第8話 ひとりでは、できない
死んだことになって、消える。
口で言うのは、たやすい。だが、帰蝶の言うとおりだった。これは、ひとりでは、絶対にできない。
俺が消えたあと、「信長は、死んだ」と、世に信じ込ませなければならない。骸がないことを、誰かが、うまくごまかさなければならない。俺が城を抜け出すための、抜け道もいる。そのあと、織田の家が割れて、また戦にならないよう、誰かが天下を引き継いで、まとめなければならない。そして、俺の「死」が嘘だと、誰にも悟られてはいけない。
考えれば考えるほど、途方もない段取りだった。世界一ばかげた段取りだ、と、自分でも思った。
だが、不思議と、その、ばかげた段取りを思い描いていると、胸が温かくなった。
帰蝶には、もう、打ち明けた。あいつは、迷いもしなかった。それどころか、俺よりも先に、足りないものを数えはじめた。共に消えてくれる相手は、いる。あの、いちばんばかげた本音を、いちばん面白がってくれる人が。
だが――帰蝶ひとりでは、どうにもならない。
帰蝶が数え上げた、あの役目のひとつひとつに、顔を、当てはめていく。
秀吉なら、後始末を任せられる。あの、勘の鋭いハゲネズミは、きっと、何も言わずにすべてを察して、「殿の骸は、見つかりませんでしたなぁ」と、しらを切ってくれる。そういう男だ。
家康は。あいつなら、世間を欺くために、必死に逃げ回る芝居だって打ってくれる。「一生、ついていく」と言った、あの、怖がりの親友なら。
理解者は、三人。
その三人を思い浮かべるだけで、不可能に思えた計画が、少しずつ、形を持ち始めた。
だが。
もう、ひとり。俺の頭から離れない男がいた。
明智光秀。
生真面目で、律儀で、何を任せてもきちんとやり遂げる有能な家臣だ。だから、俺は、つい重い役目をこいつにばかり押し付けてきた。面倒な調略も、気を遣う接待も、割に合わない後始末も。
「光秀なら、できる」
そう言って、断れないこいつに、次から次へと背負わせた。
***
ある日、俺は、ふと見てしまった。廊下で、書状の山を抱えた、光秀の横顔を。
ひどく、疲れていた。
目の下には濃い隈があり、背中は、心なしか丸く、あれほど几帳面だった髷にも、ほつれがあった。すり減っていた。中間で、上と下に挟まれ、誰にも弱音を吐けないまま、少しずつ削られていく男の顔だった。
***
その顔を見たとき、俺は、なぜか胸を突かれた。
ああ、こいつも――。
俺と、同じだ。降りたいのに、降りられず。重荷に潰されそうになりながら、それでも、歯を食いしばって立っている。
そして、思った。もしかしたら、この、生真面目な男になら、俺の本当のことを、打ち明けてもいいのかもしれない。
あの、すり減った明智の顔が、なぜか、俺の頭から離れなかった。
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