な、低ビットでザラついた不気味な和風の電子音。
デン、デン、デデデデデーン、デンデデ、デデデン、デデデデデーン
漆黒の闇の奥から、おどろおどろしい緑色のノイズとともに、禍々しいタイトルロゴが形成されていく。
『GEGEGEの毛太郎』
「……おい、嘘だろ。まだ続くのか。今度はオカルトの世界だと!?」
嵐水の絶望のデバッグ戦は、終わりを告げることなく次の階層へと引きずり込まれていった。
おどろおどろしい和風の電子音。闇から迫る、異形の妖怪NPCども。
オカルト現象すらも数式で解き明かす、理系全開の怪奇ハック――
奇跡のカーニバル、開幕だ。




