第2話 光秀。儂を、裏切ってくれ
人払いを、した。
小姓も、近習も、みな遠ざけた。俺は光秀と二人きりで、灯り一つきりの薄暗い一室に向き合っていた。光秀は、ひどく緊張していた。膝の上で、両の手が固く握られている。
無理もない。
主君にこうして密かに呼び出されれば、叱責か、それとも新たな難役か。すり減ったこの男は、きっとそう身構えている。近ごろ叱ってばかりだった。冷たく当たってばかりだった。
――全部、こいつを、遠ざけておくためだったのだが。
そんな言い訳が、いま何の役に立つだろう。
俺は、しばらく迷った。
口にすれば、もう後戻りはできない。三十年近く守り抜いてきた、俺の秘密を、初めて家臣の前でさらけ出すことになる。心臓が、いつもの倍の速さで打っている。
それでも。
俺は生まれて初めて、家臣に本当のことを打ち明ける覚悟を決めた。
「光秀」
「は」
「儂はな。魔王でも、なんでもない」
光秀が、顔を上げた。何を言われたのか分からない、という顔だった。
「ただの臆病者だ。虫一匹、殺すのも怖い。人を斬れば、夜ごとうなされる。暗がりが怖い。背中が怖い。お前たちの前で低く構えているのは、怖くて言葉が出ぬからだ」
俺は、一息に言った。
「桶狭間も、比叡山も。儂が強かったのではない。怖くて、怖くて、わけが分からなくなって。気づけば、ああなっていた、だけだ」
言いながら、俺は目を伏せた。
あの、屍の山を思い出すと、いまでも吐き気がする。
「気づけば、目の前に、人が、山と積み上がっていた。儂は、それを見て、いつも吐いて、泣いた。強いのではない。ただ、怖くて、こわれていた、だけだ」
「殿……何を、おっしゃって……」
「儂はな、光秀」
俺は、声を落とした。
「もう、降りたい。この天下も、魔王の名も。何もかも置いて。消えてしまいたいのだ」
光秀は、絶句していた。
その生真面目な顔が、理解と混乱のあいだで揺れている。信じられない、という目だった。目の前の男が、天下に轟く第六天魔王だとは、とても思えない――そう言いたげな。
だが、嘘ではない。
俺はいま、生まれて初めて、嘘の鎧をぜんぶ脱いでいた。
俺はここで、いちばんばかげた頼みを口にした。
「光秀。儂を裏切ってくれ」
「……は?」
「本能寺を囲んで、火を放て」
「と、殿っ……!」
光秀の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「お前は後で、秀吉に討たれて死んだことにすればいい。そうして儂と一緒に、ここから消えよう」
光秀は、声も出せずに、俺を見つめていた。
冗談だと思ったのだろう。あるいは、主君がついに乱心したと。
そのどちらでもないと分かるまで、長い、長い沈黙があった。
やがて。
その生真面目な目から。
ぽろり、と。
涙が、こぼれた。
初めて家臣に打ち明ける、覚悟と弱さ――生真面目な目からこぼれた涙に胸をつかれたら、【びっくり】か【泣ける】を! この後の光秀の答えを、ブックマークで。




