STAGE5:変わらない吸引力と、軌道計算の幾何学
「左右に……しか、動けない……だと!?」
嵐水は戦慄した。
彼が今乗り込んでいるのは、白い一対の翼を持つ、いかにもカクカクとしたドット絵の『宇宙戦闘機』。
だが、コンソールを引きちぎらんばかりに前後に入力しても、機体が進む方向は完全に画面の『左』と『右』の1次元のみ。
上昇も下降も一切許されず、見えないレールに強制拘束されたかのように、ただ横方向へのスクロールを繰り返すことしかできなかった。
「自由飛行の概念が根本から消去されている……! 3次元の広大な宇宙空間を、この世界のシステムはすべて『単一の並進コード』に簡略化していやがる!」
コックピットのキャノピー越しに見上げる宇宙は、底知れない漆黒の闇。
そこへ、不気味に左右に揺れながら整然と隊列を組む、カクカクした『緑色の昆虫型エイリアン(NPC)』の群れが、圧倒的なプレッシャーで嵐水を見下ろしていた。
ピピピピピピ……!
鼓膜を刺す狂った電子音とともに、信じられない数のエイリアンが一斉に隊列を離れ、牙を剥いて急降下してきた。
1匹や2匹ではない。十数匹の敵が画面中を複雑な放物線軌道で飛び回り、交差しながら、嵐水の座標へ向けて容赦なく光線弾をバラ撒いてくる。
「くそっ、完全な多勢に無勢じゃねえか……!」
敵の移動速度は処理落ちを無視して跳ね上がり、弾の当たり判定も見た目のドット絵より一回り大きく設定されている。
左右にしか動けない嵐水にとって、この画面を埋め尽くす数の暴力は、文字通りの無理ゲーだった。かすり傷一つが、ドットの身体の完全消滅を意味する極限状態。
「だが、敵の動きがサイン・コサインの三角関数で制御されているなら、どれだけ数が多かろうがすべての弾道は計算できる……!」
嵐水は機体のコンソールを叩き、瞬時に空間の座標をスキャンした。交差する弾幕の、わずか数ドットの隙間。コンマ数秒の判断ミスが死に直結する。
「左へ2マス、直後に右へ 1マス反転――」
嵐水は、飛来する光弾を数ドットの隙間で鮮やかにすり抜けながら、不敵に笑った。
「フ、あんなもの、当たらなければどうということはない!」
すれ違いざまにミサイルのコードを放ち、包囲網を突破する。
ピチュイン!
狙い通り、完璧な先読み軌道によって、先頭のエイリアンが木っ端微塵に弾け飛んだ。だが、多勢に無勢の状況は変わらない。
直後、不気味なファンファーレとともに、隊列の最上段に君臨する巨大なボスのエイリアンが、猛烈な勢いで降下してきた。
ボスが放ったのは、渦巻くように広がるオレンジ色の光線――自機を強制的に拘束し、強奪していく恐怖の吸引ビームだ。
「しまっ……! くそ、回避が間に合わない……ッ!?」
レール上を全力でスライドさせたが、数の暴力に気を取られ、機体の端が光線に掠れた。
その瞬間、凄まじい重力が機体を捉え、ボスの懐へとじわじじわと吸い上げられ始める。
ガガガガガガガッ!!!
「がはっ……! 精神のデータが……分解される……!」
コックピット内に赤いアラートが鳴り響き、嵐水自身のドット絵の身体が、機体ごとノイズへと還元されかける。このままボスに完全強奪されれば、二度と現実の肉体には戻れない。正真正銘のゲームオーバー。
「……いや、まだだ! このゲームの仕様なら、すべて頭に入っている!」
吸引ビームに捕まった自機は、敵の捕虜となり、上空で待機させられる。しかし、次に送り出す『2機目の自機』でそのボスを撃破すれば、捕虜になっていた1機目が解放され、横に並んで合体する。
そう、攻撃力が2倍になる――『デュエルファイター』!
「脳が焼き切れる前に……次の残機へ、俺の意識データを……転送させるッ!!」
嵐水は薄れゆく意識のなかで、自身の精神コードを無理やり引き剥がし、まだ見ぬ『2機目の残機』へと高速でリダイレクトした。
視界が激しく暗転する。
次の瞬間、嵐水は、画面下のレールに新たにビルドされた『2機目』の真っ白な戦闘機のコックピットで、静かに目を見開いた。
前方を見据えれば、先ほどまで自分が乗っていた1機目の戦闘機が、赤く変色した『敵の捕虜』としてボスの背後に従えられている。コックピットに表示される残機は『00』。もう後はない。
「さあ、お前の飛行パターンは完全にインプットしたぞ、クソボスめ!」
前方から、強奪した1機目を引き連れて、ボスが再び接近してくる。
捕まった1機目は、別に破壊してしまってもゲームオーバーになるような罰則はない。だが、貴重な戦力であり、自分の手で誤射して塵にするなど、萬屋のプライドとしても、コストの面でもあまりにも勿体なすぎる。
狙うは、ボス単体のドット絵のみ!
嵐水は冷酷なまでに正確にレバーを弾き、ボスの軌道が自機の正面に重なる、1フレームの狂いもない瞬間をじっと待った。照準器のドットが、ボスのコアへ重なっていく。
「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……」
呪文のように呟き、呼吸を止める。
重なった。ここだッ!
「落ちろぉぉぉッ!!」
ピチュイン!
放たれたドットの弾が、1機目の翼を紙一重ですり抜け、ボスの脳髄へとクリティカルヒットした。
ドバァッ! と緑色のボスが激しく爆発四散する。
その瞬間、操縦権を失った1機目が、ゆっくりと画面下へと落下してきた。嵐水は2機目のレールを死に物狂いでスライドさせ、落下してくる1機目の座標へピタリと機体を滑り込ませた。
カチャアァンッ!
小気味いい合体音とともに、2つの白い翼が左右に連結する。画面に輝くのは、圧倒的な火力を誇る、2機合体形態――『デュエルファイター』の姿だ!
「ハハハ……すごいぞ!合体したことで、5倍以上のエネルギーゲインがある!」
機体出力の爆発的な跳ね上がりを告げるインジケーターを睨みながら、嵐水は不敵に笑った。
「さあ……ここからは俺のターンだ。さっきの数の暴力、きっちり利子をつけて返してやるよ!!」
嵐水が発射トリガーを猛烈に連打する。
ピチュピチュピチュピチュイン!!!
左右の砲口から同時に放たれる2連装の光線弾が、圧倒的な『弾幕』となって前方へ射出された。1次元の移動制限など、この倍加した攻撃力の前にはもはや何の障害にもならない。
圧倒的な面制圧の弾幕が、漆黒の宇宙を白く染め上げる。
急降下してきていたエイリアンどもが、嵐水の放った弾の嵐に正面から激突し、断末魔の電子音を上げる間もなく、次々と、跡形もなく木っ端微塵に吹き飛んでいく。
ズガガガガガガガバァァァンッ!!!
さっきまであれほど嵐水を絶望させた多勢に無勢のパワーバランスが、完全に逆転していた。嵐水がレバーを左右に軽く流すだけで、並列ツインコードの暴力が画面上のすべてを消し飛ばしていく。
「倍返しだぁーーッ!! 2連装ミサイルの威力を思い知れッ!」
嵐水が咆哮する。
「俺の弾幕は避けることすら許さん! 逃げ惑うエイリアンどもめ、すべてドットの塵と化せッ!」
レバーを弾き、圧倒的な無双感に酔いしれる嵐水。
残った敵の隊列ごと、宇宙の闇を綺麗にデバッグするように、嵐水はステージ上のすべての敵を瞬く間に殲滅した。
ピロリロロリーン!
最後の敵が塵になったことを告げる、あまりにも清々しいクリアファンファーレ。
「よし、終わったか……。またあのいつもの『万歳三唱』で身体をシェイクされる時間が――」
前回までのステージと同様に、不条理なシステムによって両手を強制的に挙げさせられる覚悟をした嵐水。しかし、今回のバグ世界は違った。
クリアのフラグが立った瞬間、合体した宇宙戦闘機は、動きを止めるどころか、突如として漆黒の奈落へ向かって凄まじい速度でキリモミ飛行を開始したのだ。
「う、おぉぉぉぉっ!? 万歳じゃないのかよ!!」
おもちゃのようなカクカクした機体であるにもかかわらず、コックピット内の嵐水には、三半規管を激烈に破壊するほどの回転Gが襲いかかる。視界がグワングワンと超高速で回転し、天地が秒間で数十回も逆転を繰り返す。
「うっ、くそ……気持ち悪ぃ……! なんだこの、クリア演出の暴力は……!」
胃の底からせり上がってくる強烈な悪心と目まいに耐えかねて、嵐水がコックピットの床に吐瀉しそうになったその瞬間、戦闘機のキャビンが『ピー』という激しいノイズとともに形を崩し始めた。
――黒い宇宙が、消える。
――スピンの重力が、消える。
次に現れたのは、淡い水色と、不気味なレンガで構築された、そびえ立つ『氷の塔』。
激しい乗り物酔いの残像で頭をクラクラさせながら、嵐水が自分の姿を見下ろす。合体戦闘機のパイロットスーツは消え、代わりに両手に握られていたのは、一本の重々しい『巨大なハンマー』だった。
塔の上の階層を見上げた嵐水は、絶句した。
そこには、小さな『アザラシ』のドット絵が、床の隙間を信じられない速度でトコトコと走って修理して回る姿があった。
「おい……次は『アイスクレーマー』か!? 冗談だろ、あのジャンプの軌道修正が一切利かない、不条理の極みのようなアクションを、このカクカクの体でやれと言うのか……!?」
上空から、怪鳥のNPCが殺意を込めて急降下してくる。
嵐水は、吐き気を強引に飲み込みながら、手にしたハンマーを強く握り直さざるを得なかった。
頭上を阻む、ツルツルの氷床と高速アザラシ。
一寸の狂いも許されぬ垂直跳躍。ハンマー一本で挑む、最難関の弾道学ハック――
奇跡のカーニバル、開幕だ。




