第1話 情熱にあふれる忸怩くんと情熱に飢える孤高の鬼才と残念感あふれる泥棒猫
「だから藤沢! お前以外の誰かなんてありえないんだよ!」
桜の雨が降りしきる中、準備に次ぐ準備を重ねて打ち明けた、俺の、想いの丈。
「だから嫌だって言ってるでしょ。これで何度目よ」
土下座までして示す俺の覚悟は、しかし相手の心の奥に触れる気配を見せず。
「そこをなんとか! 俺にはお前しかいないんだよ!」
「はぁ~」
めげず挫けず食い下がりつづける俺の頭上にため息が降りかかる。
だけど、藤沢はこんなわかりやすく大きなため息をつくようなやつじゃない。
「えー、あたかも朝帰りで浮気を疑われた夫が聞く耳を持たず去り行く妻を必死に引き止めているかのような状況に見えますが、こちらは恋愛経験0の少年が恋愛経験0の少女を必死に部に勧誘している場面となります。えー、解説はあたし――」
「お黙りなさい那須さん」
そうそう、この人も無げな冷たい声こそまさに藤沢って感じだ。
「といってもさ、岸本の土下座おねだりタイムがはじまって五分経つわけじゃん? それで暖簾に腕押し~って感じなら希望は潰えてるも同然でしょ。というわけで、あたしの船に乗っちゃいなよ藤沢さん」
「好機に乗じているだけで情熱の欠片も感じないあなたについていくはずがないでしょう? それならまだ、矜持の欠片もない忸怩くんの泥船に乗る方がマシよ」
「忸怩じゃないよ? 恭司だよ?」
なんてお約束みたく突っ込んでるけど、この不名誉なあだ名がつけられたのは、まだ俺が高校一年生で、藤沢とクラスメイトで、たまに放課後の図書館で他愛無い話をしていた冬のこと。
いや、終始俺はなにを恥じてんだって話だけどさ。
「だっはー、けんもほろろってやつだなぁ~。岸本もさ、もう土下座やめなよ。恭司の矜持が大暴落してるって理解してる?」
ちなみにこっちは商売敵。
まぁ舞台がたまたま彼女のテリトリーだからスカウトしてるって諸説もある。
「もちろん理解してる。理解したうえで俺は土下座に徹してるんだ。俺にできるのは誠意を示すことくらいだから」
「はぁ~。わかってないなぁ岸本は」
さっきからめっちゃため息つくじゃんこの人。
ため息をついたら幸せが逃げちゃうんだぞ。
「その場限りの関係ならそれでもいいだろうけど、君はこれから藤沢さんと夢を叶えたいって思ってるんでしょ? だったら君が見せるのは誠意じゃなく、覚悟と情熱と気魄なんじゃないかな」
「……」
覚悟と情熱と気魄って、どれも似たような意味合いでは?
だけど、その通りかもしれない。
少なくとも俺は、常に弱気で平身低頭してる奴についていきたいとは思わない。
「そうだね。あげはちゃんの言う通りかもだ」
顔を上げて立ち上がると、商売敵かと思いきや実は味方だった彼女は、にっと真っ白な歯を見せて笑った。
「ふふ~ん、これであげはルート突入ですな」
「露骨に好感度上昇アピールしなければ完璧だったのになぁ」
まぁこの残念感こそがあげはちゃんのあげはちゃんたる所以で、ある種安心感みたいなものがあるのも事実だけど。
那須あげは。
俺と藤沢と同じく高校二年生。
風宮学園、演劇部部長。
ふわふわの髪にやや垂れ下がった瞳が印象的だ。常に春の陽だまりみたいな柔らかい空気を纏う彼女は、男女問わず多くの生徒から神聖視されている。
だけど清楚でお堅いってこともなく、フランクでさばけていてとっつきやすい彼女とは去年から付き合いがあり、色々とお世話になっている。
主に演劇に関することで。
「へぇ、やるじゃない忸怩くん。それで童貞卒業はいつ頃かしら?」
と、俺とあげはちゃんの日常会話に耳を傾けていたターゲットは、唐突にキャラ崩壊を起こしかねない危ない発言を繰り出してくる。それも平然とした表情で。
……念のため補足説明。
あげはちゃんあげはちゃん言ってるけど、これはそう呼ぶように本人から強い要望があったからそうしているのであって、俺が軽薄なチャラ男だからそう呼んでるってわけではないのでご了承ください。
「してねぇよ。あと、あげはちゃんはどうして満更でもない顔でクネクネしてるの?」
「いやぁ~、あの夜は情熱的だったなぁ~って記憶が過っちゃって」
「捏造しないでよ……」
フランクでさばけていて。
けど、乗りが良すぎるってのも考えものだ。
「忸怩くんの初体験の感想はおいおい仔細漏らさず聞くとして。今日のところはこの辺りでお開きにしましょうか」
「今の会話をどう解釈すれば肯定になるの? あとなんで感想聴取する方向なの? お前むっつりなの?」
「あら知らないの? 無知な忸怩くんに教えてあげるわ。あまねく女の子はえっちなのよ」
「……」
えっと、どう反応すればいいんですか?
藤沢瑠奈。
俺と同じく今日から高校二年生にして、風宮学園きっての鬼才にして変人。
天才と変人は紙一重というが、彼女はまさにその典型。
彼女は昨年、高校生文藝コンテストに応募した短編で最優秀賞を受賞し、さらにWeb小説投稿サイトにアップした短編でも金賞を受賞した。
まぁ後者に関しては本人から直接聞いた俺とごく少数だけが知ってる二冠目なんだけどね。
藤沢、今は瑞々しい青春ものの長編小説をネット連載してるんだけど、これがすげぇ面白いんだ。最新話の更新は今日の夜九時か。楽しみだなぁ~。
……話が逸れた。
高校一年生ながらに名前のあるコンテストで実績を叩き出した藤沢は、学校に留まらず市長や出版業界の人たちからも祝福されていた。
ところが、当の本人はずっと不貞腐れたような顔をしていた。
彼女が全校集会で校長先生から祝福された際に残した言葉は今や伝説。
『上辺だけの讃辞なんて、誰も求めてませんから』
その場にいた誰もが凍りついた。
当然だろう。褒められて反感を抱くなんて普通はありえない。
以降というか以前から、彼女が誰かと接している姿を俺は見たことがなかった。
そう、彼女は〝例外を除いて〟他人にまるで興味を示さないのである。
「子孫を残したいと思うのは、生物学的に当然のことでしょう?」
整った怜悧な顔立ちに、腰まで伸びた濡羽色の髪。
やけに近い距離で俺に訊ねてくる切れ長の瞳には純粋な疑問が宿っていて……
「よし、藤沢。一旦、話題を戻そう」
まぁおおよそ察しがつくだろうけど、前述した〝例外を除いて〟に該当するのは俺、岸本恭司だ。
だからこそ、頼めばすんなりと話が転がると思ってたんだけど……
「改めて藤沢。俺たちの演劇サークル部の脚本を書いてくれないか?」
「ほんとしつこいわね。それと〝演劇サークル部〟じゃなくて〝演劇サークル同好会〟でしょ? 忸怩くんのサークル、まだふたりぼっちで誰からも部の承認判子もらってないじゃない」
「うぐっ」
痛いところをお突きになられる。
「そ、それはおいおいでいいかな~って。まずは脚本の確保かな~って」
「余談だけど、脚本が上がったのに役者内でいざこざが起きて空中分解したから公演中止ってのは演劇の世界でよくある話だよ。脚本家は所属する劇団を慎重に選ばなきゃだよねぇ」
「あげはちゃんは黙ってて」
次、俺に不利なことを言ったら机の上にあるどら焼き顔に投げつけるよ?
「ほら、経験者がこう言っているもの。まずは役者の補充を優先すべきじゃないの?」
「うぐぅ……」
藤沢が言うことは正しい。
だけど、役者が集まっても脚本がなければ物語は完成しない。
脚本は物語の核。脚となる役割だから脚本というのだ。
そんな重役の抜擢を後回しにできるはずがなくて。
その役目は絶対に藤沢に担ってほしくて……
「……なら、役者を補充したら脚本を引き受けてくれるか?」
「いいわよ」
「へ?」
目を丸くする俺に、藤沢はきょとんと首を傾げる。
「どうしたの?」
「今、いいわよって言ったのか?」
「えぇ、言ったわよ。……あぁそっか、忸怩くん、私のことを理由もなく他人を跳ねのける傍若無人な性悪女だと思っているものね。そりゃ驚いて当然か」
「一言も言ってないけど!?」
すげぇ完璧な推理だよ。
「ま、あなたについていこうなんて変わり者は全国津々浦々探したっていないでしょうけど」
「すでにひとりいるよ?」
「? ……あぁ青海さんか。あの羨ましい幼なじみはノーカウントよ」
「羨ましい幼なじみ?」
「っ! んんっ、今のは忘れなさい。彼女とは別にもうひとり入部する。そんな奇蹟が起きたのなら、私はあなたに手を貸しましょう」
腕を組んだままだけど、顔は柔らかくほころんでいる。
俺をまっすぐ見据える黒檀の瞳に剣呑な輝きは少しもなくて。
それはつまり、条件を満たせば俺の誘いを承諾する意思が固まってるってことで。
「……あぁ、待ってろ。藤沢が脚本を書きたくて書きたくてたまらなくなるような演劇の才能に恵まれた奴を見つけ出してやる!」
「えぇ期待しているわ。あ、それと言い忘れたけど、制限時間は明日の十七時までだから」
「鬼ですか?」
藤沢さん、俺が去年の秋頃から部員募集してるけど見るも無残な結果だって知ってるよね?
「あら、できないの? あ~あ、それは残念。忸怩くんの本気ってその程度だったのね」
「……わかったよ。やってやるよ」
幸いにも今日は新学期初日だ。
つまり、明日の早朝からは新入生をターゲットにすることができる。
当てはないけど、二百人近くの生徒にアプローチを掛け続ければひとりくらい罠に……じゃなくて、俺たちの仲間に加わりたいという変わり者に出会えるはずだ。
俺を地獄に突き落としたドSな悪魔は愉悦に浸るような顔をしている。こいつ魔界出身だろ。
「ふふ、この程度で日和っているようなら契約破棄は待ったなしだったけれど、その可能性は潰えたみたいね。さぁ狂奔なさい忸怩くんっ、そして最高の人材を見つけてきなさい!」
「お、おうっ!」
急に熱量あげてくるからびっくりしちゃったじゃん。
藤沢さん、さては既に乗り気だったり?
「じゃ、明日の五時にこの場所で! じゃあな藤沢!」
「ええ、さようなら忸怩くん。期待してるわよ」
そうと決まれば、早速あいつと作戦会議しなきゃだな。
俺は、部室のある旧校舎に駆け出した。
☆ ★ ☆
「部長の許可なく部室を待ち合わせ場所にしないでほしいなぁ。明日は部活あるんだけど」
「ふふ。ふふふっ。ほん~っとうに最高ね彼は! まったくもう、諦めちゃうんじゃないかって肝を冷やしちゃったじゃないの」
「聞いてる? もしもーし、藤沢さん。こころの声が漏れてますよー」
「こっぴどく振ったにもかかわらず決してめげない直向きな姿勢……あぁ、溜まらないわ! あの泥臭さ! いいわよ忸怩くん。私があなたを夢の果てまで連れて行ってあげる。ふふふ、今日までがんばった甲斐があったなぁ。……えへへ」
「あ、ご執心なのはこっちなのね。……なぁんだ、やるじゃん岸本。ちゃんと難所をクリアしてんじゃん。ま、岸本のことだからどうせ無自覚攻略してるんだろうけどさ」
「すいません! 鍵、落ちてませんか? 桃のストラップのついたやつなんですけど」
「わーわー! 鍵、鍵ね! あーあー、あったぁ! そらっ、受け取れぃ岸本っ!」
「っとぉ、ありがとう先輩。それじゃまた明日!」
「うん! じゃあね! あ、ドアちゃんと閉めてってね!」
「承知です!」
〝ガラガラ〟
「……ふぅ、危ない危ない。藤沢さん、せっかくだしお菓子食べながら恋バナでもする?」
「お断りします。那須先輩と友達ごっこしてる暇はありませんので。では、さようなら」
「お、恩人に対してご無体な……。いいもん! ひとりでお菓子満喫しちゃうもん!」




