STAGE4:空気抵抗の喪失と、巨大魚の座標感知
パタパタパタ、と。
自分の意思と同調するように、嵐水のずんぐりした両腕が高速で上下に羽ばたき始めた。
「自身の意思による羽ばたきが、強制的な揚力の発生へと直結しているのか……!?」
背中に括り付けられた2色の風船が、腕の運動に連動して『ピコピコピコ』と軽快な電子音を奏でる。
浮力が発生した身体は、じわじわと高度を上げていく。
しかし、嵐水が羽ばたきを止めた瞬間、今度は凄まじい慣性が身体を支配した。
重力加速度に引かれて素直に落下するのではない。まるで『粘り気のあるハチミツのプール』に浮いているかのように、横移動の慣性がいつまでも残るのだ。
「流体力学を完全に舐めている……! 空気の粘性抵抗がゼロのくせに、慣性モーメントの減衰計算だけが異常にサボられているぞ! 狙った座標でピタリと止まることが不可能ではないか!」
星空の空間をフワフワと漂う嵐水の前に、上空の足場から『一本の剥き出しの導線』が突き出していた。
そこからパチパチと規則的に放たれるのは、カクカクとした十字型の雷だ。
「接触すれば即座に風船が割れるフラグだな。さらに……」
正面を見据えた嵐水のドット絵の目が鋭く細まる。
向こうから、やはり背中に風船をつけた『鳥のマスクを被った敵(NPC)』が、不規則な軌道で羽ばたきながら迫ってきていた。
「この世界のルールは単純だ。相手より高い高度から、敵の風船を踏み潰せばオブジェクトはパージされる」
だが、この狂った慣性の世界で、相手の頭上を正確に取るのは至難の業だった。
一度腕を羽ばたかせすぎれば、慣性で一気に上昇しすぎて天井のスパークに突っ込む。逆に羽ばたきをケチれば、制御不能のまま落下する。
「タカタカタカ……!」
NPCが、独自の不規則なアルゴリズムで上昇してきた。嵐水の風船の下側を狙っている。
「下から差し込まれるか……! いや、待て。空気抵抗がないということは、位置エネルギーと運動エネルギーの変換効率が完璧にリニアだということだ。羽ばたきの頻度に対する上昇モーメントの固定値を逆算すれば、この不条理な慣性は制御できる!」
嵐水は、自身のドットの肉体に命じ、完璧に等間隔の時間で腕を羽ばたかせた。正確なピッチの運動が、空間の不自然な慣性のブレを相殺していく。
「そこだ!」
敵が真下に潜り込んできた瞬間、嵐水はあえて羽ばたきを2フレーム分の時間だけピタリと止めた。
自由落下による鋭い位置エネルギーの沈み込み。
パァンッ!
小気味いい破裂音とともに、敵の風船が見事に弾け飛んだ。風船を失った鳥マスクは、パラシュートを開きながら無様に奈落へと落ちていく。
「よし、演算通り――」
言いかけた嵐水の背筋に、冷たい戦慄が走った。
敵が落ちていった先。はるか下方にある、濃い青色の一帯。
――沼だ。
バシャァァン! と、これまた解像度の低い『白い水しぶき(ドット)』が上がった刹那、水面から、嵐水の体積を遥かに凌駕する『緑色の巨大魚』が、パカッと大きな口を開けて跳ね上がってきた。
「なっ……!?」
巨大魚は、落下してきた敵のNPCを、空中で一呑みにして再び沼へと消えた。
そのあまりに理不尽な感知射程に、嵐水は戦慄した。
「流速や水深、魚の跳躍に必要な筋肉の運動エネルギーが完全に無視されている……! あの魚、水面から一定の座標にオブジェクトが侵入した瞬間、確定で『強制死亡イベント』を発生させるトリガーコードが組まれているぞ!」
一度沼に近づけば、どんな防御力も無視して一撃で呑み込まれる。
しかも最悪なことに、上空からはさらに2羽の鳥マスクが、嵐水を沼へ叩き落とそうと、左右から挟み撃ちの軌道を形成して迫ってきていた。
逃げ場はない。上には即死のスパーク。下には確定即死の巨大魚。あるいは左右からは殺意の塊。
「……クソコードめ。仕様がどれほど不条理だろうと、データである以上、必ず『1ドットの安全圏』が存在するはずだ!」
嵐水は冷徹に、迫り来る敵の速度と、自分の背中にある2つの風船の『当たり判定の半径』をドット単位で計算し始めた。
左右の敵を同時にハックする、狂気的な精密飛行のタイムラインが、彼の脳内で構築されていく。
左右から挟み込むように肉薄する、2羽の鳥マスク。
「右の敵の接近速度は、1フレームにつき3ドット。左は2ドット。……挟み撃ちの交差点は、俺の現在座標のちょうど2マス下だ」
嵐水は、背中の風船をきしませながら、あえて腕の動きを止めて急降下を選択した。
一見すれば、自ら下の巨大魚の口に飛び込む自殺行為。しかし、これこそが流体力学研究者としての冷徹な逆算だった。
「アイツらのAIは、常に俺の座標を『追跡』するように組まれている。ならば、俺が降下すれば、アイツらの軌道も同時に下向きへと強制修正される……!」
狙い通り、2羽の鳥マスクは嵐水を追って、斜め下へと急激に舵を切った。
水面が目前に迫る。巨大魚のドットの目が、ギラリと怪しく光った。
「ここだッ!」
巨大魚の『確定即死トリガー』が起動する、わずか1ドット手前の境界線。
嵐水は、両腕のドットを『猛烈な連打』のごとく酷使した。
パタパタパタパタパタッ! と腕が火を噴くような速度で羽ばたき、急降下の慣性を力技で上向きのベクトルへと強引に反転させる。
ズボォォォンッ!!
水面から、信じられない巨体が水しぶきとともに飛び出してきた。
だが、その巨大なアゴが閉じた空間に、嵐水の姿はなかった。
嵐水を追って斜め下へと突っ込んできた2羽の鳥マスクが、嵐水の代わりに、飛び出してきた巨大魚の口の中へと綺麗に『2羽同時に』吸い込まれていったのだ。
「魚の感知トリガーを、敵の追尾アルゴリズムで身代わりにする……! これでフラグは相殺だ!」
空中へ逃れた嵐水の見上げる視界の先で、ステージ上のすべての敵が消滅したことを示すファンファーレが鳴り響いた。
「よし……クリアだ!」
お約束の強制万歳ダンスが始まり、嵐水の身体がフワフワと空中で踊り狂う。
巨大魚の不条理をロジックで制した達成感。
しかし、この『悪夢のローテーション』の容赦なさは、すでに嫌というほど理解していた。
ピ、ピーーーーー……。
不快な電子音と同時に、嵐水の身体はシステム側の強制スクロールによって上空へと引っ張り上げられた。
「う、おぉぉぉぉっ!?」
視界が激しく暗転し、不条理な電子ノイズが脳内を駆け巡る。数瞬の空白の後、星空の空間が、一瞬にしてベタ塗りの漆黒へと反転した。
嵐水が激しい目まいに耐えながら目を開けると、彼はいつの間にか、狭苦しいコックピットのシートに深く座らされていた。
身にまとっていた衣類は、いつの間にか厚手の気密スーツ――いかにもSFチックな、しかしどこかカクカクとしたデザインの宇宙戦闘服へと完全にリビルドされている。
キャノピー越しに自分の機体を見下ろせば、それは白い一対の翼を持つ、いかにもドット絵然としたデザインの『宇宙戦闘機』だった。
驚愕した嵐水がコンソールを引きちぎらんばかりに前後に入力しても、機体が進む方向は完全に画面の『左』と『右』の1次元のみ。
「自由飛行はおろか前後移動すら許されず、画面の『左』と『右』の1次元のみで立ち回れというのか……!? おい、この世界はッ……!」
ピピピピピピ……! と、またもや耳障りな、しかし殺意に満ちた電子音が空間に鳴り響く。
見上げれば、漆黒の宇宙の遙か上空、不気味に左右に揺れながら整然と隊列を組む、緑色の昆虫型エイリアンの群れが嵐水を見下ろしていた。
嵐水の、本日4回目となる絶望のデバッグ戦――『ガラギャ』編の幕が上がろうとしていた。
逃げ場なき一次元の宇宙。頭上を埋め尽くす昆虫型の殺意。
弾幕飛び交うレトロ宇宙での16連打――
奇跡のカーニバル、開幕だ。




