STAGE3:質量保存則の崩壊と、時間結晶の罠
「な……足元の土が、消滅した……!?」
右手のレーザーガンを発射した瞬間、ガッ、ガッ、という粗い電子音とともに、嵐水の足元にある茶色いブロックが、一瞬にして完全な虚空へと変化した。
驚くべきは、掘り起こされたはずの土の体積が、周囲のどこにも存在しないことだ。質量保存の法則が、この一掘りで完全に消滅している。
「掘った土の行方はどうなった!? 熱エネルギーに変換された形跡もない。ただ……データが消去されたとしか言いようがないぞ!」
思考が追いつかない嵐水の頭上から、例の『不気味な緑色のセーラー服を着たロボット(NPC)』が、信じられないピッチで梯子を滑り降りてくる。
そのカクカクとした動きには、生命としての有機的なブレが一切ない。
ただ、最短距離で嵐水の座標を踏み潰す、という殺意のアルゴリズムだけで動いている。
「チッ、詰みの構築が早すぎる……!」
しかし、嵐水は慌てない。思考はすでに感情を切り離していた。
「どうせこのレーザーガンでは奴にダメージを与える事は出来ないのだろう。そういう仕様だ」
迫り来る敵の直線軌道と、その移動速度、環境の座標を瞬時に脳内でマッピングする。
「お前のアルゴリズムは単調だ。障害物を迂回する思考ルーチンすら組まれていないクソコードめ。……そこだッ!」
嵐水は、ずんぐりむっくりしたオーバーオール姿の身体をカクカクと動かし、自分が掘った穴の手前で、ドット単位のブレもなくピタリと停止した。
刹那、盲目的に嵐水の座標だけを追ってきたNPCは、制動をかけることもできず、嵐水の目の前で文字通り『スポッ』と綺麗にハマった。
ジタバタジタ……!
穴の底でもがき、地上へ這い上がろうとパカパカと虚しく脚を動かしている敵を見下ろし、嵐水はドットの口元をフッと不敵に歪める。
「重力加速度の計算も、1マス分の高低差をジャンプで超える計算もサボっているな。単なる座標固定だ。」
嵐水は、身動きの取れない敵の頭に容赦なく足をかけ、それを『踏み台』にしてさらに上層の足場へと(見た目はカクカクだが)軽やかに這い上がった。
完璧なシステムハック。緑のセーラーロボを完全にやり込めた嵐水だったが、安堵したのも束の間。
カチ、カチ、カチ……。
世界のメインループから、不穏なカウントダウンのような電子音が響いてくる。
嵐水はハッと息を呑んだ。この『道路ランナー』の仕様を、彼は完全に思い出したのだ。
「……まさか、地形のリジェネレーションか!?」
この世界の土ブロックは、破壊された瞬間から一定のクロック数が経過すると、元の座標に物質が寸分の狂いもなく『再構成』される。
時間が経てば、空間そのものが巻き戻る――いわば、時間結晶の罠。
「おい、待て! まだ敵が穴の中に埋まっているぞ! 物質と物質が同じ座標で重なったら、分子構造が崩壊してとんでもないエネルギー放出が……」
バッ。
鈍い音と共に、空間が茶色いドットで埋め尽くされた。土ブロックの完全な再生。
しかし、嵐水が予期した質量同士の衝突による爆発は起きなかった。
穴に埋まったはずのNPCは、まるで最初からそこにいなかったかのように、土の中に消失したのだ。
「消えた……!? いや、そんなはずはない。プログラムのオブジェクトが、単にデリートされるわけが……」
上空を見上げた嵐水のドットの目が、驚愕に引きつった。
はるか最上階の、何もない空中。
そこに、さっき土に埋まったはずのセーラーロボが、何事もなかったかのようにパッと出現し、再び『タカタカタカ』と梯子を降り始めたのだ。
「質量が……ステージ上部のアドレスへ強制ワープされただと……!? どんなクソ物理だ! これでは、永久に敵を排除することは不可能だ……!」
息を吐く間もなく、頭上から別の敵が迫る。しかも、このステージの構造は悪質極まりない。
上層にある『金塊』を回収するためには、一度下層へ降りてから、特定の土を正しい順番で掘り進めなければ、自らを土の中に閉じ込めて自滅するしかない構造になっている。
一歩の踏み間違い、一掘りのタイミングのズレが、即座に死を意味する。
数日前、幼馴染を救うために数式のパッチを当て続けた嵐水の脳細胞が、フル回転で『道路ランナー』のルート計算を開始した。
「右、右、掘る、落下、時間差で左を掘る……!土の再生周期は正確に4.8秒!敵の移動速度から逆算して、俺が金塊を掴むまでの猶予はわずか12マスの移動分……!」
冷徹な数理モデルが、嵐水の脳内に完璧なタイムラインを描き出す。
カクカクとした不自由な身体で、嵐水は一心の狂いもない精密動作を開始した。
土を掘り、敵をハメ、その頭を踏み台にして、空中を渡り、再生する土のギリギリの隙間をすり抜ける。
「よし、最後の金塊を回収したぞ!」
ピロリロロリン!
頭上で、脱出用の梯子が虚空から突如として生えてきた。
嵐水は一瞬の躊躇もなくその梯子を駆け上がり、ステージの最上部へと到達する。
「これで、このステージはクリア――」
ファンファーレが鳴る。
またもや、嵐水の意思を無視して身体がバンザイのポーズで踊り狂う。
しかし、安堵の溜息を漏らす暇など、この悪夢のシステムは与えてくれなかった。
ピーーーーー。
視界が激しくフラッシュし、レンガの壁と茶色い土が、一瞬にして弾け飛ぶ。
次に現れたのは、一面の星空。
耳をツン裂くような、陽気で、しかし暴力的なまでにテンポの速い電子音が脳内に流れ込んでくる。
「くっ、今度は何だ……!?」
自分の姿を見下ろす。オーバーオールとヘルメットの色が変わり、背中には、なぜか『2色の風船』が、不自然な紐で括り付けられていた。
足元には床がない。
ただ、物理法則を無視した浮力が、嵐水の身体をじわじわと空中へ押し上げていく。
「……背中に、バルーン……!? おい、まさか……!バルーン・フライトか!」
画面の下方、はるか奈落の底には、濃い青色で描かれた沼が広がっており、そこから、嵐水のドットの体積よりも遥かに巨大な『緑色の怪魚』が、パカパカと大きな口を開けてこちらを睨みつけていた。
フワフワと定まらない、最悪の空中慣性。
一瞬の油断で即・一呑み。風船2つで挑む、最凶の慣性力学ハック――
奇跡のカーニバル、開幕だ。




